2017-09-08

幸せだけど死にたい

私には、

ピアノお菓子作りと観劇趣味設計士の母と、海外起業してその国の偉いひとと仕事してる父と、いま4年生で某有名広告代理店就職決まってる美大生の姉がいて、自分も3歳からピアノ、4歳からバレエを始めてどっちも賞取ったりしたし、県内トップクラス高校行って生徒会やったりもしてて、休日には家族や友人と出かけたり、あとはよく図書館行ったり美術館巡りしたりなんかして、

経歴だけ見たらこーんなに綺麗なのに、どうして私は朝が来るたび死にたくなってしまうんだろう。

はてな村には色んな人がいるが、何故だかその内の半分くらいは何らかの理由しんどい状況にいて、その事について愚痴っている。「死にたい」という言葉を見かけることも少なくないし、実際そんな言葉を残していった増田たちの中には、今はもういない人も結構いるんだろう。

私もたまにここを覗いて彼らのエントリを読むと、辛い境遇に置かれている人間には普通に同情するし、そりゃ死にたくもなるよなと思う。だって彼らは客観的に見て「不幸」だし「恵まれない」人たちだから

でも私はそうじゃない。たぶん私は世間一般的にはかなり「幸せ」で「恵まれた」境遇にある人間だ。だから死ぬことは許されない。

それでも私は死にたいである

死んだら周りの人が悲しむよ、と誰かが言った。それでいいのだ。私は私の死をもって、誰かの心に深く深く私を刻み付けたい。「自殺したって何も美しくない年齢になってしまったなとぼんやりおもう。」なんて言葉ツイッターで見たけど、私はきっとまだギリギリ美しく死ねる年齢だと思う。美しくて、影響力があって、多感で繊細な時期の友人が多い今のうちに、何とか行動したいと思う。

はいつも"特別"になれない人間だった。部屋の隅に並んだ数多の賞状トロフィー、それらのどこにも優勝の二文字はない。本を読んだり絵を見たりは好きだけど、姉のようにオンリーワン表現者になることは出来ない。やること成すこと全部それなりで、周りの人は多才だと褒めてくれたけど、どれかに自分の全てを捧げる程の才能がないだけだ。私はいつでも"特別"になりたいだけの人間だった。

それなりの人生、それなりの幸福。喉から手が出るほどそれらを切望する人がいるのは知っている。でも私にはそれじゃ駄目だった。それだけの話だと思う。

タイムリミットが迫っている。今なら、いま死んだなら、もしかしたら少しは特別になれるような気がするのだ。JKで居られなくなったら、もう私にチャンスはない。決断しなければ。

その前に、こんな所にいったい何人存在しているのか分からないけど、いま幸せな人教えてください。

あなたは何故「自分幸せである」と言えますか?

自分人生には満足していますか?

死にたいと思うことはありますか?

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