「退職願」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 退職願とは

2009-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20090910103116

「相手が正しくなければ自分も誤っていて良い」理論が多いなぁ。

同類になるなら、あんた人の事はいう筋合いはないよ。

次の就職先に下調べされないよう、素行には気をつけましょう。

いちおー以下だけご注意。

http://q.hatena.ne.jp/1193046853

従業員を不当に拘束しない範囲内であれば、退職願の提出期限を2週間より長くした就業規則の定めも有効とした裁判例もあります(昭37.4.23浦和地裁熊谷支部決定)

2009-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20090906164439

もう自分では無理していっぱいいっぱいのつもりなんだけどね。

ここで自分の意思を出していいなら、退職願を出して、違う方法で社会貢献の方法を考えたいところだけど。

時代って奴なのかな。

宝くじは、どんどん「はずれ」の度合いが増していくんだろうね。

2009-09-02

会社辞めた

どこにもかけそうに無いのでここに書く。

私は高卒零細企業に入社した。IT関係の会社

先月いっぱいで辞めた。

簡潔に言うとこのまま続けていく自信が無くなった、というのと手取りの問題とかその辺。

バイトの方がまだ、給料がいいらしい。

甘えというか、一時の気の迷い的なものだったと思う。若干後悔している。

何の経験もなく入社し、始めは基本情報資格のための勉強をしていた。落ちた。

そのあとは簡単な仕事をやらせてもらったり、プログラミング勉強をしていた。

プログラミングは与えられた課題を消化していくものなのだが

それが、だんだん分からなくなってきた。分からない部分を調べても分からないし

聞いても、教えてもらえなかった。

正直、このままではやってけないと同時に、この仕事自分には向いてないんじゃないかと

よくIT業界はほとんどブラックだとか、よく考えたら時給で換算したら最低賃金より低かったとか。

それじゃあ、いっそやめてしまおう。と考えた。その時点ではまだ完全にやめるとは決めてなかった。

ある朝、猛烈に胃が痛かった。このことに関して前日からかなり悩んでいたからである。

無理すれば行けたが、この日は、休もうと思った。しかし、親が心配してわざわざ電話をかけてしまったのだ。

親には、長くこの会社を続ける気はないと伝えてあったからかもしれない。

そしたら、親が「今日会社に来ないと終わり(クビ?)だって、早く行きなさい」と同時に

「辞めるなら自分の口で言って来い」と言われた。

そうして辞める意思を会社に伝えた。

その日一日はとても長く感じた。

お世話になった人と話し合いしたりだとか、学校に連れて行かれて先生に引き止められたりとか。

結局、一日の猶予を与えられたがその時まで考えは変わらなかった。

辞めた後の事は考えてなかったが、

東京の親戚が東京仕事あるから東京に来なさいと言ってくれたので、東京に行くことにした。

一昨日、正式に会社を辞めた。退職願社長名前ミスって怒られた。なにやってんだろ・・・

これからどうなるかは自分でも分からない。東京に行って仕事を探すことになるのは確かだが

この不況の中、やっていけるかどうか不安で仕方ない。

あぁ、なんて自分馬鹿なんだろうね。高卒だから仕方ないか。

書いてしまったら若干楽になった。

こんなに長い文章を書くのは2ヶ月ぶりだ。

2009-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20090813020327

俺は失敗見込みが失敗確定になる少し前に恐ろしくなって全力で逃げた。

全力でといっても退職願とか引継ぎとかその辺の本当に最低限の事はやった。

その後、体を壊して故郷に帰った人や遠くに飛ばされる予定の人もいると聞いた。

逃げ出した案件はぎりぎり顧客の妥協ラインに引っ掛かったらしく、それを聞いたときは本当に身勝手な話だが心底ほっとした。

元同僚や仕事や特にきつかった時の精神状態をあまり思い出さないように隠れるみたいに過ごしてる。

みんなすげーよ。

2009-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20090527194741

転職を考えたことのない俺ですら知っているくらい「退職願」と「辞表」の区別は常識中の常識だと思っているだけなのだが。

退職願辞表の違いなんて常識だと思ってたが

よく考えたら俺転職経験あるもんなあ。

転職なんて考えたこともない、周りもみんなまったり終身雇用、みたいな昭和サラリーマンの人は知らないのかもしれないな。

増田には辞表退職願の区別も付いていないアホがいる

2009-03-30

会社が嫌になったら

会社が嫌になったら、転職活動をしてみるといい。

意外と雇ってくれる会社は多い。(良いか悪いかは別だけど)

後はいつでも鞄に退職願を入れておく。

いつでも辞められるんだと思うだけで、かなり気が楽になります。

2008-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20080904150727

職場をバックれた自分の経験が少しは役に立てるかな。

ちょうど10年前の話。

自分の場合高卒だけれども、能力自体にはそれなりに自信があった。

高二の時にやった知能指数検査で、あとで一人だけこっそり結果を教えてもらえた。

学年一の結果だったそうだ。

先生としては褒める目的ではなくて、むしろ「なんで能力があるのにやらないんだ」という発破的な考えで教えてくれたのだが、なにしろ若いので、単にその上っ面の数字だけを見て舞い上がる。

(ていうか学年一でIQ124って低レベルすぎだろw)

そして「大学入試なんて単なる短期記憶能力テストと根性試しでしかないじゃないか」と変な方向に悟り、上京してデザイン専門学校へ。

が、無駄に高いプライドのためにロクに友達も出来ず、アパートに半ば引きこもり状態に。

水道・ガス・電気すべてが止まり、半年風呂に入らないこともあった。(当時、地元から遊びに来た元同級生は「浮浪者寸前」という感想を持ったそうだ)

深夜に半額になるパンを買いに近所のスーパーに徘徊する日々。

結局家賃を溜めてしまい、消費者金融から5万を借りてから退去。

神奈川県にある工場期間工に応募する。

工場雇用試験の時もなんか知能指数検査っぽいことをやらされて、その時も試験官に驚かれた。

が、もうその時点で自分の能力などにはこれっぽっちも自信を持っていなかったので、かなりどうでもよかった。

コピー機の検査仕事で寮に入り、期間工とはいえそれなりにいい給料をもらってた。

寮も個室でクーラーつきだし、工場の食事も格安で、待遇に不満は何もなかった。

友達がそれほど多くはないが、もともとそれほど人と付き合うのが好きではないので別にかまわなかった。

その数少ない友達の中に、自分の運命を変えるきっかけとなったT君がいた。

旅行好きなT君は、今までもオーストラリアワーキングホリデーに半年行ったりするなど、チビで華奢なメガネ男子の外見には似合わず妙にアクティブな行動を取る性格。

でも基本的には気が弱く、人との共同行動を好まない。

類は友を呼び、彼とはいまだに友人である。

工場で働きだして約半年後。そのT君が、どこかに旅行に行こうと言い出した。

普段飲まない酒を珍しく飲んでいた自分。気が大きくなり、

「いいねー。どこにする?」

インドに行きたい」

「えーインドかよ。俺アメリカがいいなあ」

トランプで決めよう」

トランプにそれぞれの行きたい所を半分づつ書いて、混ぜて1枚引く。

Tは全部インドと書いた。

そして当然のようにインド行きが確定。

さてここで彼の変な行動力が出る。

自分自身の工場への退職願いもとっとと出して、ビザの申請などもテキパキと済ませる。

それだけではなく、話半分のつもりでいた俺の分の航空券まで手配した上に、旅行代金は任せろとまでいう。

自分自身の金ならともかく、30万近い金を無駄に散らせてしまうのもあまりに悪い。

しかし自分は彼と違い、職場上司にもまったくそのことを言っていない。

そのまま当日まであっという間に時が過ぎた。

どこまでも強引なTの手伝いにより仮住居(Tの友人マンション)に荷物を運んだあと、私は携帯をぶっちぎり、そのまま海外に飛んだ。

別世界のようなバンコク熱帯夜

安宿のバルコニーで圏外表示の携帯電話を見て、「なにやってんだろーいいのかなー」と途方に暮れまくる俺。

そしてとっとと一人でインドに旅立つ友人(ビザ関係で自分は数日遅れの出発)。

英語もわからぬまま一人取り残される俺。

インドには約1ヶ月いた。

帰りのチケットの期日だけはしっかり覚えて、わけがわからぬままにそれなりに自由に動いてた。

駅で絵を描いて人を集めてみたり、北の山奥にあるダージリンに行ってみたり。

結局、Tに再開したのは帰国当日の空港だった。

RPG主人公みたいな格好をしているTを見て笑う。

帰国後、今までのツケは当然ながら来た。

基本的に生活能力がない自分。居候先もでぐうたら寝てばかり。

しまいにはぶち切れた居候先の人に、借用書つきで追い出される。

彼に対してTは文句を言っていたが、自分としては追い出されて当然だったと思っている。

(ちなみにその彼はその後、今から数年前にAdsense小切手換金サービスを途中でバックれて警察沙汰になったようだ。そのサービスを彼が運営しているとも知らずに自分が使っていたということを知った時には声を上げるほど驚いた)

いよいよ行くところが無くなった自分、実家に帰ることにした。

金がないので深夜のフェリー北海道へ。

(当時は釧路行きのフェリーもまだ現役だったのだよなあ)

鈍行列車バスを乗り継いで、地元の小さな町へ。

バス停に降り立った時点で残金は数百円。

バスから降りた時の地元の空の広さは、きっと一生忘れない。

家に戻ると、親父が洗車していた。

50代だというのに白髪だらけだが、元気そうではある。

なんと声を掛けたかは覚えていない。

が、怒鳴り散らされるわけでもなく、両親も姉もなんというかいつも通りという感じ。(いつもといっても数年ぶりの再開なんだけど)

空いている部屋で、泥のように眠った。

その後、免許を取らされたり。

地元商工会に顔を出さされたり。

長年苦しんでいたアトピー性皮膚炎に特効薬が出来て、外見的コンプレックスがやっと消えたり。

T君に送ってもらったPC-9821CeになんとかWindows95を入れようとしてもがいているうちにいつの間にかパソコンを覚えたり。

商工会課長さんが自分を信頼してくれて、商工会ホームページパソコン教室の講師を任せてもらったり。

そして、地元パソコンサポートをやることで、自分の存在価値をやっと見つけて。

それが、今は田舎の平凡な文房具屋のせがれの、昔あった出来事です。

でもきっと、まだまだいろいろあるんだろうと思う。

これだけいろいろなことがあっても、自分は一度も死にたいと思ったことがない。

きっと死ななければまたいいことがあると思う。

2008-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20080715153150

今からでも遅くない。全て録音しとけ。

別に訴えはしなかったけど、上司退職願いを受理してもらえた日と、出勤最後の日にラジカセ持って来て、全てのヒステリックな発言を編集して、職場で流してあげたよw

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん