2019-10-25

anond:20191024170355

世の大多数の人間は、文化的に豊かであるとか多様な人々がいる環境とか求めてなくて

自分の半径10メートルそこいらの同じ学校地元親族とかとの関係人生が回ってる

たまたま東京都内に生まれても区内の地元つながりでマイルドヤンキー的に生きてる者も多い

つか、近代まで世の中の圧倒的大多数の人間は(江戸大坂京都在住でも)そんなもんだった

こう書くと差別的だけど、現代でも日本人の約60%は高卒以下だからその程度で満足してる

地方在住でもテレビネットがあれば、広い外の世界実体験しなくても困らないし

本物の離島住まいとかを例外とすれば、自分田舎者ともあんまり思ってない

さらに本物の地方民の間には「地方ヒエラルキー」というのがあって

狭い九州の中では博多ン者が王様気取りして、少々都会に憧れる者も

東京まで行かず福岡大学に進学すればそれで満足してたりする

これがアメリカだと話のスケールもっと大きく、大陸ど真ん中のカンザスやらネブラスカ

あたりの州では、一生涯「海」を見ることがない者が現代でも多数いる

地元普通に就職してればそれで生活に困ることは何もない

***

――話は飛ぶが、俺は元増田と同じような発想で

たとえばヨーロッパスロバキアだのアルバニアだの

あるいは中南米バルバドスとかドミニカとか

微妙マイナー小国に生まれ人間てどんな気持ちなのだろうかなあ? と考えたことがある

どうもそういうマイナー小国の人々には、オーストリアウィーンだのアメリカ東海岸だの

近隣の大国大都市というのが留学出稼ぎ先としてそれほど敷居の高い存在ではなく

日本国内地方から見ての東京大阪京都と同じような「上京先」なのかなあ?と思っている

グローバル化の昨今、そうした国境を超えた「上京」でも

昔に比べれば文化ギャップは大したことないのだろう

いわんや同じ国内ならもっと意識の差は小さいよ

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