はてなキーワード: 対偶とは
最近、立て続けに別々の知人から「あいつは人の陰口をよく言うから信用ならない」てな愚痴を聞いた。(「あいつ」というのは同一人物ではない)
これ自体が陰口じゃないか、というツッコミはとりあえず置いとくとして、人の陰口をたたく奴というのは信用できない、のだろうか。
対偶を取ると「信用できる奴は他人の陰口を叩かない」となるが、この命題にはちょっと違和感を感じる。
私のある知り合いはAという奴を嫌っていて、よくAの陰口を叩いているが、約束は相手に関わらずきちんと果たすし、基本的に義理堅いやつだ。信用できると思う。
「信用できない」と思う根本には、他人の陰口をよく言うのだから、どこかで自分に関する悪口も言っているのではないか、という疑念があるのだと思うけど、私としては、「陰口くらい叩かせてやれよ」と思う。それなりに付き合いのある相手なら、自分のどこかに不満を持つだろう。至らないところを直接忠告してくれたら素晴らしいことだが、それほどの友人がたくさんいては困ることもあるだろう。自分の知らないところで吐き出してくれるなら、それはそれでいいのではないかと思う。
私としてはむしろ、他人の陰口を一切叩かない奴の方が信用おけないんじゃないかと思う。そういう奴は大抵他人をちゃんと見ておらず、独りよがりになりやすいし、義理も軽んじるからだ。……って、これは私のことだな。自戒自戒。
わかったよ解説してやるよ。
これは「(不況で求人が無いという条件の下で)ダメ⇒就職できない」という命題が真だっていう主張。
この命題の対偶は「就職できる⇒ダメではない」であって、元の命題が真ならこれも真、というのは論理の常識。
一方で、元の命題の逆命題は「就職できない⇒ダメ」であって、お前は、俺がこの命題を真だと認めたと思ってる。
しかしある命題の逆命題の真偽は、元の命題の真偽からは決定できない。これも論理の常識。
従って俺はこの命題については始めから何も言ってないわけ。
にも関わらずお前は「お前はこの命題が真だって言っただろ!!」と的外れなことをいつまでも言ってるわけだ。
中卒だって言うんなら謝るけど、高校出てるんなら問題だぜ。
逆・裏・対偶についてはhttp://www6.plala.or.jp/yottya/docs/ronri1.htmlこの辺でも読むといい。
今適当にググっただけだから、もっとわかりやすいのもあるだろうけど。
そういうのは趣味でないので、ずっと見ないでいた。
最近、「うみねこのなく頃に」を見ててWikipedia読んでその設定に感心した。
これが、事件の起こった六軒島が閉鎖空間で「シュレディンガーの猫」の状態(外部の観測者が観測するまで内部には色々な事象が確率的に交じり合っている状態)になっていて
さらに「悪魔の証明」(悪魔が「いる」ことを証明するのには悪魔を一匹つれてくればいいが、悪魔がが「いない」ことの証明は全て現象において悪魔が存在しないことを証明しないといけない)や
「ヘンペルのカラス」(「カラスは黒い」の対偶は「黒くなければカラスではない」。全世界の黒くないものがカラスでないことを証明すれば、(カラスを見なくても)カラスが黒いことを証明できる。現実世界では無理だが、小島の閉鎖空間では全数の確認が可能な所がミソ)まで使われている。
前作が「ひぐらしのなく頃に」だと書いてあったので、アニメを見てみたけど、面白かったね。
閉鎖時空物に分類されるが、ようはプレーヤーがバッドエンドを繰り返して情報を集め、最後にトゥルーエンドに至るまでの繰り返しを描いているわけだ。
最初の1回目だけを見て以前はそこで見るのをやめていたが、全部を見ると初めて意味がわかった。
http://anond.hatelabo.jp/20081019115056 あたりでまたTOEICネタがブックマークを集めているので、便乗してTOEICについて私が思っていることを書くよ。ソースは主に私の脳内。
ここまでは前置きで、今回言いたいのは、「T O E I C は 美 味 し い」ということ。大多数の日本人は日常生活で英語を一切使用せず、かつ英語の勉強もしないので、そのド素人集団から頭一つ抜けるのは意外な程簡単。要するにTOEICで800や900点を取るのは本当は簡単。高得点を取るのが容易な割に、高得点を取るとネイティブ並に喋れると大いに誤解されて大いに尊敬されるし(少なくとも日本の大学や企業や研究所では)、就職や転職にも有利(少なくとも日本の企業では)。ずいぶん美味しいと思いませんか?
勉強法はなんでもいいよ。TOEIC程度の試験だと、勉強法によって点数向上ペースにそんなに差が出ることはないです。TOEICは素人同士の対決であり、かつ対戦相手は勉強をほとんどしないのだから、こちらが勝ちにいけば勝利は約束されてるというだけで。世間では、TOEICで高得点を取るのは司法試験合格並に難しいと誤解されているので、皆さん勉強する前から諦めてしまって勉強しないようです。そうではなく、TOEIC試験は簡単だということを頭に叩き込んで、どんな方法や教材でもいいから、英語の学習を開始さえすれば人生の節目節目で美味しい思いができるよ。
関連リンク
特に関連しないリンク
http://anond.hatelabo.jp/20081008205450
お前の主張は
「モテるやつ」の集合の中に、「キャバクラに行くかつキャバクラにハマってない」人間が少なくとも一人いるということ。
これは
に矛盾するだろ。
・村上春樹が嫌い
大学で春樹を読むとかいう授業も受け、まぁ良く出来た本だとそれなりに感動もした。
しかし、ストーリー自体がつまらな過ぎる。
「今日は飯が美味かった。後は風呂入って寝る」ってな内容でもコイツなら文学作品にしちまえるんだろうなぁとか思う程に、中身が無い。
どれも綺麗な動画集としては最高な作品だが、シナリオがクソッタレもいいところ。
いっそ「海の動画集」とか「n十年代の情景動画集」とかってタイトルで映画を出せば良い。それなら割り切れる。
かわいい女の子だらけにして媚び売る漫画は別に不快では無いし、シナリオが無くてもまぁエロ本みたいなモンだろうと捉えて読める。
久米田の様にお題を決めた上で様々なネタにツッコミを入れていく訳でもなく、
オタクがネットで話題に上げてるネタや用語を拾い集めただけで、一環したテーマも無く、筋も無い漫画は目にするのも不快。
・上記の3種を素晴らしいと語る者が嫌い
彼らには何故か一環して、はっきりと「自分は嫌いだ」と言ったとしてもその作品がどんだけ良い物か語り続ける傾向が有る。ホントウザイ
・傾向と対策
まとめて見るとただシナリオに中身がない、かつ大衆に評価されてる作品が嫌いなだけなんだなぁ。
対偶出すと、
嫌いで無い作品とはシナリオに中身がある、または大衆に評価されていない物
大衆に評価されていない作品は探すの面倒だからシナリオに中身がある作品を探そう。
内田樹さんのプリンスホテルの議論(http://blog.tatsuru.com/2008/04/03_1313.php)だが、http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの議論は、結論は正しいが過程が間違っていると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんによる内田さんの議論の再構成はこういうものだ。つまり、内田さんが
A. ルワンダのような極限状態で人助けをするには超人的な勇気が必要で、それを要求するのは無法。
と述べていることから、以下のように組み立てる。
(1) 極限状態で客を助けないのは、卑劣ではない(Aから)
(2) プリンスホテルは、極限状態で客を助けないだろう。(B)
この再構成がおかしいのは、Aの翻訳である(1)だ。Aが述べているのは「ある人が極限状態で客を助けないからといって、その人が卑怯だとはいえない」ということである。つまり
(1') 極限状態で客を助けない人の中には、卑怯な人もいるかもしれないが、そうでない人もいる
ということ。したがって(4)のような結論は出てこない。
(「私は別にこのような超人的な勇気をグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーも持つべきだというような無法なことは申し上げない。」とあるので、本当に内田さんが「助けないなら卑怯」といっているかどうかには疑問があるが、一応議論の流れに乗っておく)
しかし(1')と(2)を組み合わせると、
(*) プリンスホテルは、卑怯かもしれないが、そうでないかもしれない。
という命題が出てくる。おそらく内田さんはこういうことを言いたいわけではないだろうが、これは内田さんの議論がちょっとずさんだから。というのは、内田さんは次のようなことを書いているが
もしグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーが内戦時代のルワンダでホテルのマネージャーをしていたら、彼はためらうことなくツチ族の顧客全員を政府軍に差し出しただろうということである。
...
だが、私の経験が教えるのは、平時に卑劣なふるまいができる人々は、軍国主義の時代や恐怖政治の時代にも同じ種類のふるまいを(もっと葛藤なしに)できるということである。
これは結局
ということであって、(1')と矛盾してしまう。ということで、わたしはhttp://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの結論
この人ほんとに学者?
には同意してしまうのである。
たぶん内田さんがやるべきだったのは、戦時中であればプリンスホテルの中の人がやりそうな------しかしそれをしないには超人的な勇気を必要としないような------卑怯なこと(しかし、彼らはそんなことは人道上しないといいそうなこと)の例を挙げることで、そうすると、プリンスホテルの中の人がいかにひどいかと言うことを描写できたのだが、例を出すのをケチってしまったので、こんなことになってしまったのである。
これはないだろ。ちょっと分かりやすくするために書き直してみよう。
A. ルワンダのような極限状態で人助けをするには超人的な勇気が必要で、それを要求するのは無法。
B. プリンスホテルが当時のルワンダにあれば、躊躇いなく客を政府軍に引き渡した。
以上から導かれる論理的帰結。Aから、客を助けないのは卑劣とはいえない(超人にしか出来ないから)。Bから、極限状態で客を軍に売り渡すプリンスホテルは卑劣とはいえない。Cの対偶を取ると”極限状態で卑劣でない人は平時でも卑劣ではない”。よって、プリンスホテルは平時において卑劣とはいえない。なんだ、彼はプリンスホテルの擁護をしてたのか。
これは違う。君が後で上げた解釈が一部ただしいと思う。
無理やり彼の穴だらけの理屈を養護する方法を考えたんだが、以下の方法ならぎりぎりプリンスホテルは平時において卑劣であることを説明できる。Aの解釈を「客を助けないのは超人でないならしょうがないが、卑劣であることには変わりない」に変更する。そうすると「プリンスホテルは卑劣でありえる」という結論になるが、今度は「世の中超人的な勇気を持つ人以外は全員卑劣」なので、きわめて例外的な一部の人を除いてプリンスホテルを非難できなくなる。
ここの前半はあっている。ただ最後の
今度は「世の中超人的な勇気を持つ人以外は全員卑劣」なので、きわめて例外的な一部の人を除いてプリンスホテルを非難できなくなる。
というところが間違っている。
「たいていの人は極限状態では卑劣だが平時には卑劣ではない」という前提のがAの裏に隠れている。
Cでは「極限状態での卑劣」であることXと「平時の卑劣」であることYが別変数としてあって、Y=trueのときX=trueと言ってるだけなのだから。