2008-06-11

ここにこう書いてるのも、気分を悪くしたら申し訳ない。

それほど近しい訳ではないけれど、

秋葉原であった通り魔事件の被害者に面識のある方がいた。

その日何度か目にしたニュースで、たしかにその人の名前を聞いていたが

次の日職場で聞かされるまで繋がっていなかった。

秋葉には良くいくので、事件を聞き知ったときから嫌な気分だったが、

それを聞かされて、なんだか名状しがたい気分だ。

写真映像テレビネットで見たが、なんだか現実感がない。

けど現実だから、そこはそれ粛々と続いていく。

現場に献花をしにいったとき、そばにはテレビ局の車が数台駐まっていた。

あぁ、取材してるんだろうなぁと思ったけど、だから帰ると言う話でもない。

何人かで行っていて、1人が声をかけられて、答えていた。

こんな時に答えるべきなのかというのと、

でも答えて正直に伝えて、何か伝わるんではないかという気もする。

もちろんそこはありのままを伝えたからそのまま書かれるというコトでもない気もするけど

それでも、亡くなった方が大切な方だったともう人間がいることを表明するのは

いつかどこかで、自分たちより被害者の方に近しい人たちの

何か慰めのようなモノになるんじゃないのかという気もする。

まったく野次馬のように見える目撃者も、語ることで何かショックを埋め合わせている気もする。

今まであった、類似の事件報道を見ていて、被害者のこと、加害者のこと、事件のこと

そういったことを何故語れるのだろうかという疑問があったけれど、

そういう考えをしている人も少なからずいるのではないかという気がしている。

口が軽すぎやしないか。そういう風に思っていたし、

そう思っている人が少なからずいるんではないかとも思うから。

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