LGBTQの中でトランスジェンダーだけが女性に受け入れられにくいのは何故か?という記事への感想が長くなったので
ここから紐付ける方法も分からないから元記事と重なる部分が多いのだが、たった今はてな匿名ダイアリーの書き方が分かったくらいなので許されたい
まずそもそも何故男性より女性の方が差別へ理解があるのか。これは女性の共感力や愛の価値観云々の問題もあろうが、単に世の中が男性社会だというだけだと思う。仮に日本が女性社会の国なら差別に理解を示すのは男性になっていただろう。女性は被差別側として仲間意識があるから相対的に親身になれるにすぎない
根底には社会的強者への反発や恐怖から来る団結があるという前提で見れば、その強者から自分達も混ぜろと言われる苦痛は明らかだ。なにせいくら心はマイノリティと言っても身体は強者そのものなのだから。差別の中身は嫌悪だが、拒絶の中身は恐怖だ。恐怖はどうにもならない。トランスジェンダーを第三の性とせず既存の性に割り振る強引な平等が義務付けられたトイレばかりになれば、次はシス女性が安心して過ごせる専用トイレが作られるのが目に見えている。女性専用車両もシス女性専用車両に名前を変えるかもしれない
愛の名のもとには色々なことが許されるが、トランスジェンダーは他のLGBTに比べて愛に直結しない。そして社会に要求する融通が図抜けている。愛し合う二人を祝福するだけでは済まない。
某演説で性的マイノリティの権利を認めたところであなた達(性的マジョリティ)の権利が侵害されたりはしないという趣旨の訴えがなされた。だがこれは上記のようにトランス女性と女性の場合当てはまらない。
ここで女性と限定するのは、トランス男性と男性の場合トランス男性は男性用トイレに入りたがると思えないからだ。ある程度生きれば、性自認に関わらず女性の身体で男性用トイレに入るリスクを考える。加えて男性トイレは個室が少ない
長々と書いたがこうして見るとトランスジェンダー問題を根本から解決できるのはシス男性・ヘテロ男性の行動のみということになる。だがトイレひとつ取っても盗撮盗聴性暴力と、女性が男性に恐怖を抱かなくなる日は遠い
根底には社会的強者への反発や恐怖から来る団結があるという前提で見れば、その強者から自分達も混ぜろと言われる苦痛は明らかだ。なにせいくら心はマイノリティと言っても身体は...