2021-07-27

オリンピックゲーム音楽嫌悪の筆者は結局「自分が軽視」された感覚

あの記事すごく不思議だなと思うのは、「こんな時だけ(香川県の例を思い出してほしい)国や自治体に都合よく切り出されて使われる」という解釈までは「そんな意見あるかな」と思えるくらい冷静なのに、そのあと「ビデオゲームファンとして全く許しがたい」ってめちゃくちゃ怒ってるところ。

普通、そこまで怒るってことは、自分権利が侵されたり、約束を破られたり、直接被害があると思う。

だけど、筆者は実際はなんの被害も受けてない。言ってみれば、"たかゲーム音楽とき"でここまで「許せない」とまで憤るのはすこし尋常じゃない。

じゃあなんでそんなに怒るの?と考えたとき、おそらく、この件で自分が軽視されたように感じてるんじゃないかなと思う。ゲームバカにされる=自分バカにされている、という感覚

でも、その気持ちは切実なんだと思う。ゲームは、ときにとてもパーソナルな居場所になる。人生のどこにも居場所がなくても、ゲームだけは受け入れてくれた、という話はよく聞くし、もともとそういう性質ゲームにはある。

そこまでゲーム思い入れている、大事に思ってる人にとって、「これかければ盛り上がるでしょ」的なノリでゲーム音楽が使われたら居場所が奪われた感じでたしかに嫌だと思う。あの記事共感するコメントが多くあるのも、そこの部分なのかなと。

でも、だと考えると、あの記事は「ゲーム大事にすることで自分大事に扱ってほしい」以上の主張がないように思えてならない。

かといって、記事としてそれだけだとあまりエゴすぎる(というか、その怒りの根っこに気付いてない)から政治問題にしてみたり、他のゲームファンにガッカリしたと言って他罰的になってみたり、少し無理筋正当化をしてしまうのかなと。

個人的にはあのゲーム音楽は、ゲームファンには理解させつつ、そうじゃない人には単なる入場BGMに聞こえるなかなか優れたバランスで使われてたなと思いました(というひとつ視点)(その後の聖火リレーではボレロが流れた。ボレロゲーム音楽が同格の扱いなっていた、という解釈もできる)。

あとゲームは筆者の想像以上にもっと広く浸透していて、柔道金メダルの高藤選手は「金メダリストにふさわしいゲーミングPCが欲しい。試合が終わったら思いっきりやりたい」とコメントしてたり、

https://news.yahoo.co.jp/articles/fc5725678c096a10b9d51590c4476c6e62cea923

スケボー金の堀米選手は「僕はメダルポケモンカビゴンにつけているんだけど、それにつけたいと思います」と言ってたり、あの会場にもゲーム音楽で喜んでいたオリンピック選手はたくさんいたと思う。ゲームはもうメインストリームカルチャーだよ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1866dab753fd1bf82673757152112e390ab2fb6a

でも、こういうエピソードひとつひとつも、この筆者にとっては「居場所が奪われた感じがする」のかもしれない。

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