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はてなキーワード: デートスポットとは

2008-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20080915164328

「他の面ではともかく、恋愛向きのコミュニケーションがとれてない」

恋愛向きのコミュニケーション」って何だろうな。

リア充的な遊び(カラオケとかデートスポットに行くとか)を知らないということ?

2008-09-14

いわゆる恋愛マニュアル恋愛テクニックというのは、双方がモテ規範とでもいうべき

恋愛の型」に適応することを前提としている。

たとえば、デート代は男が出すものとか、女はデート用の特別な服を着るべしとか、

デートスポットとして雑誌に取り上げられるような場所に行けとか、男は女を家まで送って帰れとか。

また、女は男の前ではこのように振舞えとか女のこうした言動は好意(あるいは拒絶)のサインとか、

ある種の非言語的で暗黙の恋愛コードというものもある。

しかし、以上のような恋愛マニュアルは、そもそも恋愛マニュアルモテ規範に合わせることを

嫌がる女性女性の主流文化たるスイーツ文化を嫌う女性など)には通用しないと思う。

まさにモテ文化圏の中だけで通じるローカルルールにすぎないが、それが普遍的なルールだと

みなされることでどれだけ多くの非モテ男子や「非恋愛体質」女子が肩身の狭い思いをしていることか。

2008-08-27

これって恋愛なの?

オレは、増田男。増田を始めて数ヶ月のぺーぺー。

でも、今日、スゴく気になることがあったので質問させてもらう。

今日、海に行った。

2年くらい前に知り合って今も仲良くしてる女友達

そう、2人っきりで海に行くことになったのだ。

いちお、友達程度の付き合いなんだけど、なんか、こう、最近の出会う回数とか連絡する頻度とか考えると、友達の域を超えてるような気がしてね。

で、すごく気になるんだ。

こういうのって恋愛なんじゃないかと

実は、今回が2人で行動する訳ではないんだけど、なんか最近一緒に行動するときの目的地が変わってきたんだ。

なんていうか、こう、まるでデートみたいな。

知り合った頃も、今も、オレは恋愛意識していない。だから、2人であっても何かを感じる訳でもなく、食事したり、お茶しながらおしゃべりしたり、と。まぁ、人として普通の付き合いをしているつもりだった。ところが、最近は今回のように海だったり、高原だったり、動物園だったり、歴史景観の保存地区とか…。いわゆるデートスポット的な場所が多くなってきたんだ。

最初は楽しいから「よし!行くぞ!!」って今日の海に行くまでノリノリだった。

だけど、これって男女2人で、しかも友達程度の関係でやることなのか?って思い出したんだ。

今、オレに彼女はいない。彼女も独り身だ。

でも、昔はいた2人とも。

オレに彼女がいた頃、こういった遊びを良くしたものだった。

ただ一緒にいるだけでいいと思いながらも、色々なデートスポットを訪れた。

今日、一緒に行ったのは、あくまでも「友達」

でも、行き先は海岸。2人っきり。

やっぱりこれはデートになる。

彼女には、恋愛する気はあるのかなぁ?

社会人の2人なんで、ここで恋愛とかすると「結婚」とか意識されるだろうからなぁ。

と、考えていた。

オレは、彼女に近づくべきなのか、あくまでも友達として貫くべきなのか

頼む。みんなの意見を聞かせてくれ!!

2008-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20080730173217

デートスポットを自分でいろいろ調べてて詳しいのは大抵女子の方だけどな。

増田は本当に自分で調べて誰か誘ったことがあるのかな。

2008-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20080721201758

レストランとか居酒屋とか外食での男二人は別に拒否感愛と思うけど。新幹線と課だって男二人で予約するの一般的と思う。ディズニーランドだと違和感あるのはデートスポット家族旅行先と思われてるからでは?個人的には女二人で遊園地は変に思う。

2007-11-08

ケータイ小説を責めないでください!

パリスとあたしの違いはカメラがついてきてるかどうかだけだ。そう叫んで自殺した少女日本に生まれていれば、人生を謳歌できていたかもしれない。

確かに一歩目はブログだった。しかし、その次の飛躍はケータイ小説が成したものだ。ブログによって引き下げられた記述することに対する障壁を、情動のスイッチを押すことに特化した一群の物語完膚なきまでに破壊した。ケータイ小説赤潮のように繁殖した。その作り手であるケータイ小説家もまた。

いまやケータイ小説消費者のほとんどが生産者であった。創作されたケータイ小説はまず周囲の友人達によって読まれ、そのほとんどがそこで停止するものの、稀に口コミで広まり一般文芸にはありえない形のヒット飛ばすこともあった。そして、ヒット作の周囲には多くの模倣が生まれ、そのミームは拡散し浸透した。この文化の担い手は主に少女達であったが、彼女達にとって今や物語コミュニケーション上で通貨の役割を果たしていた。「泣ける」「感動した」等の賞賛の言葉は優れた物語に対する報酬ではなく、自分の物語を読んでもらうための対価となった。

このまま過飽和の状態が続くわけも無い。大方の識者と呼ばれる程度の文筆家達はそのように考えていた。事実、彼らのやり取りする物語は、劣化したミームのまとまりの無い堆積のようなもので、そこに生の声が塗りこめられていたとしてもそれを汲み取ることは、本人達にとっても容易なことではなかった。さらには、仲間内でしか判らないコード進行バズワードなどによって共通言語が小集団に分断されていき、しまいには原宿少女には渋谷で書かれたケータイ小説が読めないいうことも起こった。この緩やかなまとまりを持ちつつもタコツボ化していくケータイ小説界は、人文系、特に言語学者フィールドワークの対象として魅力的に見えたらしく、いくつかの論文を産んだ。中でも「ケータイ小説の系譜」はケータイ小説神話の発生と絡めたこともあって現代の金枝篇との評価も高い。

さておき、浸透と拡散、特化した小集団の枯死といった経過をたどってブームとして消費されるかに見えたケータイ小説は突如として変貌する。あるケータイ小説家が「あなたの人生小説にします」と宣言しサービスを始めた。既にケータイ小説市場に新奇の物語要素は存在せず、彼らは自分達の生活そのものをドラマチックな嘘と仲間内のコードで修飾して市場に流すようになっていた。そこにビジネスチャンス見出したのだった。ゴーストライターである。熟年を対象とした自叙伝ビジネスとほぼ相似の関係であるが、このゴーストライター雇用者に対して聞き取りをしない。雇用者の一切の創作の手間を省くためであるのだが、雇用者が若年であり語るべき過去を持たず現在進行形小説としてほしがったためでもある。従ってゴーストライター雇用者のあとをついていき、行動を小説に書き起こす。小説頒布とそれに生じる利益の追求は雇用者が行う契約だった。1:1対応のビジネスモデルは多くの追随者を生み、ケータイ小説市場モデル消費者でもある雇用者とゴーストライターに二分された。

「書として街に出よう」

一番最初に組織化されたゴーストライター協会のキャッチフレーズだ。人々はゴーストライターという形でフィクションを身にまとうようになった。そしてゴーストライター達は昔の演劇要素を発掘してきて観察者たる立場を確固たるものにした。

日本人外国人と街を歩くと説明に困る事態に遭遇する。外国人たちはあらぬほうを指差し「あれは何だ」と訊ねる。だが日本人には「あれ」が認識できない。認識しないことになっている。勿論「あれ」はゴールドライタンであり、認識しないのはそれが黒子の格好をしているからである。組織化され認知されたゴーストライターはその数を増し、街を行く人々の半数が黒づくめだった。この奇妙な習慣は海外に紹介され「KUROKO」は各国語に定着するほどになった。デートスポットなどでは男女のカップルの後ろに黒子が一人ないしは二人控え、次にささやく愛の言葉インカムを通して伝えていた。人々はいつしか物語の後ろを歩くようになっていたのだった。このことは、よりドラマ性を求める人々によって多くのトラブルを産んだ。例えば暴行現場を取り押さえた警察官によって逮捕された三名の中に黒子が二人含まれていたことなどを軸に、主体の所在についての論争がしばしば起こされた。この事件は合意の有無を巡って最高裁法廷に最終的に判断がゆだねられた。

そして、殺人教唆逮捕されたカリスマ黒子「IA☆GO」がAIであったという暴露により、混乱はピークを迎える。ゴーストライターの慢性的不足から、ゴーストライター協会は自立AIをひそかに利用していたのだった。このスキャンダルで幹部数人が逮捕されることになりゴーストライター協会は解散した。

後を受けて設立されたゴーストライター連盟が、AI「IA☆GO」の基本構造を継承して作られた記述AIをPAB(ParsonalArtificialBrain)として公式に商品化し、それがやがて人類から機械知性に文明を禅譲する流れになっていくのである。

ファック文芸部杯参加作 http://neo.g.hatena.ne.jp/objectO/20071117

2007-10-08

音と乗り物

http://anond.hatelabo.jp/20071008043352に触発されて。

音が無い風景も、音がある風景もどちらも楽しめるといいよね。

自分しかいない道路で、自転車のチェーンが変速する音を確かめて。

社用車で埋まってる高速道路を、バイクエンジン音でかき消して。

カップルのためのデートスポットを、音を立てずにランニングして。

音があると、自分が生きている気がする。

音がないと、世界が生きている気がする。

どちらも受け入れると面白いぜ。

2007-07-21

http://d.hatena.ne.jp/sen_1000/

西暦2026年日本にある奇妙な現象が起こった。出生率が激減したのだ。

もちろん、出生率の低下はつい最近に始まったことではない。前世紀半ば1970年ごろの、いわゆる第二次ベビーブーム以来日本出生率は一貫して下がり続けていた。だが、2026年に起こった出生率の低下はそれを凌ぎ、前年度の半数以下にまで落ち込んだのだった。だれもが首を傾げ、専門家市井ブロガーも、ありとあらゆる人がこの問題の分析を議論した。

21世紀情報化社会にあっても、丙午の女性は男を食い殺すほど強い、という迷信が健在なのだというトンチンカンな分析をする社会学者も居た。

この原因が分かったのはつい最近のことである。

O社というある小さな会社の出した女性ロボットが、その原因らしい。

そもそも、人間の基本的な欲求、適応度を上げると言う意味生物的に基礎的な欲求は、あるレベルを超えれば経済学で言う収穫逓減の状態を示す。水も空気食品も、あるいは快適な生活空間も人間の生存には無くてはならないが、ある一定以上を求めることは無い。もうおなかいっぱい、と言う状態が存在する。だが、男性の性的な欲求だけは例外であって、際限が無い。

三大欲求という言い方がある。食欲、睡眠欲、そして性欲を指すのだそうだ。このうち、食欲と睡眠欲は自身の存在を存続させる欲求、性欲は自身の存在を拡散させる欲求であると言い換えられる。では何故自身を存続させたいと思うのだろうか? それは、自身の存在を拡散させるため、自身の遺伝子コピーを広げるためであると言える。生物存在という目標のためだけに生物存在し、またその目標が無ければ生物自身も存在し得ない。果てしの無い自身の再生産のためだけに生物存在する。

男女の愛に関する悲劇の全ての源泉は、男女によって生物学的な適応度を高める方法が違うということに由来する。女性はいくら多くの男性関係を持ったとしても、直接には子供の数を増やせないが、男性は数多くの女性関係を持てば、原理的にはほぼ無限に多くの子供を持つことができる。それゆえ、自身の適応度を際限なしに高めることができる。だから、男性の性欲には限度がない。1000人、あるいは10000人と関係を持ったとしても、1001人目、10001人目の女性セックスできるだろう。

だが、一般的な水準の容姿と金銭と道徳観念を持った男性にはそんなことはできない。だから、売春が生まれ、ポルノが生まれた。英語で"the oldest profession"「最古の職業」と言えば、売春のことを指す。古くは版画やグーテンベルグの発明から映画に至るまで、あらゆるメディアにおいてポルノ存在した。ビデオデッキの規格戦争においてVHSが勝利したのも、その影にアダルトビデオがあったのは有名である。軍事的な目的のために開発されたインターネットを一般人に普及させたのもポルノサイトがあってのことだ。ありとあらゆる技術は、男性の性欲を満たすために使われてきた。人間経済活動は、男性の性欲に由来している。いや、そもそも言ってしまえば経済活動も含めたあらゆる人間の活動は、究極的に突き詰めれば、この男性の性欲の限度の無さに由来するのだ。人間無限の欲望も、背後にある原動力として性欲によっている。もし人間から性欲が無くなれば、あらゆる種類の人間の活動は全て無意味になる。

 たとえば、車は分かりやすいステータスシンボルであり、セックスアピールである。移動手段としては不相応なまでの高級車を持ち、ガソリン代、車検と不必要なまでのコストを掛けることは、生物学でいうハンディキャップ理論の表れであると言える。食欲を満たすという目的のためにはあまりに高級すぎる、人気のデートスポットであるフランス料理店。これも性的な欲求を含めなければ説明がつかない。動きにくく実用的でない服装や、映画や絵画といった美術ですら、究極的に突き詰めれば性欲に由来する。男性権力高収入を求める欲求が女性より強いのも、それが歴史的に女性を得る手段に直結していたからである。歴史を紐解いてみればいい。権力者独裁者はほぼ例外なく側室を持ち、多くの子を残している。アメリカの元大統領クリントンのように、権力者が複数の女性と性的関係を持つことが倫理的に許されないことになったのは、ごく近代のことでしかない。日本ですら、戦前までは政治家財界人愛人を持つことは当然のことであったし、社会通念的にも認められていた。明治天皇大正天皇ですら、嫡出子ではなく側室の子であった。「英雄色を好む」という言葉があるが、これは生物学的に見れば一種の逆転である。英雄と呼ばれる人間だけが好色なのではない。そうではなく、あくまで権力を得た人間は自身の欲求を実現する方法をも同時に得られるということでしかない。

しかし、人間婚姻という他生物には見られない独自の制度を持っている。世界中どこを見ても、結婚制度が存在しない社会存在しない。「交尾でオスの役割は終わり」という生物とは違い、どんな社会においても、人間男性は自身の妻や子供を養育する義務を持っている。(蛇足だが、人間男性が若い女性を好むのも、長期にわたって一人の女性と性的関係を築く婚姻制度によって生じたものである。その証拠に、交尾でオスの役割は終わりというチンパンジーの一種は出産育児経験のある中年のメスを好む。なぜならそのほうが自分の子供が生き延びられる確率が高いから)それゆえ、近代のテクノロジーが発達する以前の社会においては、自身の限度の無い性欲を満たせるのは、社会的に成功したごく少数の男性だけだった。付け加えて言うならば、有史以前、人間が貨幣を持つ前の狩猟採取社会においては、どうやら一夫多妻制度はまれであったらしいと言うことが分かっている。多くの皮肉屋の主張とは違い、資本主義の発達により貧富の差が生まれたことによって、多数の妻を養うことが可能になったようだ

だが、大容量のインターネット回線と、テレイグジスタンスバーチャルリアリティ、そして人型ロボット研究男性の際限の無い欲求を満たすことを可能にした。

月々数千円も出せば、海の向こうの幼い少女からディスプレイの中にしか存在しなかった理想の美少女まで、ありとあらゆる女性とのバーチャルな性行為が楽しめるのだ。お互いの性器に装着したネットワーク対応の性器具と、データグローブボディースーツ、そしてヘッドマウントディスプレイによって、その場に存在するような臨場感を持って、バーチャルセックスを体験させるサービスが提供されていった。インターネットサービスは、地理的な障壁や囲い込みがないため、常に、全世界が競争相手であるし、容易に相手のイノベーションを取り込めるので、リアルでは考えられないほどのすさまじい速度で進化していくのが常だが、ネット経由の売春も、その例外ではなかった。

そして、流れが決定的になったのは、前年に発売された女性ロボットだった。

ちょっとした高級車を買うくらいのお金を出せば、文字通り女性を所有することができるのだ。しかも、現実女性と違って妊娠することも浮気をすることも歳をとることもない。なにより、飽きて捨てたとしても何一つ文句を言わない。

しかも、簡易ではあったが会話もでき、(ちぐはぐな受け答えが、逆に幼さを感じさせるとして喜ぶ男性も居るようだ)食事や掃除と言った家事をすることもできた。妻を持ちたくない、または持てない男性にとっては正に福音であった。

いや、もてない男性だけではない。中間層の普通に交際相手が居る男性にとっても救いであった。彼らは常に女性のご機嫌を伺い、足代わりに使われ、食事を奢らされてまで、不確実なセックスにありつくことに疲れ果てていたのだ。彼らにとっても、女性アンドロイドの登場は救済であった。何も要求せず、見返りの無い愛を注いでくれる、いつまでも無垢な女性。有史以来の男性永遠の理想の体現であった。

だがしかし、その後不可解な面白い現象が起きた。一体何が起きたのか?

数年間のうちに、出生率がV字回復したのだ。ちょうどそれは、60年前の丙午の翌年に起きた出生率の回復のようだった。

例え人形であっても、女性と生活を共にする以上、身だしなみを整え、生活習慣もきちんとしなければならないという男性が多少は増えたのだ。現代の情報化社会の中で、不当に抑圧され、自己肯定感を失っていた若い男性が、たとえそれがロボットであっても、全面的に肯定されることで自信をとりもどしたのだ。不当にワガママ女性に対しては、いつでもアンドロイドに戻れる、ということをほのめかし、恋愛において男性女性と対等な立場で渡り合えるようになったのも大きい。

そして、性欲は人間の本質的な欲求であるが、それと同じくらい、子供を持ちたい、家族を持ちたいという欲求も本質的なものであるらしかった。擬似恋愛という一種のカンフル剤で人間性を取り戻した男性が、次々に現実恋愛結婚へと戻っていったのだった。

しかし、再び恋愛市場の中に戻っていったのは、男性全体から見ればごく一部でしかない。彼らはもとから女性に相手にされるだけの財産なり顔なりを持っていた幸運な男性なのだとも言える。大部分の男性は、そのまま「戻ってこなかった」 なにせ、どれほどのキモメンであろうと、振られる事はありえないのだ。大部分の男性は、理想の彼女と一緒に、自閉的な生活を送るようになった。それでも彼らは満足しているようである。

こうして今や、少数の結婚市場に復帰した男性と、大多数の「降りた」男性たち、そして、理想の彼女との競争に晒される女性だけが残った。出生率が回復したと言っても、日本出生率は世界最低レベルを走り続けている。どうやら経団連は、労働力不足を補うために本当に移民の受け入れを考えているらしい。このままでは1半世紀しないうちに日本人は消滅すると予測している学者も居る。

しかし、再び現実恋愛へ戻っていった男性も、擬似恋愛を楽しんでいる男性も、それぞれに幸せなようだった。

だが、、、これは本当に人類進歩なのだろうか? はたして、テクノロジーは本当に我々を幸福にしたのだろうか? 科学技術進歩によって、最後に生み出されたものが「自由意志による断種」「幸福に包まれた自死」でしかなかったとしたら、数千年に及ぶ人類歴史は一体何だったのだろうか? 今後の人類未来を考えるにつけ、私は絶望的な気分になる。

2007-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20070116084645同調してみる - ごめんね、ごめんね

男女間の友情がhotな話題だそうで。

http://anond.hatelabo.jp/20070116145424のとおり、時流に乗ってみたいと思います。

わたしには兄のように慕っている、ひとつ年上のKさんという男性がいて、

不安になったり辛くなったりすると彼の元をたずねてしまっています。

わたしは彼を友達だと思っている。Kさんには「あなたの結婚式葬式には呼んでね!」といつも言っています。

http://anond.hatelabo.jp/20070116084645風に言えば、Kさんとは独占・排他関係ではないのですね。

葬式なんて縁起でもない事言ってごめんね。

そうそう、成り行きでクリスマスイブの夜、二人でデートスポットに行きましたね。

どういう成り行きだったっけ?

確か電車を乗り過ごして、「じゃあせっかくだから行ってみようか」なんて、デートスポットに足を伸ばしたんでした。

クリスマスイブデートスポットはなかなか地獄ですよ!w)

寒いね」

「ですねー」

とは言うけど、絶対「じゃ、手ぇつないでみる?」とは言わないの。だって友達だもん。

Kさんだってわたしのこと友達だって思ってるでしょ?

…と思ってたんだけど、この一連の流れを見ていると、もしかしてわたしKさんにひどいことしてるのかなあ??

クリスマスイブの夜に二人で一緒にいて、

普段も「Kさんやさしいから、わたしつい甘えちゃうよー!」とか(もちろん冗談で)言ってしまうこの状況、

男の人は私を女だと意識してしまうのですか?

今の時点で「Kさんとわたしって親友だよね?」なんて聞いたら、

http://anond.hatelabo.jp/20070115223738の二の舞になってしまう?

もしあなたがわたしを女として意識していたとしたら、ごめんね、ごめんね、思わせぶりなつもりじゃないの

あなたとセックスしたいかなんて、考えたこと無かったの

あなたと一緒にいると、わたしはまるで自分が男の子であるかのように思えて楽しかったの

Kさんが私のこと女だと思ってるかもしれないなんて、ただの自意識過剰だといいな。私の妄想だといいな。

君の事傷つけたくないんだもん

自意識過剰なだけだといいな。

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