年をとったら物忘れが激しくなる。そういう自分にイライラする。昔は良かったなあ、とばかり思う。腰が曲がっていく。ボケていく。目も悪くなる。大切な人がいて一緒に暮らしていても先に死なれたら、ただただ毎日適当にテレビを見て暇を潰しながら、日常のほとんどのことにやる気が起きず、新しいことにチャレンジする気力もなく、ただ生きるためにご飯をつくって口に入れて、あとはぼんやりと死を待つばかり。誰ともお話しないで1日暮らすこともある。老老介護もある。自分より更にボケてもう歩けないろくにお話もできない要介護の母親を、母親だからちゃんと面倒見る。施設に入れていても何かあったらすぐ駆けつけなくちゃいけない。だから旅行に行くこともろくにできない。兄弟はその状況に見て見ぬ振りをして助けないくせに死んだときの遺産相続には出張ってくる。死んだ父親にあまり似ていないからあんたは異父兄弟だとすら言って傷つけてくる。近所のおばさん達とはあまりそりが合わないけど、家を訪ねられたらお茶を出して、聞きたくもない話をウンウン聞かなくちゃいけない。ほんとは仲良くしたくないが、田舎の人間関係そうはいかない。先立たれた大切な人が、慣れない環境でも暮らしやすくなるよう築いてくれた環境を壊す訳にもいかないから。自分のやりたくないことばかり毎日やって、本当にやりたいことにはやる気が出ずにボーッとして、鬱々と毎日を独りで過ごしてる。
1週間ばあちゃんの家に滞在して、毎日毎日こんな愚痴を聞かされた。
年取るとこうなるのは仕方ないとも言ってた。
だけどこうなってしまうと本当、なんでそんな辛い思いして生き続けなきゃいけないのかと思う。聞く話があまりに暗すぎ、救いようがない。細々と死に向かうだけの老後なんか絶対に絶対に嫌だ、こんなふうになりたくない。
しかも長生きするから経済を圧迫するし、若い人に苦労をかける上に虐げられる。自分で何も出来なくなっても介護施設や病院で他人の手によって生かされる。
なのにばあちゃんは「長生きしたほうがいい」と言う。
ばあちゃんのこんな状態見てて、 長 生 き し た い な ん て 思 う わ け が な い 。
大切な人を亡くした鬱状態のばあちゃんに、なんて接したらいいか分からなかったけど、考えすぎず気を紛らせるよう、一緒に料理をしたりなるべく楽しいお話ししたり絵を描いたりした。ちょっとでも元気になってくれたらいいなと思って色々やったけど、駄目だった。鬱は伝染する。ごめんばあちゃん。死んでほしいなんてとても言えないけど、このままただダラダラと大切な人を思いながら辛さを長く味わうくらいなら今すぐ大切な人の後を追っていく方がいいと少し思ってしまった。身内を大切に出来ないクソ孫でごめんな。
でもばあちゃん見てると老いてからの想像しても希望が見えないんだよ。長生きなんていいこと1つもない。長生きしたくない。
(トラバ):2人でいたらどっちかが必ず先に死ぬし長生きしてもしなくてもそういう悲しみはどのみちどちらかが背負う。長生きしなければ、そんな悲しみを長く持ち続けなくていいのに。長生きする意味なんか皆無。
ばあちゃんは、先に死んでしまったじいちゃんを思い浮かべながら「長生きしたほうがいい」と言っている可能性
長生きする意味を教えてくれよ
俺は100くらいまで生きてそこからサイボーグじいちゃんになるよ