はてなキーワード: しょうもないとは
wakatte.TVというYoutubeチャンネルがある。 おれがもっとも好きなチャンネルだ。 Youtubeチャンネルはどれも面白くないが、 wakatte.TVだけは面白い。
wakatte.TVとはどんなチャンネルかというと、 街中で学歴を聞いて、それをバカにするチャンネルだ。 正確にいうと、 見知らぬ人に出身大学の偏差値を聞いて、 それを元にした企画をするチャンネルだ。
学歴ブラックジャック: 偏差値の10の桁を使ってブラックジャックをする
学歴ボーリング: ボーリングがよくわからないのでよくわからないが、偏差値でボーリングをする
学歴ゴルフ: 箱から質問を引いて、それにより学歴を当てる。3打でパー
天国と地獄ゲーム: 高校と大学の偏差値の落差の大きい方を引いた方が勝ち
学歴エンジェルフォール: 男と女の学歴差が出来るだけ大きいカップルを引いた方が勝ち
キャンパス調査: 地方大学に行ってその大学の人を低学歴やなーとバカにする。これは面白いので、もっと色々な大学に行ってほしい。灘と開成に行ったのだから麻布にも行ってくれ
説検証: 高学歴ほど童貞が多いとか、法政の人に第一志望はいないとか、ありそうな説を検証する
街中で学歴を聞いて、 京大中退の狂人高田ふーみんが「そんなFラン大学によう行けるな。恥ずかしくないのか」とバカにして、 早稲田出身のポンコツびーやまが「ヤメロオマエ」と突っ込むのがパターンだ。 このヤメロオマエはなかなか癖になるツッコミで、視聴者であるはずのおれも、 ヤメロオマエと突っ込むようになってきた。偏差値の高いツッコミだ。 中国でリンチされてた時に生まれていたら面白かった。
正直にいって趣味の悪い番組だと思う。 誰しもが自分が誇れる大学に行ってるわけではないのに、 なんや知らんメガネの曇ったデブにFランだ高卒だとバカにされ、 自分だけならばまだ良いかも知れないが、自分の彼氏や彼女の学歴をバカにされることもある。 ふーみんが今のいままで五体満足なのが信じられない番組だ。 ふつうは、手が出るところだろう。 しかし逆にいうと、学歴をバカにされて一緒にはははと笑っていられるような芯のない人間だから しょうもない大学に行ってるんだと言うことは出来るから、 もしかしてそういうことも見越して、意外に安全な企画になってるのかも知れない。
wakatte.TVのすごいところは何かというと、 偏差値という数値に対して、新しい見方を与えたという点だとおれは思う。 偏差値を他人と比較したことは誰でもあると思うが、まさか 10の桁を使って加算する人間が現れるとは思わなかった。 これを許すと、この汎用的なただの数値を利用して無限に企画を作ることが出来てしまう。 waktte.TVのコンセプトを考えた人間は天才的だ。
しかしおれは、偏差値に対して別の解釈を与えた人間をもう一人知っている。 ルシファーだ。 ルシファーは、偏差値を足し算するほど奇抜ではないが、 偏差値や学歴という概念を学校以外のものにも応用した偉人だ。 さきほどおれは、偏差値の高いツッコミだと言ったが、これもルシファーの手法を真似たにすぎない。 彼は他にも、料理に対して学歴を聞いたりすることもある。 共感覚というのがあるが、彼の場合は、あらゆるものが学歴に見えているのだろう。
もし、wakatte.TVとこのルシファーが共演することがあったら、相当面白いはずだ。 共演によって、偏差値に対して新しい解釈が生まれるかも知れない。ヤメロオマエ!
「結婚なんかコスパ悪くね?」と思ってる男が昔のネット上のイキり非モテ以外に蔓延してる気がするんだが。
どこを観測してるのかはわからんけど5chとか見ててもいまだに「金かかる」「時間もかかる」「精神も削られる」女と付き合ったり結婚したりするのマジでしょうもなくないか?みたいな書き込みメチャメチャ見るけど。フッツーにばちこりいるけどな、女と結婚するやつはバカ、みたいな奴ら。
それが気にならなくんなってるんだとしたらそれは単純に二十数年前に比べてSNSの発達によってネット上に女性が大量に流入してきて、男性帝国だったネットが"薄まって"目に留まりづらくなった、もしくはわざわざ見に行かなければそういうものに遭遇する"機会が減った"だけなんじゃないの。
弱者男性が女をあてがえと言ってるから本当は女と付き合って結婚したいんだ!って思ってるのかもしれないけど、そういう奴らは単にリアル生オナホがほしいだけで付き合ったり結婚したりしたいわけじゃないぞ。実際そういう流れになったら絶対に拒否する。金銭的にも精神的にもそんな甲斐性ない。
久しぶりの休日だった。気が付けば8連勤していて、ちょっとなんか疲れたなって感じになっていた。からの休日。何をしてもいい。最高。ゆっくり寝られる。最高。気兼ねなく8:30に起きて、洗濯とか回してゆっくり過ごす。外晴れてるやんからの布団干し。俺の休日って感じ。それらが終わって14時。大分はしょられているのだが、そんなもん。なんであれ、何かが出来る時間と余裕になった。外出しよう。本でも買いに紀伊國屋へ行こう。自転車を走らせる。6月とは言え、雨も降らず、そして暑すぎない。ちょうどいい気候の中を走って、本屋を歩き回る。が、何一つ訴えかけてくるものはなかった。本を手にとっても1mmの興味も出てこなくて、ただただなんか歩き回っていた。もういいやって帰宅。その帰り道に思ったんだ。なんかつまんねえなって。いつの間にかとても詰まらない人生に、詰まらない人間になっていた。予定はなく、イベントもなく、目標もなく、夢もなく、好きなことがなく、嫌いなものを何も思わないようにするために必死な生活。並べていて寂しくなるが、そうなっていた。だからなんだ、どうにもならない。芯の部分。何かを望むことがなくなっているのだから、行動にならない。
インターン中の誕生日付近のあの1週間で、俺の中の何かが確実に死んだ。そう考えよう。俺を前に進ませていた何かが、あの社会人お試し期間の、私生活も最低期間の、あそこから何かがおかしいと、ストーリー付けている。俺を突き動かす原動力を探し求めている。俺を突き動かす原動力を探し求めている。
大学院を卒業して気がつくと6年以上が経っていて30歳になっていた。
社会人になってからは目の前のことだけこなしてなんとなく生きてきた。
アニメを見るくらいしかもともと趣味がなかったが、段々と興味が薄れてきて、30分見るのにも躊躇するようになってきた。
もともと少なかった友達の数は、社会人になって増えることはなく、気がつくとほぼゼロと言えるような状態になってしまった。
恋人はいない。出会いもない。マッチングアプリや婚活をやる気も起きない。でもなんとなく行動しないといけないような焦燥感に駆られることがある。
仕事はそこそこ上手くやれていると思うが、自分が入社してから部署に年下や後輩が入ってきたことが一度もない。
そのため未だに新人気分が抜けず、精神的に未熟で、成長を一切感じられていない。自分が30歳というのが正直信じられない。
しょうもない大人になってしまったのはもう仕方がないので、これから心を入れ替えて立派な大人を目指したいという気持ちと
このまましょうもない人生をなんとなく気楽に過ごしていきたいという気持ちが、最近ずっと葛藤している。そもそも立派な大人って何だ!??!?
色々考えるのをやめて楽になりたい…救われたい…
書籍とインターネットがあれば別にお金必要じゃないですみたいな感じの余裕ある人たちと一日4時間同じ職場でゆるく働きたいんだよな。
月収8~10万円でも生きて行けるような、ゆるい家に住んでさ。
残業すれば収入増えてうれしい!みたいな人とか、社会人としての自覚がうんぬんかんぬん!みたいなバイトリーダーくんとか、そういうのとは働きたくないんだよな。
「ゲージュツなんだから意味がわからなくて当たり前」というならな
それこそ淫夢動画だってその場の思い付きとしょうもない身内ノリばっかりで、外部の人間には意味不明だろ
「どうしてこの動画がそんなに草生えるのか」なんて、文脈と過去の積み重ねをちゃんと踏まえた、ネット全体からすりゃごく一部の物好き以外にはわかんねーんだよ
(だいたい「草」の由来からしてそういうコンテキスト込みなわけで)
そんなものはふたばみたいに身内ノリやジャーゴンが幅を利かせるタコツボムラ社会であれば、所詮どこにでも見られる光景でしかない
タコツボエコチェンなんていくらでもあるのに、現代アートだけがむやみに孤高面したって笑わせるだけだわ
だから結局、トリエンナーレや不自由展みたいな文化ムラが文化ムラたり得ている要素って、作品や社会派・党派性まみれのメッセージそれ自体じゃないんだよね
単にこいつらの利害関係共犯関係で成り立った、いたって資本主義的な営為でしかなくて(ここは元増田もある程度自覚的ではあるが)
性格良さそうって思うけど。
若い人たちへ。
これを書いている俺にもわかっちゃいない。
ただただ、世の中の分断というか、世相の居心地の悪さに、いたたまれなくなっただけのこと。
いわゆるデジタルネイティブとか。
コロナ禍を高校~大学生または社会人成りたての頃に経験したとか。
二十歳±5くらいが基本の対象で、
何か共感できる部分があるのなら、対象だと思ってくれていいと思う。
さて。
謝罪、というからには、何かについて後悔や悪いことをしたという思いがあって
それをするということが一般的だろう。
けれど、例えば知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまったような場合。
例えばそれが、20年、40年前のことだったとしたら。
これはもう、ただただ、とにかく、謝っておくしかない。
回りまわって今になって何か悪い結果を残した、ようなときも同様だろう。
今回、書いていくのはそういった類のことだ。
けれども、これに関して何が悪かったとか、どうすれば防げたとか、
そういうことを書いていけたらと思う。
前置きはこれくらいにして、本題に入っていきたいと思うが
俺はアラサーのおじさん。
太さに関して言えばそれほどでもない。
別荘があって、クルーザーがあって、継いでもいいと思える家業があるレベル。
毎週のように一人数万数十万の外食に行って、毎月ヴィトンを買って、連休毎海外旅行に行く、そういうレベルではない。
やろうと思えば、いずこかのブラック企業のように従業員を絞り上げて
廃業して、どこか海外の治安の良いリゾート地に移り住むこともできるが、
10年ほど馬車馬のように働いて丁稚奉公を済ませ、家業に舞い戻った。
以上で最低限の自己紹介とさせてもらう。
そして、本題。
ということだ。
いわゆるJTCにおいて、若手を大切にし過ぎる風潮ができている。
この際、今の管理職に指導力がないとか、そういった話はもうどうでもいい。
元気なうちにたくさん働いて、様々な経験と知識を吸収することが許されない。
経験もさせてもらえなかったとしたら、どうなるだろうか想像して欲しい。
自分がそれに就いた時のことを考えてほしい。
まあ、そう言われてみればそうだ。
けれど、結局誰かがやらなくちゃならないのなら、嫌々ではあっても、出来るようになっておいても損はないんじゃないのか。
そういうことを発信しているのを見かけることもあるだろう。
そんなことは賞味どうでもいい。
貴重な経験の機会を奪わせてどうする。
メンタル崩壊するような経験を積めばいいと言っているわけではない。
真っ当な商売で、まともな感覚を持ち、何かあったときにケツを拭いてくれる管理者がいる組織で
自分の体力と精神力を健全に保てる範囲で、最前線で頑張ってほしい、ということ。
老若男女問わず働かせられる。
脳みそと腕と足がついていれば、何が何でも働かせられる。
学の無い人間にやらせていた単純作業はロボットが代わりに行う。
赤紙が無いだけで、マクロ経済の蛇口を開けたり閉めたりするだけで
そんな中で、気力体力が十分で、
インターネットの妄言に騙されずにスタートアップや外資系や海外で
はたまた、インターネットの妄言に騙され、働きたくないでござると
成長期たる30歳まで時間を浪費し続け、
60代のジジイと同じような仕事でのんべんだらりと過ごした人間と。
もちろん、現実すべてがこうまで両極端ではない。
JTCでほどほどにパワハラを受けながらしょうもない仕事をやらされているか、
ほどほどに守られながら蝶よ花よとぬくぬくと育てられた結果何もできない人間に育つか。
FIREだって?お前たち、本当にFIREした人間が羨ましいか?
お願いだから、一度でいいから、まともな人間にFIREしたいか聞いてみてくれ。
稼ぎ切った人間こそ、どうやって社会にお金や経験を還元するか、考えているはずだから。
自分が定年になるくらいまで、自分の子どもたちを大学まで育て上げ、社会に出せるくらいまで何事もなく、両親と子供たちが無病息災、とまではいかないが
五体満足に生きていられればそれでいいと考えている。
それを間違っても口に出したりはしないが、ほとんどがそうだ。
そうでなかったら、今のようになってはいない。
俺がオギャーと生まれた30年ほど前。
バブルがパーンと弾けたり、Windowsが日本に上陸するかしないかと言った頃。
それから10年経ったころ、「失われた10年」、そういわれていた。
おれはインターネットでHTMLを書いたりUOに勤しんでたりした。
それから10年経ったころ、「失われた20年」、そういわれていた。
おれはアメリカに留学したり、ネットゲームで外国人と煽り合いをしていた。
それから10年経ったいま、「失われた30年」、そういわれている。
おれは体力の衰えを感じ、家業へ逃げた。ゲームは積むか観るかだ。
おれがオギャーと生まれて三十年間、何ごともなかったらしい。
確かに、何が変わったかと言われれば何も変わっていないようにも思える。
100円だったお水やジュースは、買おうと思えばコンビニに売っている。
3,000円持たされて買いに行っていた赤マルはそろそろ倍か。
物価以外はどうだ。
ゲームでお金を稼げるなんてな。日本でも最近はFPSと格ゲーも勢いがあるな。
MMOは全部3Dになった。スマホで出来るのは正直にすごいと思う。
けれど、やっていることは当時からそれほど変わってないよな。
遅延は少なくなったとは思うけれど。
こうして振り返ってみると、対して変わってないようにも思える。
そう、本質はほとんど変わっていない。文字通り変わっていなかったのだ。
そうして昨今、ようやく変わりつつある。変わらなければならない、と言った方が正確だろうか。
何となく肌で感じているのではないだろうか。
これはもう日本人の、というより人類のお家芸だ。外圧でしか変われないという。
超高齢化&少子化社会。AIの台頭。ロボット化。宇宙開発競争。
そして30年間、失われていた社会の中でのうのうと暮らしてきた自分たち。
正直、これから先の変化に着いていける気がしない。
と考えるのは無責任だろうか。
後進のために、ラッダイト運動よろしく半導体製造装置を壊して回るべきだろうか。
そりゃあ俺たちだって、これからは読み書きそろばんの時代から、
英語、クリティカルシンキング、コンピュータの時代だ、とかなんとか世間で騒がれていて、
けれど、これから待ち受けているのはそういうレベルのちゃちな変化じゃない。
一部の超天才たちがAIやIOTで繋がれた機械やコンピュータを操る時代。
彼らがこれからの数十年か百年ほどを牛耳っていくのだろう。
いや、もう牛耳られているのだろうけれど。
それは止めようがない。
その一部の超天才たちを日本国内で育てるような体制を作ってこなかったこと。
日本が嫌なら海外で勉強したら?と言わんばかりに対立を煽ってしまって。
そこについていけない、残された人間たちも、
いーよいーよ、そんなに無理してはたらかなくて。
と言われて経験値を全く積まずに育ったのちに、
ごめーん、あとはまかせた!とばかりに後進に残された負の遺産と対峙させる。
ごめん。確かにその期間、何もせずのうのうと暮らしてきていた。
先人たちに下駄を履かされていたことにも気づかず。自分たちの権利だけを主張し、
ただただ、社会の歯車であることだけで、義務を果たしたかのように。
もっと声を上げるべきだった。
世界第二位の経済大国だった30年前の日本で生まれておきながら。
30年間何もしてこなかったせいで失わせてしまった。
おれは、おれに下駄を履かせてくれていた従業員に報いるくらいしか思いつかない低能だ。
人にもよるが30を過ぎると、色々なところにガタがくる。
厄年、という風習があるが、これは至極的を得ているように思える。
だから、それまではどうか馬車馬のように働ける環境に身を置いてほしい。
さてこれから先、日本は世界で20番目か30番目くらいの規模の経済力で
飯と油を何とか買って食いつないでいくのだろう。
日本人の気質的に、皆で一緒に貧乏になろう、という形で収まることだろう。
細々と生きていけるくらいの形で没落していくのではないかと思う。
これはただのこれから起こるであろう仮説であり、単なる現象だ。
そんな中でも、何かに楽しみや嬉しさを見出して生きていくことは可能だ。
あなた自身と身近にいる人、これから出会う人を大切に、対面コミュニケーションを密にして。
失われた30年が無かったことになるくらいの、次の10年を目指していこう。
最後にもう一度。
失われた期間が30年に膨れ上がるまで何もできなくて申し訳ない。
けれど、「そうだよふざけんな、お前らのせいで○○」
ということを前の世代、親世代、人生の先輩たちに投げかけるようなのは
日本人ではないし、今回の文章で謝りたい対象ではないことは強調したい。
ここに伝えて筆をおきたいと思う。
プレジデントで片野 秀樹の記事 https://president.jp/articles/-/82011 が新着であがってたんだけど、
前の記事のブクマでは否定的な反応が多かった https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/80899 (あんまりブクマされてないけど)
他のメディアでは結構肯定的に捉えられててブクマ数も1000越えてる https://b.hatena.ne.jp/entry/s/logmi.jp/business/articles/330480 (ブクマのページ)
同じブクマカがブコメしてるかは確認してないんだけど、「内容は変わらないのにメディアでこんなに反応が変わる」という事実に失望しました。
自分が被害を受けてもいないのに憲法や法律を守らないやつをコタツから石投げてて楽しいか?
例えば飲酒運転など、アメリカではビール数杯くらいは平気で飲む
法律自体も血中アルコール濃度的には1杯くらいなら問題ない基準だったはず
平成初期ごろくらいまでにリーマンを経験したなら分かるだろうが、
終電くらいまで飲んでいて、翌朝ゴルフで多少酒残ってても車で行ってたろ
酒飲んで事故起こすやつは、間違いなく飲んでなくても起こす。運転以外でもチョンボしてただろうな。
全く自衛もせずにいた親しい人が轢かれただけで深い悲しみに包まれてしまう。
しかも、今は多様性も大事だよね~とかいって無能にもチャンスを!という意味不明な社会に。
あまりにホワイト化し過ぎて、今までしょうがないにゃあ、で済んでたことが許せなくなるのとは反対に。
これは本当に精神衛生上良くない。
どれだけ法律で縛ろうとも法を犯す悪人はいるし、網に引っかからない無能もいる。
そういう仏教的価値観を持っていないからしょうもないことにいちいちイライラしたりするのよ。
人間の生物学的スペックなど江戸時代の頃から大して変わってないんだから。
ま、長々と書いたけど端的に言えば性悪説なんだけどさ。
多様性、自由を追い求めれば追い求めるほど、縛りを追加しなくちゃならない。
そのせいで、社会の求める基準、ノルムは無限大に拡大し続ける。
それを防ぐために、宗教やらのおとぎ話でなあなあにしつつも、文脈で維持出来る部分は維持してきた。
日本語のハイコンテクスト文化が手伝った部分もあると思うが。
無限に広がる制限それ自体は、ブルシット・ジョブを増やして人間の働く余白を作る手伝いをしていた部分もあるだろう。
歩きタバコを見て怒り狂うような、クソみたいな精神性で生き残れると思うなよ。
その差が分からないボケナスはお願いだから社会に出てくれるな。