はてなキーワード: たにしとは
「7歳が一人で入れるか?」っていうけど、8歳が1人で入れるなら7歳が1人で入れなくても7歳までで問題ないのでは。
ちなみに俺は7歳まで(小学2年生の誕生日前日まで)で良いと思ってる。
8歳以上(小学2年生の誕生日以降)は1人で入れる。小学校での集団生活で着替えを身につけてるからな。
学年ではなく年齢で分けるのは、8歳までは1年の成長の差が大きいから。2年生の4月1日は、7歳364日だったり7歳1日だったりするが、7歳1日で、しかも学年内では年下としてリーダーシップを任されにくい3月生まれまで一人にするのは憚られる。
早い女子の二次性徴が8歳から始まることからも、8歳から男女別というのが丁度良い。
いずれにしても、この議論は7歳なのか8歳なのか9歳なのか10歳なのか(あるいは学年なのか)という細かい議論こそが必要なのに、3歳児も10歳児も一緒くたにして可不可を論じるヒステリー女やアンチヒステリー女どもは頭が悪い。
マイナンバーカードをいくら健康保険証と抱き合わせにして、無理矢理使わせようとデジタル庁をはじめ政府はやっきになってるけど
・そもそも建前であっても『取得は任意』となってるものに抱き合わせさせるのがおかしい
・申請時又は受取時のどちらかで必ず、平日に役所詣でしないといけない自体が煩雑でしかない
・デジタル機器全般に疎い人、障害者や認知症などで暗証番号やパスワードへの認識や使用が難しい人に、交付時に機器へ入力してもらうのだけでも煩雑で大変な作業になり、受け取れたにしてもその後マイナンバーカードを何かの機会に使ってもらうのが単独ではまず無理
・申請に使用する写真も、車椅子のヘッドレストが写りこんだだけで却下にする厳しさのくせに、フェイスガードに写真を貼り付けた程度のお面様のもので顔認証が通るシステムのザルさ加減
・健康保険資格とマイナンバーカードの紐付けのミスが未だゼロにならないために、病院では特に、初診時にマイナンバーカードの認証だけでは受け付けてもらえず、紙ベースの健康保険証の提示を求められる事が多い
・紐付けが間違っていた時に、紙の健康保険証などで健康保険の資格を確認出来ないとき、資格が無い人と同様に窓口で費用の全額支払いを求められる事が多い
・マイナンバーカードの一番出番が多いだろう病院でいちいち、認証のためにマスクをはずすか、認証機器の画面をタッチして暗証番号を入れ、医療情報の提供承諾やら何やらで液晶画面をペタペタ何回も触らないといけない
・マイナンバーカード紛失時の手続きが、健康保険証に比べて非常に煩雑かつ時間がかかりすぎ
…ざっと今まで見聞きしたのも含め思い付くだけで様々なデメリットがあって、むしろ多すぎて時に嫌な思いもさせられるのに、逆にマイナンバーカードを使うことで何か目に見えるメリットが一般市民である私が感じたかというと、正直無いし、世間での利用率の低さもその証左なのでは?と思うよ
そもそもがシステムが理解できず使いにくくて困ってる人が相当数いるのに、使えるように寄り添ってサポートを厚くするなどの方策を取らずに、薬局や病院の窓口の人からプレッシャーの様に使用を要求させるところに費用を充てこんで何とかしようという、政府のふんぞり反りっぷりに一番腹が立ってるんだよな
まー何にせよこんなやり口じゃあ多少利用率を上げたところで、政府の思うような良い流れにするのは無理でしょー
御愁傷様でした(笑)
母親がパワーウィンドウを操作して後部座席にいる2歳の子を死なせた事故のブコメ欄
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/f9966c4ccc374fc88babbb50175a9ea844c99638
同ニュースのブコメ欄はいくつもあるが、どれも数ブコメばかりで、いちばんブコメがついてるのが上のニュース。
上位ブコメに母親を責めるものは一切なく、「やるせない」「技術で防げ」「憶測で叩くな」「本人が一番後悔してる」と、
車の仕組みが悪い、母親を責めるな、という同情的なブコメばかり。
いっぽう、数年前にあった、父親が後部座席にいる2歳の子の存在を忘れて車内で死なせた事故のブコメ欄を見ると…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASN6K7F64N6KUJHB00L.html
「送ってく時に寝ちゃったんだな…とゲスパー」「これは忘れたんじゃなくてあえて置いてったみたい」(←違う。実際は置き忘れ。父親を不当に強く責めたいがための嘘捏造ブコメ)
「ありえないだろう。ネグレクトだ」「 ネグレクト親対策を。不注意だろうが、乳幼児を車の中に放置することは虐待だ」
特に酷いのが、
「母親の気持ちを思うと…仕事に出てたら娘が自分の夫に(故意ではないだろうが)殺されてたっていう」
すごいよね。
母親が子をうっかり死なせたニュースでは、絶対に「父親の気持ちを思うと・・・仕事に出てたら娘が自分の妻に(故意ではないだろうが)殺されたっていう」 なんて父親の気持ちを慮り、母親を責めるブコメは付かないのに。
実際にパワーウィンドウのニュースにはそんなブコメは一つもついてない。
父親が死なせたときだけこんなブコメがついて、数十もの賛同者がスターを付けるのである。
母親が死なせたときは「憶測で叩くな」「そんなニュースとして報道するようなことか(報道するな)」とブコメがついてスターを集めるのに、
父親が死なせたときには「憶測で叩くな」「ニュースとして報道するな」なんてブコメは付かない。
むしろ積極的に「うっかりでなくネグレクト、虐待で死なせたんだ!」と憶測を超えた邪推をしてまで父親を叩くブコメがつき、スターを集めてる。
そもそもの傾向として、父親がうっかり子を死なせた事故にはたくさんのブコメがついて注目を集めるが、母親がうっかり死なせた事故にはブコメが少ない。
すっごいよね、はてブ。とにかく男には厳しく、女には同情して甘く甘く。ダブスタの極み。男女逆にしたら成り立たない言動ばかり。
こんな連中がいう「男女平等」が実現したらどんな世の中になるか、恐ろしいよ。
はてブにいるフェミニストや「男女平等論者」の主張を実現させてはいけないと思いを新たにしてしまった。
ブコメで「チェリーピッキングだ」「たまたまだ」なんて言い逃れブコメがついてるけど、はてブの男性差別志向(女びいき)が指摘されるのは今回が初めてでなく、これまで何度も繰り返し指摘されて続けてきてるんだよなぁ・・・
https://anond.hatelabo.jp/20210205102112
https://anond.hatelabo.jp/20220113170251
↑100%妄想で男性を攻撃するブコメにスターが多数集まっている現状に苦言を呈する増田
https://anond.hatelabo.jp/20220416030651
↑女性の選り好みの原因を男性に責任転嫁する捏造ブコメがスターを集めてる指摘増田
https://anond.hatelabo.jp/20230510094221
家族が被害に会ったんだったら、家族に対して同情したり家族に対して加害したやつに対して憤慨したらいいじゃん
家族も増田を日頃からバカにしてるんだったら「ざまみろ」でもいいけど。
https://anond.hatelabo.jp/20240516103758
たぶん、バーチャル含むYouTuberの収益手段が多様化していて、それぞれが思い浮かべるものが全く違うので会話が噛み合ってないんだと思う
元増田が思い浮かべてるのは、おそらく大手事務所とかに所属してる、配信もすれば楽曲も出すしライブもやる、他企業とのタイアップやグッズも出す、みたいなやつじゃないかな
それはそれで本来の意味での正統派なVTuberなんだけれども、最近はそれ以外にも、夜職や風俗嬢が本職の営業のために活動するタイプのやつもあるわけ
ラップ(さっきとったやつがやぶれてなければそれ、なければ新しいの)かける
お皿に油が溜まっているので別皿にとって冷ます
レタスも合う
グレープフルーツは塩をまぶして洗い流す。手も同時に洗う。皮の外にぼうばいざいイマザリルがまぶされているからね。
厚い皮に十字の切れ目をいれてむいて二つにわってそれいじょう分解させないまま薄皮の袋の閉じ口にナイフ一筋いれておやゆびでむきとる
イマザリルがあることを気にしているとそれ以外の方法が信じられん
だがグレープフルーツはさのうがよわい もっとよわい柑橘もあるが
最強がはっさく、つぎが不知火デコポン、 つぎが伊予柑グレープフルーツネーブルオレンジうんしゅうみかん文旦、次がオレンジ、最弱はあの黄色っぽいやつ(サンフルーツとか?おぼえてない)
めんどくさいときは皮あらって半割にしてレモン搾りでしぼってジュースにしてもまあうまい
文旦は苦い デコポンは歯ごたえが堅い 伊予柑は至高だがすぐ水分が逃げてスカスカになる、というわけでグレープフルーツだな
ポンジュースあけようかなあ
観賞した増田だよ。
なるほどー、いや道理で、即興で作ったにしちゃすごいちゃんと俳句になってるなと思ったんだ。(あなたがその場で即興で作ったもんだと思ってた)
季語の使い方が良かったし。
現代俳句ってことで、こういうトラディショナルというか「普通」の、書かれていることを現実の風景そのものとして読み取ろうとするやり方じゃなく、別の読み方もありそうだってことは言っといた方がいいかもと思った。
魔法少女を告白するというアンリアルな状況、を想起している自分。その時に触れた雪。こういう対比になるかもしれない。そんな秘密を抱えているような自分でいたかった、というような「違った自分」への羨望が感じられる。
または順序を逆に、「雪を見た」、その雪が「アンリアルな状況」を想起させた、ということかもしれない。雪をきっかけに、アンリアルな想像が生まれた、という流れ。
想像がアンリアルであればあるほど、現実にある(のだろう)雪やその冷たさとの無慈悲な対比が生々しく感じられるね。
この人は、そういうアンリアルな想像をしてしまうほど、自分の人生が嫌いだったのかも。ぶっ壊したいと思っていたかもしれない。そうだったらどんなに良いだろう、とか。夢のある世界ではなく現実で小さく生きている自分に嫌気が差している、とか。そこにはやけっぱちさも、寂しさも、哀しさもあると思う。そういうネガティブな感情に、想像の世界でぶつけて相殺してくれるだけのインパクトをもった存在が、「魔法少女」というものだったんじゃないだろうか。そういうことを直観したよ。
そこに並び立つのが、季語の「雪」。ああ、なんて無情なんだろう。この雪は、子供がはしゃいで喜ぶような雪景色ではなく、重たく靴にへばりつくじゃりじゃりと融けかけた雪を想像するね。まるで忘れたくても忘れられない自分の過去みたいだね。なすり付けられて落ちない汚れのような雪だよ。楽しい想像をしなければやっていられないような雪。アンリアルな想像に身を任せでもしなければ、やってらんない雪。
もちろん、人それぞれの読み方でいいんだと思うけど、まぁ一例としてね。こんな風に読めたよ。
たまに俳句を作っては思う
俳句って難しすぎない?ってね
これを入れたいな、例えば美味しかったを入れようとする。おいしかったは6音
11音じゃすっごく足りないのだ
例えば私が好きなな短歌
「野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた」
俳句は短すぎる
それに季語が枷になるのもある
季語は5音、7音、それ以上いずれにしてもそこで
まず音数を消費する。
装備枠が決まっているのに、必ずこれは装備しなければいけない状態なわけで
そりゃ無季語俳句もあるにはあるけど、初心者がそんなことやったらただの川柳になるのは目に見えてる
だから季語をどうかして入れてみるけど、入れたところで俳句にならない!ってのがよくある
こんな感じのだってまるでバカみたいだなと思うけれどこのめちゃムズの俳句と戦ってくれてると
考えるとそれだけですごいなぁと思うわけで
って奴がたまにいる。ムズムズする
となった一句です
でもSTEAMやニコニコ大百科でこんな話したら可愛そうだからココに書くことにする。
最初に逝っておくが、俺は最初の10人だけ対応した所で愛想が尽きたので「それ、後半になるとタネ明かしされるよ?」ってことなら誤る。
カメラを止めるなを10分の所で退場したアホと一緒だという烙印を押してくれていいよ。
マジでコレ。
俺がこのゲームに不満がある最も大きな所はコレ。
怪奇現象だって相談されて、本当にごく一部の違いを当てるゲームなんだけど、その違いを当てたら相手が素直に引き下がってお礼を言うんだよね。
相談ダイヤル「 ”メリーさん”じゃなくて”メアリさん”と名乗っていたので、それはただのストーカーですね」 ←え?これで納得できる?
「ちょっと決め台詞や名前が違ってたからって何だよ!俺は呪われそうなんだよ!」ってなりませんか?
イタズラ電話でやってたにしても、そこら辺は食い下がったりしません?
じゃあどうしたらいいのかって?
たとえばその場では「は!もう相談しません!呪われたらお前を呪ってやる!」→後日「ごめんなさい。友達のイタズラでした。相談ダイヤルを試してみたくて俺を巻き込んだんだってよ。一発殴ってやったよ。疑って悪かったな」みたいな感じでもよくありませんか?
なんかこう入り込めないんですよね世界観の作り込みが雑だと。
怪奇現象だということを肯定したらしたで、証拠情報の集め方が足りないとキレられるんですよね。
別によくない?
「そっか!やっぱり怪奇現象なんだ!早くプロにお祓いを頼みますね!」みたいになりません?
なんなん?
たとえばですよこれだって「専門家に行ったら全然違うって言われて恥をかいたぞ!相談料もちょっとかかった!授業料だと割り切って弁償しろとは言わないでやる。でも、お前らは信用できないって言いふらすからな!」みたいに後から言わせるとか出来るんじゃないですか?
いやマジで謎。
本当に怪奇現象なのかどうか知ってるなら相談ダイヤルにかける必要なくないですか?
なんで相談者のほうが正しい答えを知ってるの?
元ネタの『Papers, Please』の場合は通して良いか悪いを誰がいつどう判定したのかはブラックボックスになってるんですよね。
監視カメラとかダブルチェックとか業務日誌を見られているとか警察が捕まえてから判明とか色々考えられますけど、とりあえず何が起きてるのかはわからないんですよ。
対してこのゲームは「怪異かどうかを外すと依頼者が怒り出す」という形にしてる。
ええええええええええええええええええええ?????????????????????
そうなっちゃ駄目でしょ。
なんかもうちょいどうにかならなかったんですかね?
『Papers, Please』のマネっ子で、判定成功失敗についてはその場ですぐ分かるようにしつつ依頼者が怒る演出は次の日の新聞だけで済ますとかでもよくないですか?
相談ダイヤルで判定に失敗したら妖怪に襲われる仕組みになっているとかそういうのでも別にいいです。
「なぜか自分が怪異に本当に遭遇したのかを依頼者が知っていて怒り出す」はマジで意味不明。
結局のところ、このゲームの何がよくないって、『Papers, Please』からの換骨奪胎が上手くいってないことなんですよ。
『Papers, Please』のゲームシステムはあの設定だから成立してたし、それで成立するように細かい味付けを調整してるわけです。
でもこのゲームは『Papers, Please』のシステムを踏襲したうえで「怪異に遭遇したかどうかを判定する電話相談」という設定にそぐわないようなシステムになってるんですね。
その矛盾を埋めようとせず、むしろ矛盾をさらに広げるような方向にシステムを調整してしまっている。
ぶっちゃけね、ちょっとしたスパイスを加えれば十分解決できるよなものを放置しまくってるんですよ。
依頼人が何故か結果を既に知っているというシステムになんてしなくても「怪異相談ダイヤルに住み着いてる妖怪がいて結果だけを教えてくれる。失敗した時に嘲笑うために」みたいな設定をひとつまみ加えるだけで私の不満点は解消できたわけです。
そこを掘り下げれてないのが本当に気に食わない。
お前本気でこのゲーム作り込む気あったのかよと思ってしまうわけです。
そもそもをして『Papers, Please』の次々にルールが増えていって煩雑になっていく馬鹿馬鹿しさと、無数の怪異がいて検索をかけて調べなきゃいけない面倒くささってなんか一致してないんですよね。
『Papers, Please』の何を面白いと感じてこの形にしたんだよと。
メリまで入れたら「メリーさんの電話」が出てくるようにしろと。
そして、序盤のうちは出てこない怪異なら序盤は検索に引っかからないようにしろと。
段々と面倒になる『Papers, Please』の面白さを再現するならそこだろと。
序盤はあんまり種類の多くなかった怪異がドンドン増えていって、ドンドン考えることが増えていく、そもそも怪異がドンドン増えている事自体がなんか嫌な予感がすると思ったら、悪いやつが都市伝説を広めることで恐怖を煽り集合無意識の力で怪異が量産されていたのだー!みたいな流れを作れと。
ほんまなんなん?
『Papers, Please』の何が好きでこのゲーム作ったんだよと言いたくなりすぎる。
と俺は思ったけど、好きな人は好きなんじゃないですかね。
じゃあ成仏するわ。
かつてこれ
https://anond.hatelabo.jp/20231107155841
”感情では熊絶滅してくれたらいいのにと思う派だけど、集落襲撃と違って、人の娯楽(山菜採り渓流釣)のために熊駆除するのは違うと考える。私はソロ登山やるから切実だけど、運が無かったと思う事にする。”
このブコメが傲岸すぎて泣いちゃった。
”投稿者がいみじくも書いた、山菜採りと釣り。その延長線上で、熊の親子は駆除される。釣り合いますかね? まぁ、山菜と魚を絶滅させれば問題解決だが。”
は単にマジでなんもわかっとらんのやな思うだけやからええけど山登りしとる人が自然と人間との関わりとしての正解のように書いてまってるように思えてまったのがごめんやけどなんやひっかかってまった。
いや違うな、ワイは娯楽で死ぬ覚悟はできとるけどこのまとめの人らは娯楽でやっといてそれができてへんのやね、いう文意やろか思てムッときてまったんやな。
”田舎生まれの人は分かると思うけど、こういうとこ通らないと生活できない地域も普通にあるし、山菜取って食うのも文化だし、そう簡単に「人間の領域」と「熊の領域」の切り分けはできないよね。”
もしかしてワイが非表示にしてるコメの中にヒグマなど皆殺しにすべし、いうような過激なことを書いとる人がいて、その人に向けて書いとるブコメならごめんやで。
でもそうやないとしての話やが、このブクマカさんがどこに住んどってどんな暮らしをしとるかはわからんけどこの書き方からしてきっと山からそれなりに離れた都市部の人やと思う。違たらほんますまんやで。
そうでなければ襲撃されることが稀である「集落」と人間が分け入ってはいけないクマの領域「山間部」が離れていて「生活」と「娯楽」が切り離されている前提で話さないやろうと感じるからな。
きっとブクマカさんがソロ登山をするときには何かしらの交通機関もしかしたら自転車やらかもしれんけどそれらを使って山へ行って、そこからさあ登るぞってことを月に数回とかするのやろか、と想像するのやけど(違ったらごめんやで。)、そういう感じやと普段の生活に山やクマの息遣いというのは入ってこないんやろから仕方ないんやけどヒグマに遭遇するような暮らしをしとる北海道民の多くは「家のすぐ裏・ちょっと歩いたとろにヒグマがいる山や森がある」って感じの人が多いと思うねんな、いうかワイがそうなんやけど。
そんなのよっぽど田舎か山間の方の話でしょ?wて思うかもしれんが、田舎どころか政令指定都市である札幌市においては南区・西区・中央区・清田区は本当に山がちな地域が多くそのすぐ裾野までびっしりの住宅街が連続しとるいう感じやって都会においてすら北海道ではほんまにヒグマの問題は身近でありかつそこに代々暮らしとる人間にとっては「山菜取り」は文化以前に普通に生活なんよね。
これらの区を繋ぐ道は件の林道よりはそれは都会的ではあるけどや、鹿も通れば狐も通りヒグマも横切る山の中の道でこれを遊びで通る以外の人の方が多いことは市内、どころか北海道民ならだいたい当たり前にわかっていることやと思んやね、生活ですよほんまに。それ以外のなにもんでもなく。釣りはようしらんからごめんやで。やらんからな。
ワイはヒグマ怖いから絶対山に入らんけどワイの前の世代、その前の世代はあたりまえに春になれば山菜取りが生活の一部である人が大勢おり、それを知らん人が自分の知っている自分と山との距離感を当てはめて娯楽といってのけるのはなんとも…やし、そういう地域の住人がのべつまくなし被害に先んじて山林にいるヒグマらの駆除を望んでいるかといえば全然違うんよね、やからヒグマにおびえながら被害に遭わないよう気を付けて暮らしているわけですわ。
例に出しとる行為と同列のものとしてご本人さんが出しとるから「娯楽」と書いてええと思うけど、そうやって度々のソロ登山をたしなむ人が「生まれたときから毎日家の真裏にヒグマのいる山がある」立場の人のなにを判断できるのだろう、後者の人は前者の人より命を落とすかもしれないことへの覚悟がキマってない、いうふうにとれる物言いはほんまにになんやちょっと…傲慢やない?と居住民としては感じてしまったわ。
去年はエサ不足(竹の花が咲く周期とも関係あるとも言われてるけどどうなんやろな?)でヒグマは例年以上に札幌市内のあちこちに出没しとって、もちろんそれ以前も普通に出没しとって周辺に住んでいる人間はみなそれを警戒して暮らしとるよ。
山の近くの小学校に通う子はたまにランドセルに鈴つけとる子もおる位や。
https://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/syutsubotsu/
この地図
https://www.google.com/maps/@43.1620553,141.1140322,9z/data=!4m2!6m1!1s1IdKI30huZBf56kXAdzwugZ-JcN5Y35QH?authuser=0&entry=ttu
をずいっと拡大してもらうと、いかに市街地と山が隣接していてその境目が曖昧であるかということがわかってもらえる思う。
一歩下ればすぐ車通りのある車線の多い大通りいう民家の前の道に親子のクマが出没して防犯カメラの映像に捉えられニュースになり、「遊びで山に入」らなくても本当にヒグマとの遭遇は日常的なものだという恐れやら覚悟を新たにしたとこなんよ。
山間部やない東区の住宅街にも出没し住民がケガを負ったこともあるしあれも決してその年だけの特殊な状況ともこれからは言えんと感じるわ。
本州の方も良く知っとるやろう藻岩山や朝日山大倉山、定山渓の周辺なんぞまさにクマのメッカのようなとこやしおなじみ白い恋人パークからほんのちょい南に上った山裾の住宅街にもヒグマはたくさん出よるねん。
ほんでそれは多くの住民のすぐ「家の裏」なのであり、生活の場の中いうか一部に内包されとんねん。
札幌市では来年度から山の際の市街地に箱わなを設置するとのことやが
https://www.fnn.jp/articles/-/686749
山から出てしまったヒグマに対する措置やろないうとこやし実際どれだけのヒグマが箱罠にかかるものかというところで、前述のような住環境において住民の命を守るためには決して積極的ではない対応やとワイは思うわ。
札幌は田舎やんかw言われてしまえばそれも間違いないんやけど田舎に限らずヒグマの脅威というものは常に隣にあるもんで、命を失う覚悟もなく甘々の環境で暮らして遊びほうけとるもんでもなく「運が無かったことにする」では済まない毎日があるいうこと少しだけもしここへ住んどったらどうやろワイ・・・て想像して考えてみてほしいんやで。
その上で誰も積極的にはヒグマなどみな死んで滅んでしまえばええねんとも思ってないいうことは特に書いておきたいのや。
そう強く感じとる人間がようけおったとして内心はブクマカさんも書いてるような気持ちと同じやとしても、結果として出力されとらんとこはワイらも同じやねん、たとえブクマカさんより遥かに遭遇する確率が高い日常を送ってたとしてもや。
前述の増田の通りワイはヒグマが怖すぎて泣きそうやからまだ引っ越し資金をためとるで。
そして今これを書いてから泣きながら家に帰るところや。
今思い出しても腹が立つ。
しかし、人間関係に波風立てても良いことないので思いを書き出して供養しておく。
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私と苦手な彼は同じサークルに所属しており、会員は皆イベンター的な側面を持っている。
そこで私は苦手な彼と出会った。
初対面から苦手な人だな〜と思いつつも、同じサークルにいるから当たり障りなく過ごしていた。
苦手な彼と言いつつも彼は悪い人ではない。
私は苦手な彼の軽口に傷つけられた経験があるので、個人的には発言にもう少し配慮があると良いなと感じる程度。
苦手な彼は別サークルで仲良いグループ作って遊んでるから、私が苦手な側面であっても他の人は気にしない側面かと考え、深く考えることなく距離をとって過ごしていた。
サークル内で「何々が大変だよね〜」とか雑談してる時、「俺のイベントは、あなたのイベントよりも100倍進行が大変」(要約)と軽口を叩かれた。
良い大人だからとその場はスルーしつつも、腹の底に押さえきれぬ怒りを抱えてその日の活動は終えた。
苦手な彼のイベントは、事前準備も大変だし当日もリアルタイムの即興対応の負担が多く管理が大変だ。
私のイベントは、事前準備も同様に大変だが事前準備で大部分は管理できる範囲な大変さだ。
ただ私は、今もハラワタが煮えたぎっている。
感情的な側面としては、私も工数かけて準備して皆が楽しめるようイベント開催運営に腐心してる事実に対し、私の行動が矮小化された気持ちになり私の大変さは大したことでないと、否定された気持ちになった。
それぞれが大変と思ってることに対して、比較する必要があったのか?
反論できたろう。私の大変だと思った内容を理解を図るため、言葉で伝える選択肢もあったろう。
ただ私は伝達する気持ちにもなれなかった。
苦手な彼とは同じサークルで顔は合わすだろう。
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今回を振り返ると、私は議論が苦手なのかも。
最近仕事では、目的をもって良い選択肢と行動を取るために話し合うスキルを獲得できた。
しかし、今回のように答えのない事柄に対して、相手を説得し合う言葉の応酬するスキルがないのかもしれない。
いや違うな。自分の好きなイベントを議論して自分のイベントを否定されるような結論の可能性もありうるから、結論を出したくなかったのかも。