はてなキーワード: 通り魔とは
うわー、文字通り「表層的」な意見だな。
もちろん、形から入ることだって大切だよ。
個人的には笑顔さえあればファッションすら変える必要はないとも思う。
しかし、彼はそれさえもできなかった。
ここに難しさがある。
自分を変えられる人間とはむしろ自分の弱さをそのまま受け入れられる人間なんだろう。
逆に、自分をあるがままに受け入れられない人間、自分が嫌いでしょうがない人間の方が、自分を変えられないんじゃないかな。
自分には何の可能性もないと絶望しているのだから。
そして、いつまでも自分を否定し続ける。その行き着く先は自殺か通り魔か。
彼に必要だったのは美しい外見よりもむしろ抗うつ剤だったんじゃないかな。
それほど近しい訳ではないけれど、
その日何度か目にしたニュースで、たしかにその人の名前を聞いていたが
次の日職場で聞かされるまで繋がっていなかった。
秋葉には良くいくので、事件を聞き知ったときから嫌な気分だったが、
それを聞かされて、なんだか名状しがたい気分だ。
けど現実だから、そこはそれ粛々と続いていく。
現場に献花をしにいったとき、そばにはテレビ局の車が数台駐まっていた。
あぁ、取材してるんだろうなぁと思ったけど、だから帰ると言う話でもない。
何人かで行っていて、1人が声をかけられて、答えていた。
こんな時に答えるべきなのかというのと、
でも答えて正直に伝えて、何か伝わるんではないかという気もする。
もちろんそこはありのままを伝えたからそのまま書かれるというコトでもない気もするけど
それでも、亡くなった方が大切な方だったともう人間がいることを表明するのは
いつかどこかで、自分たちより被害者の方に近しい人たちの
何か慰めのようなモノになるんじゃないのかという気もする。
まったく野次馬のように見える目撃者も、語ることで何かショックを埋め合わせている気もする。
今まであった、類似の事件報道を見ていて、被害者のこと、加害者のこと、事件のこと
そういったことを何故語れるのだろうかという疑問があったけれど、
そういう考えをしている人も少なからずいるのではないかという気がしている。
口が軽すぎやしないか。そういう風に思っていたし、
そう思っている人が少なからずいるんではないかとも思うから。
今回の事件でのホコ天の今後は、かつての池袋や下関の通り魔事件よりも、
一回目の暴走で車が進入し人が死んだことで、市は径1m程度の、木が一本植えられた巨大植木鉢をアーケード入り口に2つ置いた。(*)
まわりは「気休めだよね」といいつつ、気休めでもそれはありかとみな考えていた。
予算が付き、地中に引っ込められるタイプの車止めが設置された。
しばらくは出したり引っ込めたりしていたが、そのうち面倒になったらしく出しっぱなしになった。
仙台アーケード街での車止め設置の費用と、運用について詳しく知っているひとがいたら
(追記)いきなり人を刺すのと、車で突っ込んでから人を刺す、ではハードルがかなり下がっているので、繁華街に車で突っ込まれないようにしておくのは必要。車を景気付けに使わせない。
(*) より正確には巨大植木鉢2つと、草を植えた石(陶器?)の長方形大型プランター。
長方形のプランターは早期に撤去されてしまった記憶がある→2回目の暴走で追加されたプランターかも知れない。このあたり記憶があいまい
(追記その2)仙台市の対応経過について。
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/press/05-04-12/outou050412.html
(2)アーケードへの車止め設置費用に係る仙台市の負担と今後の対応について伺う
商店街としても自らの責任でと考えてくれているようですが、私どもとしましても市道管理という責務もありますので、資金面まですべて商店街におまかせするということにはならないと思います。商店街と協議をしながら、仙台市も設置のための費用負担を考慮し、共同で設置する方向で検討したいと考えております。
今のところは可動式の車止めということで、基本的な方向付けができたようですが、今後はどのようなデザインで、どこに設置するかなど具体的な協議になってくると思います。いずれにせよ早く決めないといけないと考えております。今月の15日に再度、商店街、警察、仙台市と協議を持ちますので、その場で具体的な方向付けができるのではないかと思います。
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/press/05-04-19/outou050419.html
(7)アーケード街への車止め設置について伺う
商店街、警察、本市で協議をし、車止めには大きなフラワーポットを使用することが有力のようです。現在はそれが車止めとして適当かどうか、また設置場所や歩行者への影響なども含め、近日中に実験するようでございます。
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/press/05-12-27/arcade9.html
(4)4月に発生した事件時の対策としてプランター15基を設置した判断をどう思うか
市長就任以前の判断について軽々にお話しすることはできませんが、今回の事件が起きたことは大変残念に思います。いろいろな経緯や問題点を皆さんで議論したうえで、そのような対策をしていたわけですが、今回の事件が起きた夜遅く、実際に現場を見に行った際の印象としては、数を含めてプランターの設置の状況が手薄であったという感じがしました。
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/press/05-12-27/arcade1.html
年末年始の人出の多い時期を控え、一層の安全対策を講じる必要があるため、昨日、庁内の関係各課と中央通3商店街、一番町3商店街、宮城県警、仙台中央警察署で事務的な打ち合わせを行い、プランターを増設する緊急対策についてご同意をいただきました。
http://www.city.sendai.jp/kensetsu/dourokanri/arcade/0503.html
中央通・東一番丁通のアーケード街に車両侵入防止の車止めポールを設置します
昨年の2度にわたるアーケード暴走事件を受け、事故防止のために応急対応としてプランターを設置してきましたが、恒久的対策として幹線道路からアーケードへの入口部分に車止めポールを設置することとしました。
http://www.city.sendai.jp/kensetsu/dorokanri/arcade/index.html
市中心部アーケード街と交差している道路の車両横断を一部路線で禁止します
また、下図の青で示した東一番丁を横断する市道区画道路南38号線(サンモール商店街)の車両横断禁止と、緑で示した中央通りを横断する市道南光院丁線(おおまち商店街)の車両横断を試験的に禁止する措置を、宮城県公安委員会と連携の上、6月1日から実施する予定で準備を進めております。
(追記その3)
ナイフ使用の有無を別にしても、車を利用した事件が起きることは前提とした対策が必要。
そんなことはないだろう。
http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080609/1212966011
ひき殺されたのは、引退しても世界中を旅行できるだけの金を蓄えていた元歯科医だったし、刺し殺されたのは、日比谷高・芸大卒のエリートでいずれ派手な世界で活躍するのが確実だった人物。
上司がすっごい気分屋だ。
機嫌が悪いときはひどい。話にならない。
わかってはいるけれど、
自分が絶好調じゃないとかなり腹立たしい。
で、あ、こういうことかなって思った。
今私が無差別殺人なんてして、動機を「上司に腹が立ったから」って報道されたら
ちょっとすっきりするかも。
上司はどんな顔するかなあ。
って。
あの犯人もそういう感じなのかなあ。
ただし、幸いなことに私には彼よりもちょっと良識があるので(多分)
そんな身勝手なことで人を傷つけられないし、
また年もとっているので
よかった。
すぐ怒るとか自己中とかいった精神的なキャパシティの小ささは、
単純に性格が悪いとかいう話じゃなくて、先天的な脳機能の欠損(自閉症)だという例が意外に多い。
自閉症でも、専門家なら普通の生活ができるように教育することは可能だが、普通の親や友人にはとても無理。
なにしろすぐ怒るのだから手に負えない。
そして放置、孤立化、暴発。
報道されてる犯人の言動をみるかぎり、モロにこれ。宅間とかネオむぎ茶とかもこれでしょう。
しかし客観的に言って、こういう事件を起こすリスクが先天的に高い人達というのがいるのだ。
となると、凶行の原因を犯人の性格、親の育てかた、周囲の環境に求めても、解決にはならない。
毎度毎度、周りの人が「死にたいなら一人で死ね」「親が責任を取れ」とか言って気を晴らし、
必要なのは、普通の教育では普通に育たない人間が存在することの理解。
そして、彼らも専門家の教育によって普通の生活ができるようになることの理解。
みんな一緒くたに学校行かせといて、協調性がないから社会の爪弾き・・・これでは、永遠に同じことが起きる。
でも、自閉症がどうのなんて言ったら、近視眼な連中から差別主義者扱いされるだろうから、誰も言えない。
適切な教育を受けさせないことの方が、本人にとっても周りにとっても不幸なのに。
皮肉なことに、こいつは、女の見る目は正しかったということを自ら証明してしまったな。
だってさ、日本犯罪史上稀に見る凶悪通り魔事件の犯人だよ?性格最悪じゃねーか。
「女はイケメンを選ぶ。性格なんかでは絶対に選ばない。」ってことを言いたかったら、性格良い人を貫かないと説得力ないな。
女は性格で選んでいた。少なくとも、こいつに関しては。
「女は顔で選ぶ。自分は顔が悪いからモテない」というのは非モテの常套句だが、そう言ってる本人の文章の内容が既に気持ち悪いという奴が多すぎる。
なんか通り魔の人は
工場みたいな環境じゃなくて、もっと繁華街とかある普通の町で普通の会社とかで働いていたら、
誰かを殺す必要はなかったんじゃないかな。
自分の中に爆発するエネルギーを貯めなくて済んだと思う。
僕も昔はもてることがすごく難しいと思っていたこともあるけど、
もてるのなんてぜんぜん難しくない、と今では思う。
親切であれば、それだけでもてる。
誰かを助けようと思っていれば自然にもてる。
あまりにも枯渇しすぎていて、「誰かに親愛の情を与えてほしい」と
いつまでも強く思っていると、その砦の中に篭ってしまう。
外に出ることができなくなる。
自分で作った砦に自分が殺される。
死なないために
自分の生が空しくなる前に
誰かを助けよう
先日の秋葉原の通り魔事件にて友人を亡くされた方の日記の引用の引用
直後ひかれた友達にすぐさま駆け寄った。
・・・立ち尽くした。
素人でも分かる、重体。
自分はなにもできなくて
ただ大声で、何度も何度もそいつの名前を呼んだ。
やがて応急処置の知識のある人達があつまりだした。
・・・すごいなと思った、半面、情けない。
そんな中
回りを見回すと
なんなんだよお前ら、馬鹿ばっか・・・
そう思った。
「不謹慎です、やめてください!」
とりあえずやめさせようとした
無視された。
嫌な顔もされた。
非常時も楽しもうとしてるのかな。この人たちは
なんだか自分の周辺でも事件について語ったりネタにしたりする話題があると"不謹慎だ"とかいう空気があるようだ。
空気大っ嫌い。
事件現場の動画をアップしただけで非難されるとか。なんだか無言の言論抑制の様な気がするぞ。自分だけかな? 見当外れな自粛なんてせずに好きなように作品書いたり、語ったりすればいいよきっと。
君や自分が自粛したからといって被害者が生き返ったりする訳じゃないし。
「彼女がいない、この一点で人生崩壊」と感じることと通り魔をやることに関連性を見出せる君の思考回路はよっぽど加藤君に似ているんだろうね。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080608/crm0806081629015-n2.htm
佐世保の銃乱射事件は含まれていないのね。
怨恨や痴情の絡んだ事件として処理されているのか。
犯人像はかなり近い気がするんだが。
不謹慎なことだけど、たった7人かと感じちゃってる自分がいる。
7人"も"殺されてる大事件のはずなんだけども、何故か少なく感じちゃってる。
最近は無差別殺人とかそういう事件が多かったから感覚が慣れてしまっているのもあるんだろうけども、
自分の中では大事件に感じないし、凄い他人事に思える。
何だろう、通り魔に切り付けられ数人怪我しました、ぐらいの事件の感覚。
刺されて路上で点々と倒れている人たち、警察に包囲され追い詰められていく犯人、
普段なら新聞記事やキャスターが原稿を読み上げるだけの、文字媒体を基本としたものだけで終わることが、
写真や動画として大量にうpされてるものだから、何かいつものアキバ系blogである記事みたいな感じに、
距離が"近すぎて"現実味が薄れてしまっているのかな。
場所が秋葉原というのもあるけども、いつものオフイベントとかパフォーマンスとか
どこかそういうものに感じてしまっている。
最後に、亡くなられた方々には心よりご冥福をお祈りいたします。
ttp://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080609/1212966011
だから僕は赤木智弘さんの「希望は戦争」のように、「あんまり追い詰めると爆発するぞ!(だから金銭配分したほうがリスク回避になりますよ)」という恫喝には一定の効果しか認められないと思うし、今回の事件にもそう思う。それに、通り魔をする前に、社会運動をする、デモをする、小説を書く、演説をする、投票をする、ブログを発信する、その他その他、あと精神的なものなら精神科に行くなど、できることはまだたくさんある。安易に通り魔を代弁者として賛美してはいけない。その前にやるべきことなど、大量にあるのだ。そして世界を変えていくほうが、通り魔なんかよりずっと有効である。
つうか、そこで「関係ない」と割り切れるのが羨ましいよ。
俺は毎回こういう事件が起きると胸を痛めるけど、それはそんな自分に酔いたいからじゃなくて、単純に「自分がこんな被害にあったらと思うと怖い」からだ。通り魔事件なんて、「俺には関係ない」っていうが「関係ない人間」が殺されるのが通り魔事件。お前だって殺されていたかもしれないしこれから殺されるかもしれない。勿論俺も。俺の大事な人たちも。そう思うと「怖い」だけだ。だから早く犯人を捕まえて欲しいしそんなことが起きないでいてほしいだけ。
俺以外の人もほとんどそうだと思うぞ。
別に「酔ってる」んじゃなくて自分ないし自分の大事な人がそんな目にあったらと思うと怖いだけ。
お前みたいに「俺にはそんな事件は起こりはしない」と構えていられたらいいんだが……いや本当に羨ましい。どうしても俺は怖さが先立つよ。本当に厭味とかじゃなくてマジでお前みたいになりたいよ。もう胸痛み疲れた。悲しいニュース観ると本気で辛い。他国のニュースでも普通に全然キツい。だからもう、ニュース自体あまり見なくなった。秋葉原の件はネットで目にしてしまったが。
こんな事件俺には関係無いのでどうでもいいです。秋葉原にはたまに行くけど、知り合いが被害にあってない。だから関係ない。毎日人が死んでるのにいちいち感傷的になってられない。それにノンフィクション(事件、ニュース…)よりフィクションのほうが楽しい。ノンフィクションに感情移入なんてしないよ。ただの事実でしかない。歴史の教科書読んで涙する奴なんてほとんどいないでしょ。
今VIPでは祭になってるけど、事件が秋葉原じゃない、他の事件は大した祭にならない。秋葉原だから祭になるなんて人間らしさがよくでてますね。自分と関係あれば感情移入するけど、関係なければ感情移入しない。これが普通だと思う。イラク人が何人死んだって日本人はなんとも思わないでしょ。
そういうことに無自覚で、知り合いでも何でもない人が「ご冥福をお祈りします」と言う。こういうの大嫌いだ。そうやって「被害者、遺族に感情移入できる自分」を気取ってればいいと思う。
でもそういうのが平和を生む。比率的に殺人を憎む人が多ければ多いほど殺人は起きない。日本の教育はよく出来てるよ。ほんと。もちろん教育だけじゃないけどさ。まあ、嫌いだけどこういう人たちは必要だ。腹が立つけど平和なのには勝てないしね。
中継とか全部段取り組んである
うん。ちょうどエコパーク見てた。
生放送の中を臨機応変に対応して臨時ニュースやってたから、いつもながら手際のいいNHK、だと思ったんだよね。
やっぱ臨時ニュースはNHKだな、とか思った。新聞屋がまとめるまでの間はネットで情報補完できるし。
今回は、あれ以上の対応は必要なかったと思うよ。
「秋葉原通り魔殺傷事件 多チャンネルのNHKがさっぱり役に立ってない件」
たまたまその時間にNHK見てたんだが、即座にニュース入れるあたりは「いつものNHK」だったと思うぞ。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/06/nhk_c3b4.html
広義ではそう考えるだろう。今日たまたま起こって数人が死んだのと、地球規模で影響がでる(かもしれない)話とでは。
すでに容疑者は拘束され、被害者もしかるべき機関に搬送されている。事件としてはすでに終わってるのだ。
(容疑者が逃走してたらまた話は別だが)。
火山噴火、地震、台風等と違って、刻一刻と状況が変わっているわけではない。民放でL字情報出してた局もあったが、あれこそワイドショー的やじうま構成だと感じた。
今回の場合は、リアルタイムにだらだら情報流すのではなく、30分おき、1時間おきでいいから、情報確認・整理して流すのがマスコミの仕事だろうと思う。NHKは「いつものNHK」だったと思うぞ。