はてなキーワード: 社交辞令とは
非常に長文だが、真性包茎等で悩んでいる男性は一度目を通して欲しい。また、彼氏や旦那が包茎で悩んでいるという女性の方にも読んでもらいたい。包茎で悩んで、ネットで検索している人たちにこの文章がヒットしてくれることも期待している。
当方30歳男。非勃起時は剥けるが、勃起時は皮が狭くて亀頭が皮から出ずに包まれたままのチンコでこれまで過ごしてきた。原因は皮が余っているため包皮輪が狭く、勃起時には窮屈になり亀頭が露出できない状態だったから。包皮輪の狭い仮性包茎ということらしい。なので、女性と深い関係になるのが怖く、常に着かず離れずの行動を取ってきた。幸か不幸か女性のほうから言い寄ってきたこともあったけれど、こちらはまったく自信がないために積極的にはなれず、相手の気持ちを汲んであげることができずに拒否してしまうことさえあった。包茎であることがバレたら……と思うと情けなくて、怖くて、女性と付き合うことができなかった。男として本当にダメだった。
女性とエッチした経験はもちろんなし。つまりは真性童貞。最高到達地点は手マン。手でちゃんとイカせることはできるのだが(手(指)のエッチは凄く上手いらしい。自覚はまったくないため社交辞令だとは思うが)、その後に女性から「エッチしたい(挿入して欲しい)。生でも良いから」と言われても、自分のチンコを見せるのが嫌だったので頑なに拒否してきた。もちろん、フェラチオをしてもらった経験も、手コキでイカされた経験もない。
元々が消極的な性格であり、また友達も一人もおらず、30歳というおっさん年齢に達してきたため「もう女性とエッチする機会もないだろう」と諦めてはいたのだが、公衆トイレや温泉など同性の目が触れるところで「こいつ包茎かよ」みたいなことを思われるのはとても嫌だったので、思い切って包茎手術を受けてみようと思った。
男のシンボルである以上失敗するのは嫌だったので、まずはネットで包茎手術についての噂を検索してみた。無論、噂はアホみたいに飛び交っていたわけだが、共通して言えるのは「テレビCMなどで流れているような有名なクリニックや、保険のきく総合病院等では手術はするな」ということだった。理由としては、
とまあ、あくまでネット上での噂に過ぎないわけだが、これから手術を受けようとナーバスになっている自分としてみれば、どうしても気になってしまう。そこで、2ちゃんねるの包茎手術に関するスレッドを読んだところ、あるクリニックが大変評判が良いらしい、との情報を得ることができた。実際そのクリニックのサイトを見ると、チンコの写真も大きく掲載されており、術例や術後の状態の詳細などもきちんと説明されていた。また、メールでも相談を受け付けているなど、包茎手術(というか男性の悩み全般)に対してとても真摯に情報発信しているんだな……という印象を受けた。手術費用も他のクリニックに比べて安価(13万円でお釣り来る。この中には、術後の診察費用もすべて含まれている)で、まあ「安かろう悪かろう」という不安もあったのだけれど、いつまでも迷っていては先に進まないので、2ちゃんねるの噂を信じ(今考えると博打的だが)、思い切って手術を申し込んでみた。
手術当日。緊張のため朝から食べ物や飲み物が喉を通らなかった。ほとんど空腹の状態で向かう。クリニックに到着すると、やがて診察室へ通されて先生が登場。何だか調子の良いおっさんで、冗談や軽口をバンバン叩くわけだが、きっと緊張している僕を解してくれているのかな……と思った。
包茎手術の説明を受ける。パソコン上に格納されている画像を使って詳細に説明してくれる。サイトに掲載されているものよりも更に詳しい画像で説明してくれる。手術中の画像や手術直後の画像など、かなり生々しいものが目に入ってくる。そして一番キツかったのが、術後数日が経過したときの画像だ。術後チンコに包帯を巻いて一日~二日は絶対安静という指示を受けるわけだが、何かの拍子で糸が取れてしまうなどして傷口が開いてしまい、おびただしい出血がチンコを包んでいる画像もいくつもある。僕は血を見るのが非常に苦手なのだが、この時は更に緊張と空腹のためダイレクトに伝わってきてしまい、貧血状態になってベッドで倒れこむことになってしまった。
ただ、僕は遠方からこのクリニックへ来ていたのでここで引き下がることもできず、また先生からも「30歳までこの状態で放っておいて欲しくなかった。もっと早く来て欲しかった」とまで言われたため、意を決して手術を受けることを決意。手術台に乗せられてからも緊張は続いていたのだが、先生が来てからは覚悟を決めることにした。
いよいよ手術開始。最初は皮を剥いたまま勃起を行い(先生がチンコをマッサージしてくれます)、勃起した後の皮の位置などを細かくデッサン。いくら皮が余っているとはいえ、皮を切り過ぎると今度は勃起したときにチンコが伸びなくなってしまい、勃起時に亀頭は露出しているけど、ただ単に太くなっただけ……という状態になるそうで。「包茎手術をしてもらったら、勃起してもチンコが長くならなくなった」という失敗例をネットで見たけど、多分原因はそれではないかと思う。この先生は、そのあたりもちゃんと考えて手術をしているみたいだ。
その後、チンコに麻酔をするために麻酔針を突き刺す。これが痛い!僕は声を押し殺す程度で我慢できたけど、人によっては身を捩って声も出るかもしれない。ただ、即効性の麻酔なので、一本打った後に色んなところに打つんだけど、それはあまり痛みを感じなかった。麻酔を打った後、先生が「ここは痛いですか?感じますか?」ときちんとチェックしてくれるので、「感じる」と言えば追加で麻酔も打ってくれる。
何も感じなくなった後、いよいよ手術開始。電子メスで皮を焼き切っていくんだけど、麻酔がしっかり効いているから痛みはまったくない。ただ、皮を焼き切るときの焦げたニオイが何とも言えないんだけれども。この時にいろいろと雑談をしていたんだが、どうやら午前中にも一件手術を行ったらしく、開業している日にはほとんど手術を行っているらしい。ネット上で見た情報の中に「手術の数を多くこなしているクリニックで受けるのが良い」という情報があったため、ここで受けて良かったかも……という気持ちになれた。午前中手術を受けたのは僕よりも遥かに若い男性で、先生と「それくらいの年齢のときに手術を受けていれば良かったですねー」なんて会話もしていた。
途中、眠くなってきたので半分眠っているような状態に。それくらい、手術中痛みを感じることはなく、安心した気持ちで完了を迎えることができた。開始から約1時間だろうか。先生の「終わりましたよー」の声に「え?もう?」っていう感じで答えた。皮を切った後のチンコは見事亀頭が露出しており、今まで見慣れた皮に包まれたチンコではなかった。先生がしっかりと包帯を巻いてくれ、「よく頑張りましたね。安静にしてくださいね」という言葉で手術は終了。その後無事帰宅することとなった。
「XXさんってイケメンだよね」
「XXちゃんってモテ顔だよね」
…と、しつっこく主張する奴が居る。
(子持ちのオバサン)
他のメンバーはみんな年下で、最初は社交辞令的に「そうでもないですよ」とか「だねー」とか適当に話をあわせていたが、しつこすぎる。
次第に無言で苦笑いになった。
彼女いない歴=年令のA君まで巻き添え。
オバサンにとって、
イケメン”じゃない”とか
”モテ”じゃない”という事は
ものすごく失礼な事らしい。
おばさんにとって好意的な相手はみんな「イケメン」で「モテ」だと気付いた。
絶対的な物じゃなく、あくまで相対的なモンなんだな、としみじみ。
おばさんのNo1イケメン認定されたA君は、その後、酒飲み放題でぐでぐでのおばさんを自宅までタクシーで送っていった。ご愁傷様。
おばさんって、増田ですか?と聞いてみたい気もした。
おた中学生~大学生、時にはおたママさん等と関わったりしているんですが、皆本当に素直で前向きで、何より元気で向上心が高く、友達想いの子が多い。
確かに "いい部分"を見ようとしてしまいがちですが、ダメなところもある。例えば、無愛想の子や、自己チューでKY(空気読めない)な子もいるし、マナーを知らない子もいます。
ただ、何万人というおたくと接してきた私からみると、それは少数ですね。
格好や顔でごまかされがちですが、彼(女)達の大部分は、色んなことを考えています。生きることにネガティブですし、人間関係にも気を配ります。 だからなのか、「経済効果100億」をもたらすといわれるニートもいたり、ブログアクセス1日200万PVを超えるような注目の人物が出てくるのだと思います。しかし、少数派の行動がどうしても目立ってしまい、おたく全体のイメージをよくないものにしているのでしょう。
「怖そう」
「悪いことしてそう」
「何も考えて無さそう」
聞こえてくるのはそうした声・・・。果たして、おたくたちは自分たちのことをよく思っていない人たちに対して、どう思っているのか?
集まった意見で上位に入ったのは下記のようなものでした。
「見た目や話方で悪口を言われたり、勝手な判断している人には解ってもらえなくて結構です!!」
「嫌いならシカトして下さって構いません!」
「別に気にしていません」
おたくの子たちの生活や交友関係には、強いテリトリーがあります。
当然ですが、「おたくを認めていない」人たちや、おたくから見て信頼出来ない人たちは彼(女)達の世界には絶対入れず、「招待されたモノ」のみ"おた世界"に入る事が出来ます。
例えていうなら、一見さんお断りのバーや、紹介者がいないと入れない"mixi"の様な世界です。
ただ、ひとたび足を踏み入れると、初めて会った子同士でも認めあい、すぐに仲良くなれます。「社交辞令」みたいなものが一切無い、「身内」同然の関係ですね。
おたくたちは決して友達の数を競っていません。「誰かに自慢したくなるようないい仲間」がどれだけいるかが彼(女)達のステイタスだといえるでしょう。よって、仲間意識や情報共有力などが強まり、ひとつの強力な「ネットワーク」が完成するのです。
そう簡単には理解いただけないとは思いますが、彼(女)達自体はそうしたことを一切、気にしていません。ある意味、不器用でまっすぐなんですよね。
一年前に母が脳出血で倒れた。幸い一命を取り留め、仕事にもぼちぼち今は復帰しつつある。
けれども、将来なんて私にはないからもういいのだと呟く。
十年後にもう一度ぷちっと血管が切れて死ぬ運命だと思ってるから、今の財産を食いつぶしたころに死ぬと思ってるから。
そんな暗いことばかり言う母を無駄に励ますのもおかしいと思うし、カウンセリング行ってくれと思うけど、それって本人が自発的に行かないとどうしようもないし。私自身、リア充とはほど遠い人生歩んでるから、「そんなことないお! 生きてりゃ楽しいことあるお!」とも言えぬ。母、齢まだ五十。
両親が離婚したのはもう五年前。父方の叔母から三年ぶりくらいに(いや違う、数えたらもうあれから六年も経っていた)電話があった。お父さんと連絡がつかないんだけど、姪ちゃん何か知らないかって。一年前に大げんかして以来連絡取ってないから知りません。叔母は、こんな電話して迷惑だったでしょうごめんねと言ってくれた。迷惑だと感じていた自分の心を見抜かれたようで、恥ずかしくなった。父方の親族のことも気にかけている。ただ、どう接したらいいかわからない。一人で抱えないで、いつでも相談していいんだからねと言ってくれた。社交辞令だとしても、叔母の声は優しかった。
向上心のない人間に、後ろ向きの言葉をかけられて暮らすなんて地獄だ。いい加減にしてくれと思う。その暗い発言が周りの人間にも悪影響を及ぼしているのだ。本当は輝いているかも知れない世界を、どす黒く見せているのだ。おまえの言葉が。
自分の人生を守りたい。自分のやりたいことをやりとげたい。足を引っ張る家族が鬱陶しい。
と、鬱陶しがっている自分が大嫌いだ。励まさないのだって、「母よ元気になってくれ」という願いの向こうに「おまえにそういう暗いこと言われるのマジウザいです」っていう自分の心が透けていて嫌だからなのだ。
死にたい。ほんとに早く死にたい。自殺はしたくない。突然に可及的速やかに死にたい。家族なんかいらない。
友人の子どもを抱いた。ものすごくいとしかった。欲しかった。
http://anond.hatelabo.jp/20090208014526
ものすっごく頭にきてるんで、優しい言葉を求めているのなら、この先は読まない方が良い。
他人におもねるのが嫌いなのか、相手のご機嫌をとるための社交辞令を一切しない。
相手が傷つこうが言いたいことはずばずば言うし、
相手が泣いても慰めたりいたわったり、ご機嫌取りは一切しない。
態度が横柄で、同い年以下に対しては初対面でも「俺」「お前」口調。
私を、というか、女を、性処理の道具としか思っていない。
罪の意識を持つような男が、態度が横柄で相手を傷つけるのが平気で女を性欲処理の道具としか思ってないわけないだろ。
いったい、何を誤魔化してるんだ? 元増田?
何をどうしても彼女になれそうにないから彼を貶めるのに必死って感じがするぞ。
褒めろよ。惚れた男なんだろ? どこがいいんだ? 尊敬しているところ、良いところ、愛すべき仕草、そういうものを褒めろよ。
そういう不倫系の恋はな。とことんまで付き合って、修羅場くぐって、相手からビンタの一つも喰らうとこまでいかないと終わらせられないぞ。重い? 上等じゃんか。いいか? 彼女が居るのに、他の女と付き合ってる、ひでー男なんだよ、彼は。元増田はゴネてゴネてゴネて「優しくしてくれないんなら、彼女にぜーんぶぶちまけちゃうぞ」くらいの意地悪言っていいんだよ。ホントにやったら、彼の首マジで締めるからまずいけど。
泣けよ。こんなに好きなのに、なんで私を彼女にしてくんないの?と大声でわめけよ。やりたいことをやれよ。
>好意的
社交辞令です
>「今度、ご飯なんてどうですか?」みたいなメール。
ちょっと知り合っただけの人と2人きり的ニュアンスは引きます
>送って1日2日待っても返ってきやしない。
>再度送って、待てども返事こず。
(返事返さなきゃな…めんどくさいな…週末にでも返信するか…はあ…)(…返信まだなのにまたきたし…(´・ω・`))(こういう人、苦手だなあ…)
「いいひと」の定義が同じだとでも思ってんのか?
無関心は消極的憎悪だ。
たとえば、ナチ政権下でユダヤ人が秘密裏にゲシュタポに逮捕されて突然姿を消したことに対して
当時のドイツ人は無関心だったが、ナチズムや反ユダヤ主義が憎悪でなければ一体何なんだ?
お前の定義の「いい人」とやらはそりゃ蛇蝎のごとく嫌われててもおかしくないが、
ここで話題にしてる「いいひと」はそういう定義じゃない。
何言ってんだ。
スペックや男性的魅力の面で評価に値しない人間に向けられる社交辞令を「いい人」というのであって、
実際に性格が良いかどうかは問われない。
http://anond.hatelabo.jp/20090110181359
こ、これは、とても重要なことが書かれている気がする。「その人の生命を体内に受け入れることができない」は名言。これはある。すごくある。
わたしの場合、30年以上生きてきて、セックスしたい人は1人しかいなかった。ちなみに、出来なかった。したい相手とはそんなものなのかもしれない。
絶対無理な人というのもいる。そういう人は5パーセントくらい。ただ、後述するように、なんらかのきっかけで性愛対象として意識したときにしか分からないので、実際はもっと多いのかもしれない。
そして、その他9割以上の男性は可能な人だ。きっかけがあれば可能だけど、きっかけが無かっただけ。こういうのもビッチと呼ばれるのだろうか。わたしの場合は、この9割の中にはあまり差がない。イケメンだろうが高収入だろうが、(わたしに)親切だろうが不親切だろうが、あまり関係ない。ただ、そういう機会があるかないかだけ。受け身の性だからこんなもの。
そして、絶対無理な人。
もう絶対無理、無理無理無理無理カタツムリ級に無理。
この男とするくらいなら舌噛み切って死ぬ!って勢いで無理。
そして、そういう人が近くにいると、なんというか、他の人に対しては全くそんなこと思わないのに、その人の場合だけ性的なイメージでいっぱいになることがある。その人と接しないといけない期間中は寝付きが悪く、その男の子供を孕む悪夢みたいなイメージで汗びっしょりで目覚めることすらある。近くにいる間は一瞬も気が休まらず、神経がピリピリしている。本能が全身で警告を発してる感じ。
心配性な男性のために言っておくと、ここまで嫌な反応が出るのは、なんらかの性愛を予想させるアクションをした人に対してだけで、ただの仕事仲間とかの間は全然思わない。
さらに心配性な男性のために言っとくと、そうなったら相手本人に対しては嫌ってることは隠しませんが(社交辞令で期待させて実力行使に出られたら嫌だから)、必要な会話はするし、女性同士でキモいと言い合ったりもしないし、感情の激しさの割に表面的には穏やかです。
そしてここからが不思議なのだが、無理な理由は全く説明不能。どんだけイケメンだろうが評判が良かろうが駄目な人は駄目だし、逆もある。理由を強いて言語化すれば「不健康そうに見える」ことだと思うのだが、自分から見て絶対無理でも他の女性が受け入れた(それも渋々ではなく積極的に)例も見ているので、自分にだけ不健康そうに「見える」のではないかと思う。全く本能としか言いようがない。このことを自覚するとき、自分は子宮で生きていると思う。この言い回しは女性には評判が悪いようだが、一面の真理があると思う。これだけ強く本能にドライブされてコントロールが全く効かない、「無理なものは無理」から一歩も動かせないのは、この件だけだからだ。
なお、絶対無理と思ってしまった相手については、その後の言動から、やっぱり駄目な人だったと思うことが多いのだが、その意味で自分の勘は正しかったと確信するケースばかりなのだが、しかし、嫌いという感情が先にあってその理由を無意識に探しているのかもしれず、慎重に受け止めるように心がけている。本能に基づいた個人的な感情を社会的な場面に持ち込まないように注意している。
これは本能としか言い様のないもので、本人には変えようが無い。また、自分が絶対駄目だと判定した人でも、他の女性にとっては好ましい相手であることもある。自分にとって駄目だからと言って、その男性が普遍的に駄目なわけではない。ネットなどで男性が特定の相手とセックス出来ないことを嘆いているのを見ると、さらに特定の相手が受け入れてくれないことを普遍的に駄目だと解釈しているのを見ると、理由のないことで拒絶されている男性と、生理的嫌悪感と戦っている女性の両方に(勝手に)感情移入して、胸が苦しくなる。努力では変わらない。さっさと次行け。としか言いようがない。
最近、恋愛の成立を、なんでもかんでも努力や普遍性に帰する風潮があるが、何割かはこのように努力のしようがないものが混在していると思う。それは生物としての相性なのかもしれない。しかし男性にとっては殆どブラックボックスで、理不尽さが募るだけだろう。数をこなせば、このような構造が見えてくるかもしれない。とりあえず理由無く拒絶する側としては心苦しく、たった1件の事例で落ち込んでないで数こなして下さいと思っている。
男の人の家へ行った。
部屋がものすごくきれいでびっくりした。
その後、色々話して、「触っていい?」と聞いたら、OKしてくれた。
股間を触って、太もものところに顔を寄せたら、頭をなでてくれた。
だんだんとその手は下のほうに行って、服の中に入るところで、「そろそろ会社の人が来るから」と言われた。
普通なら、このまま帰るところだけど、帰りたくなかったから、フェラだけでもしようと無理を言った。
相手の男の人がズボンを下ろしたところで顔を近づけた。
せっけんの匂いがする。
口に含んだら、生温かいゴムような感触がした。
その後、自分のほうも舐めてもらった。
気持ちよかったけど、来る時間が迫ってきたので、最後まで行くことができなかった。
帰り際、相手の男の人が「また会おう」と言ってくれた。
すごくうれしかった。
でも、後になって思ったけど、これは社交辞令なんだろうか。
よくわからない。
そういうのって社交辞令の可能性もあるから信用できないんだよな…。
結局、イケメンかどうかなんて他人からの一方的な評価でしかないんだから、自分の中身に自信を持てば、顔にかかわらずモテるようになるよ。
1978年、ぼくはミシェル・フーコーに会った。彼は1926年生まれだから、そのとき52歳、ぼくあh39歳だった。会ったといっても、文芸誌「海」での吉本隆明との対談企画者として立会っただけの話である。この対談、後に『世界認識の方法』(現在は中公文庫)として単行本になり、『集成』第VII巻にも再録されている。
この対談終了後、フーコーが吉本隆明に「往復書簡をしたい」と語った。社交辞令とは知っていたが、編集者としては敢えて真に受け、早速、吉本隆明に長文の手紙を頼み、出来上がった原稿を対談通訳者でもある蓮実重彦に翻訳してもらい、フーコーに送った。内容は忘たが、道元とヘーゲルを巡っての、五十枚ほどの原稿だった。原稿を渡す時、吉本隆明は「ぼくの書いた内容なんて、フーコーさんなら当然知っていることばかりだけどね」と言い、また仏訳した原稿をベルギー出身の訳者の夫人に見せると、「この人、頭、悪いんじゃない」と言われた話など、いまでは懐かしい思い出だ。
夫人がなぜそんな言葉を口にしたのか。欧米人らの論文は、まず結論を先に述べ、それを論証する形で話を進めるのに対し、日本人、中でも吉本隆明のそれは、紆余曲折しながら何となく結論に向かう書き方ゆえ、原文に忠実に翻訳すればするほど、外国人には「頭が悪い」との印象を与えるようだ。国民性の差というやつだ。
件の手紙を出してから一年ほど経ったころだろうか、日本在住のフーコーの友人を通してようやく返事がきた。しかし危惧した通り吉本隆明の論考は意味不明、従って「返事は不能」とのことだった。またフーコーは、「吉本さんはヘーゲルをドイツ語できちんと読んでいるのか?」とも問うたようだ。口先だけで国際化を論じるのは簡単だが、こうした一例を取っても、道はまだまだ遠いのだ。
「もてそうなのに」は、私はちょっと無理だけど…好みな人もいるかもね、の意。社交辞令にも使われる。
が、まったくもてなさそうな人には絶対言わないので、君はまだマシだと思っとけ。
仕事を辞めて暇になったので、はてなブックマークとはてなハイクを3ヶ月ぐらい前から始めた。
ブクマをしたときは必ずコメントしているが、さっぱりスターをもらえない。
もらえたスターは、ブロガーさんが自分のダイアリーにブコメした人全員にあげるスターと、
guldeenさんによる絨毯爆撃的スターだけだ。
早くブコメした人がたくさんスターをもらえる傾向にあるため、
注目エントリーに挙がってるものを中心にブコメしているが、全然スターが付かない。
「つまらない」「説得力が無い」「同意できない」からスターが付かないのだろうか。
たくさんスターが付いてるブコメを参考に色々やっているが、努力すればスターがもらえるようになるのだろうか。
はてなハイクでは、ブコメに比べるとスターが付き易いように見えた。
これなら自分でもスターがもらえるかもと適当なキーワードを選んで書いてみたが、見事にもらえない。
上のエントリを見ても下のエントリを見てもずらっとスターが付いているのに、自分のエントリだけがスターが全く付いていない。
え?そんなに俺って空気読めて無いの?と何だか惨めな気分になる。
結局俺はセンスが無いんだろうか。
特にハイクでは、誰かにスターをつければお返しにスターがもらえる気もするが、それをしたら負けだと思っている。
「自分はスターをつけないのに人からもらいたいなんて勝手だ」と言われるかもしれないが、今は社交辞令じゃないスターが欲しいんだ。