(格納容器ではなく)圧力容器の破損は確定したということだろうか。東電も原子力安全委員会もそのことに触れたようだ。
asahi.com(朝日新聞社):2号機建屋の外から1千ミリシーベルト 圧力容器損傷か - 社会http://www.asahi.com/national/update/0328/TKY201103280198.html
原子炉圧力容器、破損の可能性 「大変憂慮」原子力安全委 - 47NEWS(よんななニュース)http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011032801001009.html
これまでの状況から十分疑われることだったが、いざこうやって突き付けられると、想像以上に動揺している自分がいる。圧力容器に
何を期待していたのだろうか。
http://togetter.com/li/116057 で言及された、今後数ヶ月以上に渡りダラダラと放射性物質を垂れ流していくシナリオはますます現実味を帯びてきたように思う。昨日の段階でも既にIAEAが数ヶ月かかる可能性について言及している。
IAEA事務局長:福島原発危機、「終結には程遠い状況」-NYT紙 - Bloomberg.co.jp
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=aSnKV7wxDcwg
今後も降雨や風向きにより放射線値が上がったり下がったりを繰り返し、不安に駆られた人々の起こす小パニックとそれを取り巻く人々の(やっかいな)善意が繰り返されていくのだろう。自身はこうした状況から距離をおいたつもりでも、長く続く非日常はすべての人を蝕んでいくに違いない。こんな文章を書いている時点で、どうやら私も蝕まれつつあるようだ。
先の大戦で戦時下の人々もこうした不安と戦いながら生活を送っていたのだろうか。この震災で我々も非日常を日常とし生きていくことを余儀なくされるだろう。
しかし東京および周辺ベットタウンにさし迫った命の危険はないし、実態のある生活の危機もない。
直接に地震やそれに続く津波の被害を受けた地域では、瓦礫を除ければ遺体が現れ、消えた肉親、娘や息子や父や母や妻や夫の居場所もわからないまま、住処を追われ、東京とは比べものにならない非日常を送らねばならない人たちがたくさんいる。
人はなくした肉親を求めさまよう他人より、少しだったとしても健康被害を受けるかもしれない我が身、我が子が大事になってしまう生き物である。それが生存本能に根ざしたものか何かわからないが、逆らえぬ性なのだろう。