はてなキーワード: 退職願とは
ゴールデンウィーク前のこの時期になると、自殺してしまった会社の同期の友人ことを思い出す。
何が起きたのか理解できないまま式場に行って、その人の家族の号泣する姿を見て急にリアリティがこみ上げてきたことを。
亡くなる数ヶ月前に俺の部屋に来て、本当にどうでもいい馬鹿話をして帰っていった夜のことを。
結局のところ、どうしてその人が首を吊ることを選んだのかは誰にも分からない。
恐らくはそのささいなトラブルがきっかけになってしまったのだと思う。
不思議なことに、どうしてその人の死を防ぐことが出来なかったのか、自分を責めるようなことは全くなかった。
ただそこに、乗り越えることが出来ない絶望があったことだけを理解した。
その人が亡くなったことを何かの言い訳には絶対に使いたくないけど、
結果的に俺の考え方に大きな影響を与えて、あれから3年後の昨日、俺は会社に退職願を提出した。
ひとつだけ言いたいことがある。
それはたかが仕事、たかが会社のために死ぬ価値なんて絶対に無いということだ。
ストレスへの耐性が低くて、会社組織に向いてない人間というのは一定の割合で存在するものだ思う。
それでも無理して働き続けると、それは自分を損なうことになる。
亡くなったあの人がそうだったように、あるいは俺がそうなりかけたように。
許容度の低い日本の社会は会社員以外の生き方をなかなか認めてくれないだろう。
それでも、誰にも認められなくてもいいので、もう少しだけ楽に生きられる方法をこれから探そうと思う。
普段余り文章を書かないのでまとまりのない文になってしまったが、入社して間もない人に読んで貰えたら幸いだ。
時として会社が人を殺すこともあるのだと知っておいて欲しい。
ttp://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/8a96e06006445534415154c21a7e0cb2?fm=rss
この手の話を聞く時、いつも思い出すのがアメリカの禁酒法時代だ。
「酒の販売を禁じればアル中も喧嘩も減るし、酔っ払いが減るから生産性も上がるだろう」
という規制脳の人々はアメリカにもいたようで、こういう飲んべえ殺しの法律ができたのだけど、
メチル入りの闇酒で死人は続出するわマフィアはのさばるわで
全然いいことがなかったのでその後廃止されている。
道端で泡吹いて死んだり、流れ弾で撃ち殺される社会よりは、販売相手や販売法に一定の規制を
設けることで自由化した方が合理的だというわけだ。
同じように、退職願いにサインするまで一日中倉庫でどやされたり、午前中に穴掘って午後は埋める
仕事やらされてメンタルトラブル続出みたいなカルチャーよりも、無理なく守れる範囲のルールを
作った方がみんなが暮らしやすい社会になると思うのは僕だけだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20100301013242
法律的にはまずくもなんともない。有給取得の権利行使にあたっては、雇用者の承認は不要。
仮に「そんな有給認めない」とばかりに貰えるはずの給料を減額されたりしたら100%勝てる。
「予告も承認もなしにいきなり休むなんて大人としてどうなんだ」っていうだけの話であって、「もうどうにでもなーれー」ってヤツに言っても無駄。
http://anond.hatelabo.jp/20100301023643
については、俺は、「例えば個人用PCのHDDにしか保存されていないデータをファイルサーバに保存する」とかそういう風に読んだ。ホントのところは知らない。
退職願は1ヶ月前とかの内規がなかったかなぁ。
内規は内規。要するに引継ぎとかの都合もあるから早めに言ってよね、ってだけで、別に即日辞めたって構わない。就業規則とかに明記してある場合のことはわかんないけど訴訟とかしたら無効な規則とされるかも。
逆に辞めさせる場合は、1ヶ月前に言うか、1か月分の給与を払うかが必要。
それはまずいと思うんだけど。
厳密に言うと、テキストファイルひとつ、メールアドレス1つでもやばい。
退職願は1ヶ月前とかの内規がなかったかなぁ。
まだ間に合う、明日の朝イチで行ってぜんぶ元通りにしてきな。
持ち出した情報は全部廃棄で。
同業だと、前の会社に軽く探りを入れたりするもんだよ。
「仕事関係の資料とか持ち出して、引継も全然なしで急に辞めたけど」
なんて言われたら、ほとんど決まっていてもすぐ撤回だよ。
3回目の干支が回って来る年齢なのに、後も決めてないのに、退職願をだした。
無謀だろうとは思う。
でも敢て出してしまった。
「去るものは追わず」主義だといっていたはずの上司は、ダメだと言う。
私よりはるかに能力が有った人が辞めるときには引きとめもせず、〆日の関係で月末予定だったのを20日に繰り上げさせ、追い出した人が。
こんな無能な人間ですら引きとめようとするとはね。よっぽど困ってるのね。まあ知ってるけど。
そんなやり方ばかりやってるからダメなんだ、とダメだしばかりの無能社員が、自ら辞める言い出してるんだから
いやー、どうやってクビ切ろうか悩んでたんだよ、ありがとう、でOK言うくらいの度量見せてよ。
どこにもかけそうに無いのでここに書く。
先月いっぱいで辞めた。
簡潔に言うとこのまま続けていく自信が無くなった、というのと手取りの問題とかその辺。
甘えというか、一時の気の迷い的なものだったと思う。若干後悔している。
何の経験もなく入社し、始めは基本情報の資格のための勉強をしていた。落ちた。
そのあとは簡単な仕事をやらせてもらったり、プログラミングの勉強をしていた。
それが、だんだん分からなくなってきた。分からない部分を調べても分からないし
聞いても、教えてもらえなかった。
正直、このままではやってけないと同時に、この仕事は自分には向いてないんじゃないかと
よくIT業界はほとんどブラックだとか、よく考えたら時給で換算したら最低賃金より低かったとか。
それじゃあ、いっそやめてしまおう。と考えた。その時点ではまだ完全にやめるとは決めてなかった。
ある朝、猛烈に胃が痛かった。このことに関して前日からかなり悩んでいたからである。
無理すれば行けたが、この日は、休もうと思った。しかし、親が心配してわざわざ電話をかけてしまったのだ。
親には、長くこの会社を続ける気はないと伝えてあったからかもしれない。
そしたら、親が「今日会社に来ないと終わり(クビ?)だって、早く行きなさい」と同時に
「辞めるなら自分の口で言って来い」と言われた。
そうして辞める意思を会社に伝えた。
その日一日はとても長く感じた。
お世話になった人と話し合いしたりだとか、学校に連れて行かれて先生に引き止められたりとか。
結局、一日の猶予を与えられたがその時まで考えは変わらなかった。
辞めた後の事は考えてなかったが、
東京の親戚が東京に仕事あるから東京に来なさいと言ってくれたので、東京に行くことにした。
一昨日、正式に会社を辞めた。退職願で社長の名前をミスって怒られた。なにやってんだろ・・・
これからどうなるかは自分でも分からない。東京に行って仕事を探すことになるのは確かだが
書いてしまったら若干楽になった。
こんなに長い文章を書くのは2ヶ月ぶりだ。
職場をバックれた自分の経験が少しは役に立てるかな。
ちょうど10年前の話。
自分の場合高卒だけれども、能力自体にはそれなりに自信があった。
高二の時にやった知能指数検査で、あとで一人だけこっそり結果を教えてもらえた。
学年一の結果だったそうだ。
先生としては褒める目的ではなくて、むしろ「なんで能力があるのにやらないんだ」という発破的な考えで教えてくれたのだが、なにしろ若いので、単にその上っ面の数字だけを見て舞い上がる。
(ていうか学年一でIQ124って低レベルすぎだろw)
そして「大学入試なんて単なる短期記憶能力のテストと根性試しでしかないじゃないか」と変な方向に悟り、上京してデザイン系専門学校へ。
が、無駄に高いプライドのためにロクに友達も出来ず、アパートに半ば引きこもり状態に。
水道・ガス・電気すべてが止まり、半年風呂に入らないこともあった。(当時、地元から遊びに来た元同級生は「浮浪者寸前」という感想を持ったそうだ)
深夜に半額になるパンを買いに近所のスーパーに徘徊する日々。
結局家賃を溜めてしまい、消費者金融から5万を借りてから退去。
工場の雇用試験の時もなんか知能指数検査っぽいことをやらされて、その時も試験官に驚かれた。
が、もうその時点で自分の能力などにはこれっぽっちも自信を持っていなかったので、かなりどうでもよかった。
コピー機の検査の仕事で寮に入り、期間工とはいえそれなりにいい給料をもらってた。
寮も個室でクーラーつきだし、工場の食事も格安で、待遇に不満は何もなかった。
友達がそれほど多くはないが、もともとそれほど人と付き合うのが好きではないので別にかまわなかった。
その数少ない友達の中に、自分の運命を変えるきっかけとなったT君がいた。
旅行好きなT君は、今までもオーストラリアにワーキングホリデーに半年行ったりするなど、チビで華奢なメガネ男子の外見には似合わず妙にアクティブな行動を取る性格。
でも基本的には気が弱く、人との共同行動を好まない。
類は友を呼び、彼とはいまだに友人である。
工場で働きだして約半年後。そのT君が、どこかに旅行に行こうと言い出した。
普段飲まない酒を珍しく飲んでいた自分。気が大きくなり、
「いいねー。どこにする?」
「インドに行きたい」
「トランプで決めよう」
トランプにそれぞれの行きたい所を半分づつ書いて、混ぜて1枚引く。
Tは全部インドと書いた。
そして当然のようにインド行きが確定。
さてここで彼の変な行動力が出る。
自分自身の工場への退職願いもとっとと出して、ビザの申請などもテキパキと済ませる。
それだけではなく、話半分のつもりでいた俺の分の航空券まで手配した上に、旅行代金は任せろとまでいう。
自分自身の金ならともかく、30万近い金を無駄に散らせてしまうのもあまりに悪い。
しかし自分は彼と違い、職場の上司にもまったくそのことを言っていない。
そのまま当日まであっという間に時が過ぎた。
どこまでも強引なTの手伝いにより仮住居(Tの友人マンション)に荷物を運んだあと、私は携帯をぶっちぎり、そのまま海外に飛んだ。
安宿のバルコニーで圏外表示の携帯電話を見て、「なにやってんだろーいいのかなー」と途方に暮れまくる俺。
そしてとっとと一人でインドに旅立つ友人(ビザの関係で自分は数日遅れの出発)。
英語もわからぬまま一人取り残される俺。
インドには約1ヶ月いた。
帰りのチケットの期日だけはしっかり覚えて、わけがわからぬままにそれなりに自由に動いてた。
駅で絵を描いて人を集めてみたり、北の山奥にあるダージリンに行ってみたり。
結局、Tに再開したのは帰国当日の空港だった。
帰国後、今までのツケは当然ながら来た。
しまいにはぶち切れた居候先の人に、借用書つきで追い出される。
彼に対してTは文句を言っていたが、自分としては追い出されて当然だったと思っている。
(ちなみにその彼はその後、今から数年前にAdsenseの小切手換金サービスを途中でバックれて警察沙汰になったようだ。そのサービスを彼が運営しているとも知らずに自分が使っていたということを知った時には声を上げるほど驚いた)
いよいよ行くところが無くなった自分、実家に帰ることにした。
バス停に降り立った時点で残金は数百円。
家に戻ると、親父が洗車していた。
50代だというのに白髪だらけだが、元気そうではある。
なんと声を掛けたかは覚えていない。
が、怒鳴り散らされるわけでもなく、両親も姉もなんというかいつも通りという感じ。(いつもといっても数年ぶりの再開なんだけど)
空いている部屋で、泥のように眠った。
その後、免許を取らされたり。
長年苦しんでいたアトピー性皮膚炎に特効薬が出来て、外見的コンプレックスがやっと消えたり。
T君に送ってもらったPC-9821CeになんとかWindows95を入れようとしてもがいているうちにいつの間にかパソコンを覚えたり。
商工会の課長さんが自分を信頼してくれて、商工会のホームページやパソコン教室の講師を任せてもらったり。
そして、地元でパソコンサポートをやることで、自分の存在価値をやっと見つけて。
それが、今は田舎の平凡な文房具屋のせがれの、昔あった出来事です。
でもきっと、まだまだいろいろあるんだろうと思う。
これだけいろいろなことがあっても、自分は一度も死にたいと思ったことがない。
きっと死ななければまたいいことがあると思う。