はてなキーワード: まりとは
>ただまあ、これは、戦略的に見れば防衛、時間稼ぎにしかならんかったわけですが。
そうだね、頑張ったねそれは褒めてあげる
で?それ何のため?
作戦戦術レベルで「日本軍が長期にわたり善戦敢闘し得た」代償として沖縄県民の4人に1人が死んだけど
たくさん死んだ沖縄県民は何を得た?
沖縄の反戦平和運動。「反戦平和運動」って言うからぼやけて見えるけど、あれの本質って「国家への不信」なのよね
だからあの人たち、何言ってもNOとしか言わないでしょ?理詰めで説明してもキチガイみたいに反発するでしょ?
なぜならあの人たち大日本帝国政府と陸軍海軍の無能さ無責任さで家族を殺されたって思ってるからね、その後継である日本国と自衛隊も信用されてないのよ
だからお前みたいな下級のアホ元陸が「沖縄戦を善戦と考える陸上自衛隊の考え方を説明」しても論点ずれて無意味どころか、国内の分断を強めて日本国にとって有害なのよ
分かったら二度とスズメ並みの脳みそで程度の低いごみを書き込むなよ
https://x.com/OKB1917/status/1476722113457573889
Twitterで盛り上がる「基地があるから攻撃される論」については、国民ないし為政者という観点から語るのか、地元住民とか個人という観点から語るのかで随分と違う筈なので、あまり互いに互いを馬鹿にするようなことを言うべきでないと思う
特にこの話の発端は沖縄のナショナリストっぽい人達であり、そもそも彼らは沖縄が日本の一部であることが気に入らないので、そもそも話の位相が合っていない可能性が高いし、それだけにかなりデリケートに扱わないと日本としての政治的・領土的一体性に禍根を残す
つまり基地があるから攻撃される理論はごくミクロには正しい場合があるが、個別のミクロはマクロな全体の一部であるのだから、という論理で国防や安全保障はできているので、そのマクロな繋がりを担保する国民統合の原理というか要は「私らニッポン人」感というのは余程慎重に扱わねば
相棒で女性の一人暮らし宅に「写真立てが無い……妙ですね」て言ってて、しゃ、写真、立て…………???となった女性一人暮らし
実際にこのようなくだりは存在しなかったのではないか?という疑惑がある
あれだけ再放送の多いドラマで熱心なファンも多い作品であるにも関わらず、「どの回だっけ?」 「そんなのあった?」 「ググったけど分からない」というばかりで具体的にどの回だったか誰も分からないのだ
X以外の場所で有志に質問してみたところ、それはおそらくseason2(2003年放送)の「ベラドンナの赤い罠」 ではないか、という指摘があった
https://thetv.jp/program/0000001095/1/
家の中に女性とその父親の写真がたくさん飾ってあるのに母親の写真が一枚もないことを右京さんが奇妙に思い、それが事件解決のひとつのきっかけになる、というくだりがある
それをながら見して聞き間違えた上に「寂しい女の一人暮らしなら写真を飾って少しでも華やいだ部屋にするものだ、そうしないこの女性はどこかおかしい」というニュアンスで脳内補整してしまったのではないだろうか
そう勘違いしたとしても2003年放送のものであれば画質的にかなり昔の回であることは明らかで「昔のドラマってこんな酷い台詞があったんだね」と受け止めるのではなく「ちょっと待って!今こんなこと言われたんですけど!ショック!!」と言う風なリアクションを取るのは色々違和感があるが
聞き間違いやうろ覚えのまま批判的なツイートを垂れ流す人ならそのくらいのことをしてもそれこそ妙ではないのだろうと思う
ツイートを見た人の中には、
「写真はカメラで撮ってプリントするのが一般的だった時代の初期回の再放送ではないか」
「以前は置いてあった写真立てがなくなっている、といった何かしらの前提があるのではないか」と推測している人もいたが
中には2024年の今、相棒の最新シリーズが放送されていると勘違いした上で右京さん(とテレビ朝日のドラマ班のスタッフ)があまりにも古い価値観で女性への偏見を垂れ流していると思い込んでカッとなり批判している人も多数見受けられる
また、「私は自分や家族の写真は飾っていないけど推しの写真は飾っている」とグッズ自慢をする者、
「コナンくんや金田一もよく変な認定するよね」と探偵あるあるを語る者もいるが
もうひとつの意見、それは元ツイートは『相棒』ではなく『臨場』の一場面ではないかというものだ
2010年5月26日に放送された回で、刑事たちが亡くなった女性の部屋を捜査するとあまりに殺風景で中でも写真類が一枚もなく違和感を覚えるシーンがあるそうだ
原作小説が描かれたのは2002年でそれを踏まえるとそこまでおかしなやりとりではない
ここまで伸びているツイートだが投稿者は特に訂正や補足をするつもりはないようだし、「ベラドンナの回ではないですか?実際のやりとりはこうですよ」だとか「相棒ではなくて臨場だと思いますよ」といったツイートはおそらく全く伸びず
「右京さんが酷い発言をしていた」ということだけうっすらと皆の記憶に残り、何かの折に「でも確か相棒って独身女性への偏見を助長するドラマなんでしょ?w」と嘲笑されるのだろう
「半年ROMれ」と共に「ソースを出せ」という言葉も失われつつあることを感じることが多い
「確かめる」という行為はコスパが悪く、「調べる」というのは必死になっていて馬鹿馬鹿しいと冷笑される行いで、
信頼に値するものは「広まっているかどうか」で、広まっているんだから真実なんでしょう、と受け止められてしまう
ガレソだって普段あんなに嫌われているのにふとした拍子に信じ込まれてしまう
嘆かわしい!……といいつつ、「写真立てのくだりって再放送の度に突っ込まれてるよね~」というようなツイートも見かけたので本当に存在している回なのかもしれない
少子化対策としての女性の就労制限の話って基本所謂「日本的雇用システム」の復活じゃないの?
つまり一般職で新卒採用された35歳定年の女性が総合職等の基幹労働を担う男性との結婚や出産を期に退職し、子育てが一段落したところで「主婦パート」として再び労働市場に戻る…というようなサイクル
これなら別にそんなに矛盾しないのよね実際これで (指摘してるように非難されるぐらいは) 一回当ててるのだし。再現可能性には疑問があるにしても
それはありふれたイベントであるはずだった。子ども連れはその辺を普通に歩いている。知り合う人々には必ず親が居る。子育てについては日々たくさんの議論が交わされている。妊婦さんがこの世に命を送り出すこと、それは特別でも何でもない日常の出来事だ。そう思っていた。
とんでもなかった。
何が私の考えをかえたのか。
痛みである。とんでもない痛みに襲われたせいだ。
陣痛というものを知らなかったわけではない。痛いんだろうな、ときちんとビビっていた。下調べもイメージトレーニングもして、痛みに耐える覚悟はしていた。だけど私は陣痛を理解しているわけではなかったのだ。うっかり知っているつもりになっていた。
経産婦の皆さんは言う。「そりゃ痛いよ、でもみんな何とかなっているから」、「もう覚えていないなぁ、だからふたりめも産めちゃう」と。つまり、耐えられない痛みではないのだ。私は自分を鼓舞した。
そしてむかえた出産当日、私は吠えた。冷静な頭のまま、しかし狂ったように叫び声を上げていた。もう狂ってしまいたかった。意識がとんでしまったら楽だったのに。
大声を出して何になる、と自分にドン引きながら、それでもただひたすら叫ぶしかなかったあの時間。耐えられない痛みではない? 嫌だもう耐えたくない! 痛い痛い痛い逃げたい! どんなに吠えても誰も助けてはくれなかった。
実際、私は耐えて産んだわけだ。それでも「耐えられない痛みではない」とは絶対に表現しない。痛いもの。おかしいよ。人間なのに、動物だった。
世の母親達は本当にしれっとこの痛みを経験しているのか。信じられない。実は痛みを減らす裏技でもあるのではないか。
この陣痛というものを、当たり前のように受け入れているなんて今は一体何時代なの? そうか、令和は別に新しくないのだな。未来から覗いてみれば、私達はきっと古代に生きている。長い人間の歴史の最先端なんかではないのだ、令和は。そこそこ古い時代に居るんだ。
その証拠に、分娩方法が昔とそうかわらないだろう。傘の形態と同じである。高度な医療が発展しているはずなのに、出産は辛いままなのだ。出生率が減るのも当たり前である。
せめて妊婦を、経産婦を労おう。ジェンダー論や政治的配慮なんか置いておいて、とにかく陣痛に立ち向かう度胸に対して、みんなで拍手を送ろうよ。
意地悪なおばちゃんも、炎上しちゃうギャルママも、あの痛みを経験したのだと思うと頭が下がる。
出産を経験して、私は母に心から感謝することができた。訳あってほぼ絶縁している実家に、子どもを産んだことを伝えた。久し振りの連絡であった。たどたどしいやり取りを交わし、でんわを切った。ショートメールに彼らの孫の写真を送った。
私を産み落とすために、あの痛みに耐えてくれたのだ、と心が震えた。
「痛いのに産んでくれてありがとう」
そのセリフは、出産後に私が子どもにかけたそれと同じであった。
しまった、出産は素晴らしいという締めになってしまいそうだ。やりがい搾取は良くない。痛かったよ。あの痛みを当たり前に妊婦さんに押しつけてはいけない、そうだろう、と問題提起をしておく。
どう考えても躾ができてないだけ。犬も人間も同じ。躾ができてないから何をしても良いと勘違いする。
じゃあどうすればよかったのか。
「なんで俺が悪いみたいに言うの?」みたいな感じで始まり、弁解する私の言葉尻を理由にヒートアップが始まって、いつの間にか矛先が私に向かっている。
このときにすかさず、「なんで私に起こるの!?おかしいでしょ!」とちゃんと言っておく。道理が通らないことを言えば自分が怒られるということを学習させる必要がある。
人と一番最初に出会った後の会話の時に、自分はおそらく典型的なコミュ障なんだろうなと感じる。
もちろん、相手に話してもらうのがベストなんだということは、理解しているので、大げさにそうなんですね!とか、なんでそんな風に考えたんですか?とか、大きく頷いたりとか小さく頷いたりとかちゃんと基礎の部分は抑える。
そこで、例えば漫画とかアニメとか見ますか?と問いかけしたときに、もし奇遇にも、全く同じものが人生においてベストの漫画ですとなったときに、そこからどうしたらいいか全く持ってわからなくなってしまう。
私も読んだことあります!どこの場面が好きですか?とか、そうそうあそこの場面が良いですよねとか、当たりさわーりのない会話をすることになる。めっちゃテンション高く、えー!奇遇ですね!ってなったとしてもものの3分程度で、その話題は終わり、何故か意気投合する前よりも会話のテンポが悪くなり、沈黙が増えがちになる。
思い当たる節は2つで
一つは、ここで書く以上に自分で相手の言葉を遮って自分語りしてしまってる可能性。
普通の会話トーンであれば聞きますよ?的なスタンスをとっていられるのだが、同志という興奮のあまり、相手の言いたい言葉を代弁してしまい、ハッとして、相手の言葉を待ってしまってよくわからぬ空気になってしまっているのかもしれない。
もう一つは、好みが一致したということに対して特別感というか重く考えすぎている可能性
童貞が、セックスをものすごく特別なものだと神聖化しているのと似ている。ただ、それさえあればその人との関係はもう問題ないと思ってしまって、一致したよね!!フンスッとその後の事をよく考えられなくなってしまっているのかもしれない。
自分が好きだと思ったものをテンプレートで話せるような準備をしたらいいのかなぁと思いつつ、人によってはお互いがお互いの好きなことを思う存分に語り合う的なことが出来ていることを思うと、自分に足りないものは何なのだろうかとふと考えてしまった。
単純に増えた減ったから違うとか言うんじゃなくて、そこから影響度を計算して考えてみてくれ。
そしてその2002年から今まで、35歳未婚率の推移確認した?約15%が約33%になってるんだぞ。
影響が大きくて優先度が高いとは言えないだろ。
https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/Popular2024.asp?chap=0
2000年から、2020年まで、25歳~45歳までの未婚率は約1割増加しているが、これがもし未婚率が2000年並に保たれていつつ、既婚女性の生涯出産数が1.9に減少したと計算すると、未婚率の増加による子どもの数への影響が推定でき、これがおおよそ300万人になる。
一方で、2000年の既婚女性の生涯の子どもの数、2.23から1.9への減少率0.33を、現在の45歳以下の既婚女性の年齢をかけると、既婚女性の生涯の子どもの数の減少による影響を推定でき、およそ220万人になる。
計算はいずれも既婚女性の数は統計値を使っているので、人口減少の影響は加味されている。もちろんこの計算は色々な部分をすっ飛ばしているため正確な形ではないが、結論は変わらない。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/16ec62ee8524944af0039b0d1a40b24aed942535
「結婚できた夫婦の子ども数は増えている」のに全体の出生数が減り続けているワケ
子のいる世帯の平均子ども数
就業構造基本調査をもとに、「夫婦と子世帯(=一人以上の子を産んだ世帯)」だけに限って、年齢別の平均子ども数を、最新の2022年と15年前の2007年とで比較したものが以下である。
むしろ15年前より2022年の方が子どもの数は増えているのだ。
これは「結婚ができた夫婦というのは、15年前よりも一世帯当たり子どもは多く産んでいる」ということになる。言い換えれば、出生数が減っているのはそのまま婚姻数が減っているからだと言える。
2007年と2022年の出生数と婚姻数の増減を比較すれば明らかである。
二回目にあってそれを言われた。
でもどうしても好きだったから二ヶ月くらいたって連絡した。たまにその人のアプリのプロフィールとか見てたけど、相手ができてなさそうな感じになっててアプリ消しててワンチャンあると思ったから。連絡したらすぐ会えることになった。お店とかは向こうが挙げてくれた。あった際は話も盛り上がって居酒屋で2件目とかいって盛り上がったけど、2件目の居酒屋が閉店の時間になったから解散した。
そのあと、また二ヶ月後、明後日会うんだけど脈あったりするの?
ちなみに一回目にあった時は、居酒屋で話が盛り上がって四時間くらい話してた。
二回目にあった時は、浅草でもんじゃ食べた後にカフェで二時間くらい話して、帰りに友達としてなら付き合っていいよと言われた。
多分話はすごい合うんだと思う。盛り上がるし。
でも自分の仕事が結構珍しいからそれで興味持ってくれてるだけなんだなぁとか思ってしまう。
ちなみにお互いのスペックは
自分 無名の会社であんまりいないやつの設計士 年収550くらい。顔は悪くないと思う。
相手 誰もが知ってる企業の人 年収多分すごい多い。アプリの年収600〜800とかだったから。すごい綺麗な顔の人。
お互い20代後半
友達としてならみれるって言った人を恋愛相手としてみれたりする?
忙しい仕事なのに予定空けてあってくれるし、話も盛り上がってるし、心変わりとかしてたりする?
居酒屋の中ではトーク寄りのお店で、カウンター席ではみんなでガヤガヤ楽しむようなところだ
作業服姿の男性で、その人はカウンター席に座るんだけど、お酒をほぼ飲まない
いつもウーロン茶と、おにぎりや焼き鳥などをちょっと食べるだけ。お酒を飲んでいるのを見たのは一度きりだ
※たまにいっぱい食べているみたい
その人がマスターに向かって、「ご飯だけだけどごめんね」と言うと、マスターが「ぜんぜんいいですよ」というやり取りを聞いたことがある
ところで、その人は、ほかのお客さんに話を振られてもまともに返さないことが多い
「仕事で疲れているから」とか「明日は早朝から現場だから」と言って、話に入ろうとしない
いつだったかある時、若い店員さんに、「もっと食べましょー!!」と冗談っぽく言われた際に、急に怒り出した
「お会計お願いします!」と言って、立ち上がって、マスターが止めるのも聞かずにお店を出て行こうとした
あの時のマスターは、本当に必死だった。何度も引き留めてた、かわいそうなくらい……
マスターとそのお客さんとのやり取りを聞くと、怒った理由というのが、
「もし俺に病気や障害があったらどうするのか。もっと食べようと言われて、そのお客さんは傷つくんじゃないのか?」
というもの。なんだそんなことか、と感じた
気持ちはちょっとわかる。わたしもあまり食べられる方ではない。それで残念なことはけっこうある。お刺身だけでお腹がふくれるし、鍋の〆のうどんとかラーメンが食べられないこともある
でもわたしは、「こういうお客さんはちょっとな~」と思う。ほかの人はみんなお酒を飲んでいるのに、あの彼だけは飲まずに、しかも会話に入ろうとしないのはどうなのかと。だったらお店に来なければいいのに
こういう考え方は間違っているかもしれない、という思いもある。世間知らずなだけかもしれない。よろしければ、人生の先輩方の意見を聞かせていただきたいです
https://junsakura.tumblr.com/post/4063457888/
「「好きな女性のタイプをきかれたらなんて答えればよいのか」という記事を読んで、「顔にこだわらないことを強調するあまり『ギリギリ愛せる不細工』を引き合いに出すくらい顔しか見てないのならもう佐々木希佐々木希言ってたほうがいい女紹介してもらえるのに、何でわざわざおかしな方へ…」と思った
“
13年前にirohaからリブログ (元記事:otsune)165 リアクション • 0 Comments
」
子持ちが優遇されているなら日本はこんなに少子化になっていないって、一体どういう理屈だろうな?
子持ちが優遇されているから、ただでさえ結婚出来ない人がますます結婚出来なくなって、少子化が加速してるんじゃん
富が集まるところに集まり、どんどん少数の富裕層に独占されるようになっているのと同じ事だと思うんだけど。
Xでバズっていた中出しの感覚がわからないというポストにめちゃくちゃ共感した。正直相手の動きが止まって脈打ってるのギリわかってイってるんだなぁって思ってます。
どちらかというとフェラの方がより脈打つのが実感できるのでわかりやすい。
そして女側ではゴムありもなしもあまり変わらないという意見を見てそれも少しわかる。
(もともと濡れ辛く潤滑液を使ってるのでそれとゴムの相性が悪い??)
しかし返信を見ると男の人はゴムありとなしで感覚が大きく変わるらしい。
って説を否定する奴いるけど、なんかあんまり説得力ないんだよな。
「今日から俺は」の作者の新作マンガで 雑な性格の独り身の男が身寄りのない少女を押し付けられてゆるっと一緒に暮らすというほのぼのポルノみたいなのがあるんだが、あれがいい。 ...
『カナカナ』しらんかったから無料部分読んできた、相変わらずの西森節で始まりつつも、いままで読んだことのない節が出てきてたようにおもう。いいねこれ!👍️😉
(生チン蹴りの…はワロタ)
原作の改変が問題で、実写とマンガと同じには作れない、だから改変致し方なし。
この「改変」とはなんだろう?なぜ、改変が起こるのか?というところに、日テレは踏み込むべきだったのだ。
いろいろな諸事情があるとは思われるが、大きな理由は、そのほうが実写化においてベターだからだ。
そのベターのひとつに売れてる役者を起用したいからというのがある。
ここがバカにならない。プロダクション側の思惑もある、アイドルを起用しているとファンが目当てに見てくれるから、原作を改変しても役者の出番を創造する。
また、そのアイドルのイメージが悪くなるのを防ぐために原作のセリフや設定を改変する、なんでも、セクシー田中さんの脚本家とチーフプロデューサーはそれが得意だそう。
日本だけではないと思うが原作者を蔑ろにしても「そっち」を優先している方ではないか。
かくいう私もピエール瀧が出演してると知るとつい見たくなる。ただ、そんなことしてるからセクシー田中さん事件は起こったのだし、これから起こるのだ。
俺の会社は人手不足だから仕方なく高卒を取り始めてるけど早くも挫折しかけてるぞ
なぜかというと昔は大学に行ける奴がいろいろな事情で高卒として就職していたが
あらゆる子育て支援をどれだけ拡大しても夫婦の平均出生数は全く増えていない
そして少子化は明らかに婚姻数の減少によって加速しているとあらゆるデータが示してる
結局のところ子育て支援に流れる金は子供を増やすことではなくすでにいる子供により良い投資を行うほうに消えているというのが統計的な事実なんだよな
自民党にすり寄って自分達のザル法が受け入れられなかったから自民党と喧嘩
丸呑みにしてもらったーとか喜んでるけど結局ザル法はザル法だから自民党と同じ穴の狢である事を野党の癖にアピールしただけで何がしたいのか謎過ぎ
「女の集団って〇〇なとこあるよなー」とステレオタイプなイメージを持ち寄って偏見強化してるのがまさにアホのホモソーシャルしぐさなのが笑いどころ。
偏見とはつまり過度な一般化のことであり、その見かけ上の一般性を安易に共有してキャッキャ言うのがアホの紐帯である。アホにはそれがわからない。