はてなキーワード: 洋菓子とは
8 名前: 洋菓子のプロ(三重県)[] 投稿日:2007/12/16(日) 10:24:55.21 ID:+20/X1930
<がんばれ森のキノコたち??>
暗く湿った森にひっそり佇み、飢えたDQNを迎え討つ。
【ドクツルタケ -毒鶴茸-】
新聞紙上で毎年戦歴を並べる最強の戦士。「殺しの天使」の異名を持つ。
エレガントな姿からは想像もできない凄まじい毒性を持ち、肝臓、腎臓を
スポンジ状に破壊、数日間から約1週間苦しみを与えた末、死に至らしめる。
体重60??の人間の場合、ドクツルタケ約1本分(8g)が致死量に相当する。
【クサウラベニタケ】
有名な食用きのこである「ウラベニホテイシメジ」と同じ時期、同じような環境に
互いに混じりあって発生する毒キノコで、ベテランDQNでさえこの2種の判別は難しい。
まさにゲリラ戦の勇士である。
かつてカストロから、チェ・ゲバラと並んで勲章を授与されたこともある。嘘である。
胃腸系の毒を装備し、嘔吐、下痢、腹痛などでDQNもタジタジの一品。
【ツキヨタケ -月夜蕈-】
ブナの樹幹に群生し、食用のヒラタケ、シイタケ、ムキタケに形状に似せDQNを誘惑。誤食を誘う。
食すると嘔吐し続け、手の先がしびれ、数日間七転八倒の苦しみを与える血も涙もない仕打ちは、
正に毒キノコならでは。
「偽」「謝」「変」「苦」…。日本漢字能力検定協会(京都市)が募集する「今年の漢字」が12日、今年も京都市東山区の清水寺で発表される。昨年は41年ぶりの男子皇族となった秋篠宮ご夫妻の長男「悠仁さま」のご誕生や、相次ぐいじめ自殺などにからみ、「命」が選ばれたが、さて今年は…。一足早く市民や有識者に予想してもらうと、やっぱり“あの字”が浮かんできた。
「阪神も期待通り活躍できなかったし、今年は『偽装』の『偽』に尽きる1年でした」と話すのは、阪神タイガースの経済効果などで知られる関西大学大学院の宮本勝浩教授(62)。中でも、船場吉兆の食品偽装事件について、「大阪の信用を失墜させた」と批判する。
神戸市中央区の湊川神社広報室の鈴木智子さん(29)も「偽」。「食肉、洋菓子、和菓子と次々に偽装が発覚し、年金問題や防衛省汚職事件もあり結局、市民や消費者がだまされた格好だ」
街の人は言う。「食品偽装に伴って化粧美人や雰囲気イケメンが増えた。構造は同じ。偽装は偽装、若者は外見より中身をみがいて欲しい。食品偽装と同じで、薄皮一枚の美しさなど何の意味もない」
初めて見たとき、うまい表現するなって思ったんだ。
「デザート」だとあくまで食後に食べるものっていうイメージだし。
「洋菓子」だと果物とかアイスクリームとか入らない気がするし。
「甘味」だと和菓子だけじゃなくてあんみつとかも入るけどやっぱり和物だけを意味するイメージだし。
だから、食事とは関係なく単独で軽く甘いものを食べたい時に「スイーツ」って表現するのはなるほどなって。
「和スイーツ」って言い方はどうなのかとは思ったけど、和風の「甘味」に対して洋風の「スイーツ」という対比の言葉なら、洋風にアレンジした和菓子を示すなら雰囲気出てるんじゃないかと。
「パスタ」が笑われる理由もよくわからない。
を読んで思ったんだが
別にこの人に限った事じゃないかもしれない
自分の印象では、はてな民の多くは過激な言い方をすれば「アンチ普通の人」であるような気がする。
「普通の人はこうみたいですね、でもちょっと理解できないな、それ(笑)」←こんなスタンスの人が実にはてな界には多いと感じる。
しかし、だ、
これが俺は、本当によく分からない。
ケータイ小説を好きであれば「普通の人」であり好きでないならば「普通じゃない」のだろうか?
スイーツ、と言えば「普通の人」であり言わなければ「普通じゃない」のだろうか?
逆に
「普通の女子」なら髪を巻き上げているはずなのだろうか
「普通の女子」なら「だよねー」「うんうんー」という会話しかしないはずなのだろうか……
「普通の人」って一体何だ。どの基準をクリアしたら「普通の人」認定されるのか。一つでもひっかかれば普通の人なのだろうか。ケータイ小説が好きだけれどもスピリチュアル(笑)江原(笑)と思っている人は普通の人なのか、普通でない人なのか。雑誌でスイーツの店をチェックし、スイーツを食べに行くのが好きだが、ライトノベルが好きで、韓国ドラマが嫌いな人は、普通の人なのか、普通でない人なのか。髪を巻き上げ、ディズニーランドに行くのが好きだが、議論が好きで、「だよねー」「うんうんー」といった会話が嫌いな人は、普通の人なのか、普通でない人なのか。スイーツもライフハックも好きな人は、普通の人なのか、普通でない人なのか。
一体普通の人とは何なのか。自分は普通でない人だ、というスタンスで語っている人は、本当に普通でない人と言えるのだろうか?
例えばケータイ小説スイーツなどなどを普通の要素とするならば、その人は本当に普通の要素を一つたりとも持っていないといえるのだろうか?それとも一つまでなら持っていても普通でない人を自称する事は許されるのか?ならばいくつ以上持っていれば普通の人と判定されるのか?その境目は何か?そして誰が判定するのか?そもそも普通の要素は一体誰が決めたものなのか?本当にスイーツと呼んでいる人は多いのだろうか?ケータイ小説を支持している人は多いのだろうか?
普通の人って一体何だ。
人はそれぞれたくさんの様々な要素を持っている。洋菓子をスイーツと呼ぶ。呼ばない。ケータイ小説が好き。嫌い。ディズニーランドが好き。嫌い。ファッション雑誌が好き。嫌い。ライフハックが好き。嫌い。ライトノベルが好き。嫌い。バラエティ番組が好き。嫌い。ニュースが好き。嫌い。鉄道が好き。嫌い。韓国ドラマが好き。嫌い。などなど。たくさんの要素をそれぞれが多彩な組み合わせで持って生きている。
その要素のうちどれが「普通」でどれが「普通でないか」は定まっていないし、定まっていたとしても「普通要素を何個以上持っていれば普通」という決まりはない。
ただそれぞれの人間が漠然と、「これは普通っぽい要素なんじゃないか」「これは普通っぽくない要素なんじゃないか」と思っている。「メディアでそう言ってた」「周りの人間数人が皆そうだから」などの理由で。
そうして各々の感じる「普通っぽい要素」をたくさん持っているであろうと思う人を、「普通の人」と言う。あるいは一つ自分の思う「普通っぽい要素」に引っかかっただけでも「普通の人」と言う。
自分を「普通じゃない人」と言う人は、自分の感じる「普通っぽい要素」に自分が当てはまらないと感じ、自分の感じる「普通っぽくない要素」に自分が当てはまる、と感じている人だ。そしてその人が感じている「普通っぽい要素」を、他人も「普通っぽい」と感じているとは全く限らない。
判定基準は全て自分の中にある。
客観的な「普通の人たち」があるのではない。
普通かそうでないかを決めているのは自分自身。
人間はそれぞれが個別の様々な要素を抱えて生きている。それだけの話。
「普通」って、そのくらい、曖昧で、あやふやで、どっちつかずで、内容の無いものなんじゃないか。
ゆえに「普通」を気にする必要など全くない。
ありもしない「普通」幻想に怯え、それと自分を対比させる必要もない。
「普通の人」はいない。
とにかく甘い物に目がない。
もともとグルメでお取り寄せ好きだったが、ここ数年のデパ地下ブームとスイーツブームで完全に覚醒した。
スイーツ特集が載っている本ならCancamだろうがhanakoだろうがなんでも買ってくる。
1日限定○個、有名パティシェのどうたらな単語の羅列にとことん弱い。
ネットの口コミチェックも欠かさない、それから地図をプリントアウトして、家族の分も大量に買ってくる。
誕生日やら記念日やらなにかにつけておそらく自分が食べたい一心で
一口サイズのおしゃれな細工がしてあるケーキを全種類とか、
これどこから食べればいいんだと迷うような凝ったケーキを買ってくる。
自由ヶ丘のスイーツフォレストなんかは当たり前のようにオープン日に行って並んでいた。
当然銀座やあらゆる地域のデパートやショップのオープン情報も掌握している。
私は甘い物は人並みに好きな程度で、エヴァンが高級チョコレート程度の知識しか持ち合わせてない。
母は洋菓子の類は好きではないし、大学生の弟は果物くらいしか食べない。
だから高級スイーツを買ってきても誰も手をつけないので、買ってきた本人がほとんど一人で平らげてしまっている。
歳を考えろ糖尿になるよと言ってもまったく耳を貸さない。
愛読書は西原理恵子と村上春樹、好きなアーティストはクラムボン、好きな映画はシザーハンズ。
そんな父(51歳)。
時代とともに変わる言語感覚、俺は結構好きなんだけど。その時代どういうのがセンスいいとされているかを反映してる気がして。若い奴が創作する略語とか言葉も好きだ。ああいう創作する感覚、結構俺は凄いと思うんだよな。言語の事となるとやたら人って20代から保守的になるけど。変わり行くのもまた言語の醍醐味かなと思う。特に日本語は、和スイーツとか日本語と英語くっつけたものまで柔軟に受け止めちゃうとこが凄いわけで、寧ろ和スイーツなんていう言い方は面白くて俺は好き。和菓子でもいいじゃんって言うけど、逆に言えば別に和スイーツでもいいじゃん?なんでそんな昔の言葉に拘るんだろうと俺なんか逆に思っちゃうけど……
それに和菓子と和スイーツって多分(そういうこと詳しくないから自信はないが)違うんじゃね、微妙に
和スイーツってのは多分そういうガチな和菓子じゃなくて、和の素材を使った洋菓子とか洋菓子的な和菓子とか、あるいは饅頭でもデザイン・造形がイマドキだったりとかそういう感じじゃないの?
そういう微妙な言葉の感覚が俺は好き。結局新しい言葉が生まれるってことは、それなりに新しい意味もついてくるってわけで。ていうかだから生まれるわけで。完全に以前の言葉と置き換わってるだけ、なんて寧ろ珍しいと思う。ズボンっていうと昔のダサいジーンズみたいなの想像するけどパンツとかいうと今はやってるようなオシャレな奴想像したりするじゃん。
ああそうか、だからきっと、「和菓子でいいじゃん」って人にとっては、その必要性がないわけなんだ。「和っぽい菓子は全部和菓子でいいじゃん」と思うわけだ。でも、例えば菓子が大好きな人は、ガチな和菓子と最近のオシャレなそれとの違いを微妙に見分けて、それを語り合う上でそれらを区別する必要が出てくるわけだ。
初音ミクが音楽を変えるかどうかとか、一般人に認められるか、とかは
わたしにとっては正直どうでもいい。
初音ミクを歌わせることは、
趣味で編み物やお菓子を作ることに似ているのじゃないかと思う。
既製品のセーターやお店のお菓子のほうが、よっぽどセンスがあって品質も高いし
値段だって安いけれど、
趣味で作りたいという人は存在し続ける。(流行り廃りはあるけど)
作ることが楽しいから作るのだ。
だけど、作りたいという衝動を持っている人のすべてが
オリジナルのセーターをデザインしたりオリジナルのレシピを開発したりできるわけはないので、
編み図を買ったり、見本を真似したり、レシピ本を買って、作って、楽しんでいる。
たまには地域の文化祭に出品したりするのもモチベーションの源になるだろう。
根がミーハーなわたしは、新しい手法が紹介されてちょっとしたブームになると、
それがやってみたくてたまらなくなってしまう。
(すこし前だけど、羊毛からフェルトを作るフェルティングには興奮した。
羊毛にお湯と洗剤をかけて摩擦するだけで、靴やら帽子やら人形やら、
ふんわりやわらかに自在に整形することができるのだ。
だたし、毛玉が猛烈にでやすいのであまり実用には向かない)
わたしは、初音ミクにも同じような興奮を覚えてしまい(わたしは女なので性的な意味ではない)
今日、買ってしまった。
うまくできるかどうかわからないけど
家にあるキーボードに久しぶりに電源をいれることになりそうで、
とてもわくわくする。
もしもまかりまちがって、気に入った曲ができたら、ニコニコ動画に投稿すればいい。
きっとだれかが見てくれて、ヘボいとか言ってくれるだろう。
ただ趣味で作ったものというものは、
手作り品を他人にプレゼントしたり、お菓子を配ったり、ということについては
冷静にならなければならないかなあと思う。
あまりにもセンスが違う手作り服とかもらうと途方にくれるし、
大量に洋菓子を作って配ってくれても食べきれないし、病気で食べれない人もいる。
時々、ご近所にそういったものを配りまくる人というのがいるが、
これは相当に脅威的だ。
しかも、善意だからこそ余計に手に負えない。
そんなわけで、初音ミクで作った音楽を一般人に広めることに性急になるのは、
あまり幸せな結果が期待できなさそうだと、個人的には思う。
とまあ、そんなことはおいといて、
あんまり意識してなかったんだけど、TBしてくれた増田の意見を見てると、やっぱり洋菓子って難しいのね。分量とかって、あまり考えたことなかった。適当にバター減らしたり、薄力粉増やしたりして遊んでた。どうりで自分でも成功例が少ないと思った。ちなみに元増田の言う「洋菓子」は一応、バターケーキを意識しちょります。クッキーとかスポンジケーキなら分量が異なってきます。
それでも失敗例は数知れず。
http://anond.hatelabo.jp/20070120155609
不二家社員乙
社員なら知ってるだろうけど、不二家(生洋菓子部門)は昔っから悪い噂が絶えなかったんだよ。おぞましくて口に出せないような不衛生実体がね。今に始まったことではない。