僕は~~を頑張りました、これから~~をやります、~~をやっています、よろしくお願いします
こういうことをグダグダと言ったり
コンテンツや宣伝の内容から透けて見えるものが近年目立つが……
他人のこんなアピールを聞いて何が面白いのか?
自分のした芸や作品のイメージを自ら陳腐化させる意味があるのか?
「そうなんだ、自分も頑張ろう」という感想以上なにも生まないというのが想像できないのだろうか?
物事を良くしようではなくて、みんなで一緒になろうを優先するような考え方
なんでこういうのが堂々と存在感を放てるのか考えた
「文句言ってるけど自分はできるの?」
この破綻した論法ね。社会を全否定してることに気づいてない頭の悪い文句。
この文句と同じような雰囲気が、近年の社会を包んでいると感じる
「頑張ってるのは偉い」「頑張らないのはクズ」
「正義の反対は別の正義、だから悪人を責めるのは間違い、何かをやってればそれだけで偉い、何もしない奴が一番の足手まといだからクズ」
これな。
そして、本来は何かの目的を達成するための「やる」ことが、目的関係なしに行為そのものを評価するのが良いみたいな風潮も生む
だから、「やっている」体を取ることが全てになる。「辛いけど頑張っている自分、みんなと同じ、みんなそうしている」を必死に演出して
ある意味自分を飾ることが最優先になるから、その目的や中身はスカスカになる。だって二の次なんだから。
でも、他人の「やっていない」を許さない、自分が「やっていない」になるのが怖いから、弱者側に回らないとか弱者を見下すにはそうするしかない
抜きどころ、逃げ道、目的を全部一緒にするようになって、それがまずいということから目をそらしている
大体は、社畜になり感覚の狂った人々を気持よくさせるとカネになるからといって、倫理を壊すようなことを煽りまくった奴らのせいだと思ってる