2012-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20120709230204

戸塚ヨットスクールって知ってるかな

一般児童青少年向けのヨットスクール戸塚ヨットスクールにおいて訓練生の死亡・傷害致死行方不明といった事件が1980年代を通じてマスコミに取り上げられ、スクールの方針が教育的な体罰というより過酷暴行だったことが明らかになった。

1979年から1982年にかけて、訓練中に訓練生の死亡・行方不明事件が複数発生。

1982年に起きた少年の死亡に関し、警察は当初は過ぎた体罰による事故と見ていたが、遺体から無数の打撲・内出血痕跡・歯2本の損壊などが確認されたことから1983年傷害致死の疑いでスクール内を捜査。その後、指導員が舵棒と呼ばれるヨットの部材(舵取りのための道具。一部では「角材」と報道された)で少年の全身を殴打し、その後ヨットでの訓練を続けていたことがわかり、組織ぐるみの犯行として校長を含む関係者逮捕され、他の死亡事件についても起訴された。

1992年7月7日名古屋地裁戸塚宏コーチらに対して傷害致死罪を認定。戸塚宏懲役3年、執行猶予3年(検察側の求刑懲役10年)、コーチらに懲役1年6ヶ月から2年6ヶ月、執行猶予2年から3年を言い渡した。これに対して、検察側と戸塚コーチら6人が双方で控訴

1997年3月12日、名古屋高裁は「訓練は人権無視教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏懲役6年、コーチ3人も実刑判決を下した。戸塚らは即日上告。

2002年2月25日最高裁は二審判決を支持して戸塚宏の上告を棄却。これで戸塚宏懲役6年とコーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定した。起訴から結審まで19年を要する長期裁判となった。

2006年4月29日 - 満期で戸塚が出所。今後もヨットスクールを続ける意向を語った。

訓練中に発生した死亡・行方不明事件 [編集]

1979年 少年(当時13歳)が死亡

戸塚側は「低体温症によるもの体罰との因果関係は無い」と主張。病死として不起訴扱いにされた。

1980年 入校4日目に暴行により青年(当時21歳)が死亡

コーチによって暴行を加えられた事によるものとして傷害致死起訴

1982年 少年2名(当時15歳)が船から海に飛び込んだとして行方不明

体罰から逃れるために飛び込んだとして監禁致死で起訴

1982年12月 少年(当時13歳)が死亡。入校一週間で暴行を受け、戸塚宏コーチらはヨットから何度も海に落とし、死亡。この間、一切治療は行われなかった。

傷害致死起訴された。

当時13歳だった少年母親週刊現代2006年11月18日号)の実名インタビューで「出所後も焼香や謝罪は無かった。再犯が懸念される」という旨のコメントをしている。また、1982年フェリーから海に飛び込んだとされて行方不明となっている少年の父親は同じく実名で「息子が本当に船から海に飛び込んだのかどうか未だにわかっていない。本当は突き落とされたのではないか」とコメントしている。

2006年10月 - スクールからいなくなった訓練生の25歳男性が、知多湾で水死体となって発見される。

警察自殺事故の両面で捜査を行っていると報道された。男性うつ病で通院中であり、父親もスクールで共に寝起きしていたが、目を離した隙にいなくなり、スクールから3キロ離れた地点で水死体になって発見されている。同男性遺体に目立った外傷はなかった(2006年11月7日現在新聞報道による)。

2009年10月19日戸塚ヨットスクールの寮内にて、訓練生の女性が寮の3階より飛び降りて死亡した。愛知県警半田署は自殺とみて捜査している。

2011年12月10日戸塚ヨットスクールの寮内にて、訓練生の男性が寮の3階より飛び降りて重傷を負った。愛知県警半田署は自殺未遂とみて捜査している。

2012年1月9日戸塚ヨットスクールの寮内にて、訓練生の男性が寮の3階より飛び降りて死亡した。愛知県警半田署は自殺とみて捜査している。

こういうやつらが石原慎太郎はじめ多くの国民に支持されている。

大津は単なるスケープゴート

日本のある部分には、こういう体質が染みついてるんだよ。

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