ナイキのCMの件、批判するのは差別者だとはてなで話題になってるけど、問題はそこじゃないと思う。
個人的な話をすると、僕は在日だと人から判断されてそれを理由に嫌なことを言われたりした経験がある。だからCMの内容には居心地の悪さと一緒にスカッとする思いもあった。だけどしばらくして考えてみると、この描き方は公平じゃないなという点が気になるようになった。差別は誰でもするものだ。日本人も異分子を差別する(欧米ほど強烈じゃなくても、単一民族だから異分子判定のハードルは低そうだ、偏見だけど)。CMに出てきたみたいないじめは日常茶飯事で、「そういうの見かけたなー」程度も含めたらほぼ全ての人が身に覚えがあるだろう。
そして差別される側も同じ差別心を持っていたりする。自分の属性は差別されて当然だという敵の価値観を内面化してしまう。僕を在日だと思って優しくしてくれた在日の人は、僕が在日ではないと知ったとき裏切られたみたいな怒り方をした。その人の性格の問題ではなく、人間として当然の反応だと思う。僕は診断済みの発達障害だけど他人にそれを言うことはない。障害が差別されて当然の属性だと認めてしまっているからだ。堂々とするのが正しいと言う人もいるだろう。その通りだけど、正しさというのはきれい事だ。正しい上に実力で他人を黙らせている人はかっこ良くてヒーローみたいだけど、ウソがないわけじゃない。ヒーローも差別をするし、差別しないことが得な状況を作ることと他者の人間性を認めることは違うからだ。
結局、正義は到達不可能な理想だ。それでも少しずつ(無限に時間をかけて)近づいく希望はある。差別したりいじめたりしても自分が正しいと信じたいのが人間なら、正しくないと自分で気づけたら直していけるはずだ。そういう「自分は正しくない」という前提があのCMには欠けていて、日本人がしている差別を海外の企業が商業目的で攻撃する様が、単なるサディストのようにも思えた。
この違和感は「国歌斉唱を拒否した在日アスリートを日本メーカーが起用」だとなかったはず(それでも批判は多かっただろうけど)。差別する人を悪と切り捨てるのではなく、味方に付けて啓蒙する方が受け入れやすいということ。
お前CM見てないで外野の大騒ぎを見てただけやん 発達障害辛いけどやっていきましょう、と同じでこういう風に差別はあるけど進みましょうという話しかしてないんやで
差別という悪を描けば差別している人を悪者扱いすることになる。悪者を見返してやれ、がCMのテーマだと思った。
動き出そうがテーマやんw
意識の高いナイキを買おうぜ?
CMを見直してみて、言っている意味がわかった気がする。それでも、結果を出さないと仕方がないと思うのは間違ってるんだろうか。
結果って何だよ
仏教用語だよ
スポーツならスポーツで良い成績を出すこと。見返すことはしなくても、見返せる結果じゃないとわだかまりが残ってCM後半の笑顔になれないと思った。でもそういう説明があったわけじ...