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はてなキーワード: 対偶とは

2008-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20080222075422

ごめん、この議論に関わるつもりは全然無いんだけど、会社勉強会命題論理勉強したのの

いい復習材料になりそうなので、使わせてもらいます。

()は文章に書いてないけど勝手にこっちで補足した箇所。

----------------------------

[主張1]

私は近藤さん頭がいいと思わない(頭が悪い)

(なぜなら

)

[主張2]

優秀な社員は次々にやめ、はてなどんどん衰え(てい)る。

  • 近藤氏はインタビューで「私が日本にいたら彼らも留まっていたかもしれない」といっているが、そうではない。
    • 彼らは
    • はてな”という会社に魅力を感じなくなったから
    • かつ
    • 近藤氏の行動にも魅力を感じなくなったから
    • やめた

[主張3]

Googleなど基盤を持っていないIT企業にはどうしても会社としての賞味期限がつきものだ。

(よってこの主張の対偶 「IT企業がすぐに倒れない ならば 常に新しいサービスを出し続け、ユーザーの興味を持続させ続ける かつ 広告以外でのビジネスモデルを展開する」 が導かれる)

[主張4]

(

  • [主張1]頭が悪いし
  • [主張2]社員にも見限られているし
  • [主張3](新しいサービスを出し続ける) かつ (広告以外でのビジネスモデルを展開する)ができていない よって はてながつぶれる

なので

)

近藤氏ははてな社長として適任ではない

[主張5]


----------------------

こんなところかな。この文章自体の主張は主張5になると思う。

主張5に反論したければ、主張4か、主張1,2,3の全部を否定すればよい。

さすがに「近藤氏がはてなの成長を望んでいる」というのは否定しちゃまずいだろうし。

手っ取り早いのは「はてな経営の適任者の必要条件てなによ?」と聞いてみることかな。

この文章の隠れた前提として、近藤氏より優秀な経営者がいる(、かつ、その人が

はてなに来てくれる)というのがあるみたいだし、優秀な経営者の条件を聞いてみて、

その穴を指摘してやればいい。

2007-12-20

はてブに全レス MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの?

レスと謳いつついくつか除外してます。

はてなブックマーク - MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの?

2007年12月19日 pho life 「思いどおりに書けなかった小説を見せて下さい。何作くらいあるんですか?」口先だけで、何もできてないよ。今日何をするか。今何をするか。

森博嗣は「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」「どうしても、思いどおりに小説が書けません。どうしたら、良いでしょうか?」などと言ってないし、考えた成果は小説として世間にアップロードされています。

「口先だけで何もできてないよ」が独白なら失礼。

2007年12月19日 str017 読み物 この文章、もしかして反語?

反語じゃなくてダメ押しかと思われます。

2007年12月19日 Erlkonig 森博嗣, 自戒 ほぼ好意的なコメントばかりで意外。「いくら必死で考えようとしても同じところをぐるぐる回るだけで何の新しい具体案も出てこない者のことも考えろ!」ってあの辺りの人が言いそう。

そこまで考えてないんでしょう。

2007年12月19日 welldefined 中間結果をそのつどアウトプットしなけりゃ進まない

中間どころか初手すら実行していないのに言い訳しようとするところが取り沙汰されているのです。言い訳を剥いでみれば案の定。

2007年12月19日 anemoto どんな些細な思いつきでも、頭の中からいったん出さないと始まらない。

誤読は自由ですが、ダジャレを乱発してもセンスは磨かれないでしょう。

2007年12月19日 kanimaster hoge 「まとまらないものを見せて下さい」はあまりにも無粋。考えるのと出力するのは別の行為でしょう。(文章としては面白いけど。

もちろん別の行為です。

「まとまらないものを〜」は文章化の途上で簡略になっただけで、実際は同じ趣旨で違う表現だったと思われます。何にしろ些事かと。

2007年12月19日 shinpei0213 途中のものを見せると、すごい勢いで叩いてくる上司に悩まされています。ダメなのはわかってる。だから相談してるんじゃん!一気にモチベが下がります。

途中のものを見せなければいいんじゃないでしょうか。見せる相手を選ぶ知恵は欲しいものです。

ついでに指摘しておくと、あなたは反例を示したつもりなのかもしれませんが、それはただの愚痴です。

2007年12月19日 mutronix もーほんと、腕組みして考える奴見てると張り倒したくなる

軽率なあなたとは相性が良さそうです。

2007年12月19日 Ayas 考え方 一理ある。この場合、非現実的な案や、「何か関係有るかな?」と思ったキーワードの羅列を示す。メモ魔万歳。

そのキーワードの羅列を活用した経験はおありでしょうか?

2007年12月19日 Quadrifogrio 読み物, ビジネス 評価軸の問題じゃないのかな。過程を重視するか結果を重視するか、見せる状況と相手によって変わる

その文脈でいえば過程も結果の一部です。

2007年12月19日 yuu013 たぶん、案はでるけど、ダメだって思ったら、そこで消しちゃうのがだめなんかな。とりあえず、ダメダメを並べてみて、そっからダメじゃないのを考えるのが考えるってことだということかな?

早すぎる見切りは何も産みませんが、ゴミを抱え込んでも身動きが取れなくなります。

あるいはダメだと思う理由を分析するのも一興かと。

2007年12月19日 klov ダメなものを見せると否定されるから見せないんじゃないのかしらね。

ダメなものを見せてみないとわからないと思います。

相手や状況によりますから、一意に定まる事項ではありません。

2007年12月19日 YOSIZO いい話 ぐは。耳が痛い。ちゃんと考えねばな。

そろそろ何か得られましたか?

2007年12月19日 cloverleaf24 教育, 言葉, 考察 出力しないとだめという話。

言い訳しているという自覚の欠如の話かと。

2007年12月19日 shigeeru life, think 200も300も考えていられる暇人がうらやましい。最適化しないの?

3ヶ月で300、30日で100、1日で3ですからそんなもんじゃないでしょうか。タイトルであることを考えると、数は少ないとすら思います。

またプログラミングの格言でいうように、早すぎる最適化は悪だとする一派も存在します。

2007年12月19日 hemo-hemoge つまらんものでも最後まで書き上げて数をこなしていけば何か見えてくる。失敗作を晒すのは心が折れるがプライド捨てれば無問題

数さえ稼げばいいというようなものではないという認識重要です。何のフィードバックない失敗作は真の意味で失敗です。

2007年12月19日 agx 考察, 言葉, lifehacks, idea アウトプットする途中でだめだと思って嫌になってしまうことがよくある、今は嫌でもとにかく形にしてから修正するように心がけてる

嫌だと感じた理由が直感か気分かを解明できれば克服できそうに思われます。がんばってください。

2007年12月19日 castingvote 思考 「考えた」と「考えようとした」は全然違うという考え方。

2007年12月19日 iriari 考えても考えても思い浮かびません><

考えてないからではないでしょうか。思考と、脳への単純な負荷は別物です。

2007年12月19日 API 私は考えるフリがうまいです。ではダメなんだな良くわかった。

社交的にはそれが最適解だと思われます。

2007年12月19日 hagihide 妄想することは大事なのです。

妄想というのも深いものからまどろみのようなものまで様々ですが、自由思考の重要性は理解できます。

2007年12月19日 namikawamisaki 「書いてから悩めば良いではないか。」「採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。」ああ、死ぬほど書いたり創作活動やってもいいんだ。きっと。

そもそも良い悪いの決定は本人以外になしえません。

2007年12月19日 natu3kan ネタ 読み手に喜んで小説を読ませる手腕なんて、まさに??したつもりに相手をさせることだったりするじゃないですか。

興味深い指摘です。それを肴に少し考えてみます。

2007年12月19日 dododod 考え方 形にしなくちゃ

形にすればいいわけではありませんが、形にしようとする意志は重要です。中抜きはいけません。

2007年12月19日 bowbow99 プロトタイピング漏れた部分はどーすんだろ

後で穴埋めする方法を考えてみる、全部捨ててやりなおす、見てみぬ振りをしてやりすごすなどでしょうか。

なぜプロトタイピング漏れたのか分析し次回に生かすのも重要です。

2007年12月19日 usj12262 philosophy 本当に頑張ったの?本当に時間がないの?本当に無理なの?/どんなにがんばって力を加えても、成果がなければ仕事量は0

自問であれば良いのですが、他人に向けられた言葉ならやや辛辣さを感じます。

力が加わったのなら観測できないだけで0.0000001くらいの仕事量はあるようにも思えます。

2007年12月19日 willnet なるほど 考えるとは、具体例をいくつも出すということ。アウトプットが何もない「考えた」は「考えようとした」にすぎない

違います。本当に考えたのなら蓄積があるはずですから、求められればそれを見せればいいだけのことです。

対偶を取ると「具体例がなければ何も考えていない」になります。ワイルズは何年も考えた末にフェルマーの最終定理を証明しましたが、その間は常にアウトプットしていたのではなく常にインプットしていたのです。証明の執筆というアウトプットは思考の文書化に過ぎません。

2007年12月19日 shibusashi 考え方, 言葉 『多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。』森博嗣節全開です。 とにかく、考えがまとまらないなりにどんどん思考の断片を書いていくのは結構有効。

記録的性質の強いノートではなく、テンポラリな作業領域としてのメモという意味でなら同意します。散らかった頭では考えがまとまりません。

2007年12月19日 shunsuk life, work 「多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。同様に「悩んだ」も「悩もうとした」である。」 読もうとした。

相似性を期するなら「後で読む」→「後で読もうとしている」でしょうか。

2007年12月19日 sirnight 人生, 生活, 言葉, 創作 「考えましたが??」はやるのを忘れてしまった時の良いわけだろ常考

まったくです。「本当に考えたかどうか外部からはわからないだろう」という前提が通用するはずありません。

2007年12月19日 tondol *life 普通日記でこういう言葉が出てくるあたり、本業ってすげー。

普通日記じゃありません。仕事で書いてます。

2007年12月19日 kusamisusa 人生, 読み物, 思考, 創作, 教育 「量の無い質は無い」by大道

エピグラムもそうですね。

2007年12月19日 esbee けだし名言である ぐうの音も出ません。頑張ります

それから何を頑張りましたか?

2007年12月19日 tkugimi life, idea 「考えてもいい案が思いつかなかった」という人に考えたものを見せてといっても見せてもらえない。ほんの一瞬考えようとした、というだけで「考えた」と言うな。何十時間も考えて、案を出すことが大事

「何十時間」という単位が適切かはわかりませんが、極端な短時間があてにならないのは同意します。

2007年12月19日 genms LifeHack 「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」これ使えそう

あまり頻用すると適当冗談で逃げられてしまうので控えめに。

2007年12月19日 ext3 「多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のこと」/それが出来るか出来ないかが重要なんだよなぁ/実際書こうとしても何も思いつかない。その内めんどくさくなって書こうとするのをやめる

それくらい何かを考えるのは難しいということだと思います。興味のないことを考えるのは苦痛です。

2007年12月20日 hirayama46 思考しても言語化するのってすごく難しいと思うのだけど……。いいわけとしての「考えた」が嫌いなのはわかるけど。それでも「考え」や「悩み」を否定されてしまうのは、辛い。/うう、なんだか的外れな気が……。

思考そのものと思考を言語や図に符号化するのは別だと思いますが、結論さえ持っていれば案外たやすいのも事実です。

結論途上のものを符号化する能力は思考能力とは別個と捉えないとたしかに問題ですね。

2007年12月20日 marser 創造 これもいい文章。悩むのは、脳味噌絞りきってから。どんどこどんどこアウトプットを繋げて行くべきなんだな。死ぬまで。

夢野久作にとってドグラマグラ以外の作品はすべてドグラマグラへ至るまでの習作だったという話をどこかで読みましたが、習作がすべてガラクタだったわけではありません。

2007年12月20日 Okky 考察, lifehacks アウトプットがなければすべてただの言い訳と判断されても仕方がないよ、という話

飛躍が過ぎます。

2007年12月20日 proust etc 問題の性質によって、案というものがどんどん出てくるものもそうでないものもある気がする

その場合は深化より選別に思考リソースを割くべきです。案がたくさんあっても採用できるのは1つか2つでしょうから。

2007年12月20日 fuktommy 言葉 なんだオレオレ定義か。

オレオレでない定義など存在しません。この定義は再帰的です。

2007年12月20日 schtark idea >殻に閉じこもって内側にイメージをずーっと溜めている、それが普通の人/http://gitanez.seesaa.net/article/73206541.html

コレクターといわれる人種は、本人以外にとってはただのゴミでも愛着を持って保管します。さて、イメージもコレクションの対象になりうるのでしょうか?

2007年12月20日 gitanez idea, lifehacks ブクマコメントのやる気レスな感じはいったい何? グダグダ言ってるヒマあったらやったほうが早いってこのエントリは言ってるだけの気がするんですけど。アイデアなんてはじめは手クセです。手を動かせばいいだけ

はてなブックマークにやる気が横溢してたら人は集まらなかったでしょう。

やったほうが早いのは真ですが、エネルギー消費量は比較になりません。

2007年12月20日 platrer think ダメな例を幾つか思いついてたとしても、相談相手(もしくはリーダー)の性格によっては見せたくないのも事実。「まとまらないものを見せて下さい」は相手と自分の間にある程度の信頼関係がないと無理かも。

そもそもが「良い案が思いつかなくて」に対する揚げ足取りなのであまり深く考えるとドツボにはまります。

2007年12月20日 temtan 生活 俺にはレベルの低い人を理解しない文章に見える。本当に本人が考えたかは本人にしか判らない。「考えた」かどうかあくまで主観でしかない。その人の「考えた」がアウトプットで見たらレベルが低いだけ。バカの壁

本当に本人が考えたかは本人にしかわからないという前提を用いて「考えたんですけど」という言い訳誕生&定着。本当に考えたのかどうか確認するための問いとその答えの観察。ただの社交的なパワーゲームに思える。

2007年12月20日 t-murachi !はらぺこ, 創作, 開発, 信念, 仕事, 教育 これ、最近オープンソース界隈で言われていることにも通じるね。中途半端でもいいからまず公開しよう。話はそれから。つか、自身に響かないアイデアはすぐ忘れちゃうのよね。考えるときにはメモを取るといいと思う

コードが一番「何を考えたか」「何をやろうとしてるのか」がわかる符号化方式だからかと思います。コードに比べたら自然言語なんてノイズが酷すぎる。

2007年12月20日 gabari 人生 考えさせられる,と書こうとしてやめた.確かに自分もそうかも.考える段階に入る前に考えようとしていることに飽きてしまうことが多い.>「「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。」

実践できているのは見るのはいつでも感動的です。これからもがんばってください。

2007年12月20日 kuli うざい人ってことでオケ

誰がかはわかりかねますが、あなたが典型的な人であることは窺い知れました。

2007年12月20日 penkun ブログ, 教育 「考えようとした」という行為はすでにその人の中で色々な思考が働いているはず・・。それは「考えた」の一つだと思う・・。迷ってはいるが・・。

せいぜい1分2分の結果じゃ大したことないという証左にも思えます。

2007年12月20日 bolivia 読んで落ち込む気持ちも解るが、ここはポジティブに考えよう。「考えました」と言われたときにこう責めれば良いと学んだし、自分が「考えました」という立場のときにどうごまかせば良いかも学んだじゃないか。

その通りだと思いますが本筋とはあまり関係ありませんね。転んでもただでは起きないというか。

2007年12月20日 kamisa 反省しようとしている自分に気がついた!

反省しようとしたのに気づいたんですね。気づくだけじゃまだ足りません。

2007年12月20日 tsukitaro 仕事 一言つっこまれるだけで簡単にボロが出る、とても脆い言い訳

ボロが出ないようにするにはどうすればいいか考えてみるのも面白いかもしれません。

2007年12月20日 vanish_l2 考えることを放棄したら脳みそは飾りになってしまうですね。

思わずパキスタンカラキマシタを連想しました。失礼。

特に考えなくとも脳は様々な機能を司っていますよ。

2007年12月20日 bukemu work, idea ごめんなさい

具体的に自分の何が悪かったと思って謝罪しましたか?

2007年12月20日 Lhankor_Mhy 言い得て妙 うーん、これは反省しよう←「何を反省したのか見せなさい」

そういうことです。

2007年12月20日 s-feng work, lifehack, column, education 汚くてもまとまってなくても、考えてアウトプットを出してから、どこがまとまっていなかったのかを検証するということかな。>> 多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらし

アウトプットを出す必要はありませんが、出すことによってまとまることもあります。

2007年12月20日 guri_2 考察 たぶん、瞬間瞬間でいろいろ考えているんだろうけど、すぐに忘れて「考えたような気」だけが残るんだと思う。そういうのも掘り起こすクセをつけたい。

瞬間的な思考は持続的な思考とは別物です。前者は主に勘とか思いつきとか言われます。

2007年12月20日 Borom *lifehack, 文章論, 考え方 耳が痛すぎる指摘。駄文も書かなければ駄文にすらなり得ない。書く癖をつけなきゃ。

駄文も書かなければ駄文にすらなり得ない」というのはなかなか名言だと思います。同時に、書けば駄文だが秘めていれば名文という側面もあります。

2007年12月20日 obacan フレーズ いいアイデアが浮かばないと言われたら「じゃあいままで浮かんだ悪いアイデアを言って」。われ巧遅より拙速を重んず。最初の段階、まずこれからだ。指導するとき使おう。

拙速より巧遅を採るべき場面もあると思います。小説タイトルなんかは拙速で決めると後悔の種になりそうです。

2007年12月20日 stealthinu lifehack, 仕事 『沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。』考えた、とは具体案を複数考えて、やっとそう言える、と。

多角的に対象を見るということかと思います。具体化する必要がなければ抽象のまま扱えばいいだけです。

2007年12月20日 asiamoth 森博嗣, writing, thinking いつものように騙されて(遊ばれて)いる人が多いけど、森博嗣さんがタイトルを考える時間、長くても数日くらいだよ(『ミステリィ工作室』を読もう)。大体、一冊書くのに数ヶ月かけてないし。

あ、たしかにそうだ。騙されてた。考えるべきことを発見するのも大切だと学びました。

2007年12月20日 ihmaiwtd あとで読む, (・∀・)イイ!! 考えることが好きだったはずなんだけど、最近は反射的に逃げている自分がいる。

考えるには体力が要りますから、加齢とともに思考能力も衰えるのでしょうか。その分を蓄積した経験や知見でサポートしているのだとしたら寂しいものです。

2007-11-08

ギークってなんなのー。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50946959.html

自分自身を含めて、人間コードとか設計書みたいにドライに扱えるひとのことか?そういう風に扱われても平気にならないと、ギークにはなれないのね。俺にはとても無理だ(>_<)

ギークは人を褒めない」が真なら、その対偶「人を貶めない人はギークではない」も真になるかな?

俺のイメージでは、(dankogaiさん以外の)いわゆる「ギーク」と呼ばれる人たちのblogは、他の一般人のblogよりもむしろ優しくて謙虚な言葉が多い気がするんだけど。それに、blog2ch愚痴罵詈雑言を垂れ流してるのがつまりギークってことでもないだろうに。

俺にはわからん世界だ。ギークのみなさん、頑張ってください。俺は今日スーツを着て会社に行くよ。

2007-08-21

博士就職できない理由は、日本年功序列アメリカ実力主義だから

http://anond.hatelabo.jp/20070821000854

博士就職難で、その理由はコミュニケーション能力協調性欠如などと新聞に踊っているが、

新聞はなんで根拠も無しにあんなことを書いているんだろうか?

完全に名誉毀損だろう。

博士就職が難しい理由なんて、普通会社で3年過ごせばすぐわかることだろうに。

原因日本会社風土にあるってことでも説明してみっかな。

日本人プライベート仕事をあまり区別しない。

お酒の相手も仲の良い有人ではなく、同じ会社の社員と飲む。

終身雇用前提だから、社員は一生その会社人生を過ごすことを想定して仕事してる。

年功序列だから、上司は無能が多いし、無能でも給料はおおよそ平等に貰える。

天下りみたいなのも普通にあって、幽霊老人社員とかいるわけよ。

そんなんでも会社は余裕でまわる。

税金工事みたい発注がいっぱい来るからね。

自由競争市場ビジネスしてる会社なんてあんまりないわけ。

(あんまりぬるま湯につかり過ぎると、世界競争に巻き込まれて日本沈没かもな)

中には「俺は社会人」とか言って張り切ってるやつもいるけどさ、

ぶっちゃけ平々凡々ぬるま湯まったり世界なわけよ。

そんなところに、やる気と知性に満ち溢れた博士課程の学生が入ってきたらどうなるか・・・

mixiコミュ乱入する日下部さんを想像してもらえばいい。

ほとんどの博士は、大学受験を勝ち抜き、修士博士の5年間をたった1人で戦い抜き、

世界に通じる業績を捻出してくるやつらなわけよ。

博士課程の学生の4分の1は東大生で、9割は超高学歴

そんなやつらが「僕、新入社員です」とかいって入ってきたら、お前らどうするよ?

部活で例えれば、後輩にスタメンとられちゃった先輩は、その後輩にどう接しますかってこと。

もちろん、博士を雇えば、生産性はあがるかもしれない。

だけど、それと引き換えに失うものがある。そうプライドさ。

どんなに言ってることが正しくても、結局会社なんてmixiコミュと一緒。

馴れ合いが大事。

正しさも生産性利益も求めてません。

大事なのは、馴れ合いであり、自分の立ち位置なんですよ。

だから会社村に、天才は必要ないんです。

だからね、博士はおろか、そもそも優秀な社員なんて恐くてとれません。

あの和風外資コンピューター巨人の○○○でさえ、

インターン書類選考する時にかわいい子を選んでるんだと

中の人が自慢してました。

でも、最近は事情がちょっとかわって来ました。

海外との競争が本当に激しいです。

あんまり温いことやってると、本当に会社が傾きかねないです。

今後はどうなるかはわかりませんが、まあ会社なんてこんなもんですよ。

1人で世界にチャレンジしちゃうような博士課程の学生とサシで勝負できる社員なんてほんの一握りです。

そういう人が会社支えてます。

以上、ネタでした。

PS

Q. アメリカ就職すればいいんじゃないですか?

A. アメリカ就職するには、ネイティブ並の英語力が必要なので簡単ではありません。ですが、待遇給料にすると3倍から5倍以上違うとかなんとか。また、修士博士外資系企業に行く率は高いです。特に優秀な人が外資にかなりの割合で流出しているのが現状です。ただ、外資にいく場合、年功序列のかわりに人種差別がある可能性があります。給料などは暗にそういう基準に従います。

Q. 博士卒は全員優秀なのか?

A. ピンキリです。ですが、うんこジャーナルでさえ論文を掲載することは簡単ではないですし、うんこ国際会議でさえ英語論文を投稿し、査読を通過し、英語発表するのはとても大変なことです。従って、底辺でもそこそこのレベルです。一方、上は果てしなく頭の良い人が多いです。修士の上位層が博士に進んでいると言っても過言ではありません。中には金銭的な理由で修士卒業する人もいますが。

Q. 博士に進んでもいいですか?

A. 分野によります。数学物理のような産業とはほぼ無関係研究をする場合、アカデミックポスト争いに敗れた時のリスクは計り知れません。一方、工学系で就職できないケースはほとんどありません。いずれにせよ、肝に銘じて欲しいことは、研究は手段であって目的ではないとういことです。あなたが博士過程に進むということは、10年以内に人類に大きな影響を与える研究成果を叩き出すという契約であって、あなたが研究人生を過ごすためのプロセスではありません。研究がしたいだけなら、趣味でどうぞ。

Q. 博士に進むメリットはなんですか?

A. 3年間、自由に研究ができることです。企業に入った場合、あなたの行動は制限されます。あなたがどんなに有望な技術だと感じていても、その研究企業リスクを感じていたら、取り組むことはできません。一方、「研究してる自分が好き」なだけであれば、企業に入った方がいいでしょう。そういう人は企業にいっぱいいます。大学にもいっぱいいますが。

Q. 博士に進むとコミュニケーション能力が鍛えられないんですか?

A. いいえ、1人で戦うからこそコミュニケーション能力が必用です。会社と違い、あなたを助けてくれる人は極小数です。一方、社会とは1人で生きられる程甘くはありません。ですから、常にコミュニケーション能力を磨く必要性に晒され、嫌でも対人能力を磨かざるえないでしょう。少なくても、群れから出たことのない羊や、決まったプロトコルでしか会話できない端末のような人に比べれば、力強く柔軟な対話能力を身につけることができるでしょう。その分、苦労は計り知れません。

2007年08月25日 kiya2014 コミュニケーション能力があったら打算考えるから博士なんて行かない。対偶をとると、博士に行くやつはコミュ能力欠如

http://d.hatena.ne.jp/kiya2014/

Q. 「コミュニケーション能力がある、ならば、博士に行かない」またはその対偶の、「博士に行く人はコミュニケーション能力がない」は真実ですか?

A. もし上記が真実であれば、「コミュニケーション能力があるならば、成績が悪い」そしてその対偶の、「生成が良ければ、コミュニケーション能力がない」が成り立ちます(既に書きましたが、博士課程に行く人は、主に学力で上位に位置する人です)。これは現実と照らし合わせる間違っていると思われます。従って、「コミュニケーション能力がある、ならば、博士に行かない」がそもそもの誤りであり、その対偶である「博士に行く人はコミュニケーション能力がない」も誤りということになります。対偶は証明の手段ではないのであしからず

2006-11-08

 

生徒A「どうして答えだけじゃダメなの?」

教師「先生は過程が見たいのだよ」

生徒A「だってさ、どうする?」

生徒C「あたし過程はあってたけど答え間違ってたから部分点なかったけど」

生徒A「うーん。総合すると、答えがあっててかつ答案用紙てきとうに埋めときゃいいわけね」

生徒C「なんだ、結局答えがすべてなんじゃん。馬鹿らし」

生徒A「そりゃそうでしょ。マニュアル主義的には妥当態度だし」

生徒C「納得いかねー」

生徒A「だから、採点マニュアルにそう書いてあるんだよたぶん。答えがあってても他が空欄なら×とせよ、みたいな」

生徒C「あー納得」

生徒B「あ、そうか、現実忘れてアカデミックな方向に引きずられるからわけわかんなくなるだけか」

生徒A「そうそ。あたしたちにとっては点数がすべて。教師にとっては理由あるいは言い訳がすべて。理念なんてどうでもいいわけ

生徒C「なら攻略法もあるわ」

生徒B「国語なんか思いっきりそうだけど数学も例外じゃないのか。あーあ」

生徒A「学校教育する場所じゃなくて、教育したっていう既成事実をつくるための場所なのよ。勉強したいなら一人でしなさいってこと」

生徒C「そこまで極端なのはちょっと」

生徒B「でもこの学校のあの教師について考えたとき、その言い分は正しいと思うな。あたしたちがおかれてる状況を充分説明できてる」

生徒C「p⇒q? 日本語でいうと、えっと」

生徒A「あの教師にしてこの教育あり?」

生徒B「んーでも集合論的におかしくない? 教師は教育の部分集合でしょ?」

生徒A「教育現場ボトムアップでもないしね。たしかに因果律が不自然だ」

生徒C「じゃあ、こんな状況になった十分条件なんて定義できる? あの教師ってのは必要条件てことになるけど」

生徒B「うーん、マニュアル主義の功罪ってやつ?」

生徒A「あたしわかるよ」

生徒C「なに?」

生徒A「過程なんて毎回考えるの面倒だから、結果だけコピペしちゃおうって姿勢の帰結」

生徒B「なるほどねー。必要外のことに注力できるのは熱意あるアマチュアだけだし」

生徒A「職業教師になに幻想抱いてんだってこと」

生徒C「じゃあ国語数学以外もそうだね。教師が点を与えてもきちんと言い逃れできるだけの回答をすればいいわけだ」

生徒A「これ定理だね。正しいだけじゃほしいままにならない」

生徒B「対偶取ると、ほしいままにしたいなら正しさ以外にも目を向けよ、か」

生徒C「この場合、ほしいままってのは良い成績取ることだから、綺麗事に目を背けず、やるべきことをやらないと」

生徒A「てことで、この正答だけが書いてある答案に点数つけるにはどうすればいい?」

生徒B「論破すれば?」

生徒C「さっきの定理によれば、それ以外にも、たとえば教師の逃げ道が必要だよ」

生徒A「じゃあこうしよう。『この問題文には答えよとあるだけで、証明せよ、求めよ、といった過程に対する言及が見られない。にもかかわらず後になって過程も見せよとはどういうことか。これは問題文の不備か教師の恣意的な受け答えに過ぎない』ここまでが論破部分ね。んで『なのでいま私にこの問題を実際に解かせ、その過程を見ていてもらいたい。その上できちんと採点していただきたい』」

生徒B「それをあの教師にもわかる口調にしたら終わりだね」

生徒C「しっかし、ここまでしなきゃならんもんかね」

生徒A「仕方ないでしょ。あいつだって、答えコピペして成り上がってきたようなやつだし」

生徒C「まーね。それにしても過程の重要性を知らない人間はほんと疲れるわ」

生徒B「そりゃコピペは頭使わないから馬鹿でもできるし、それこそがコピペの有用性じゃない」

生徒A「ま、愚痴はこのくらいで。さっさと教育しにいこ」

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