はてなキーワード: 社交辞令とは
正直不思議なんだが、適当に仕事した際の業績と、一生懸命仕事をした際の業績が一緒なの?
仕事だってなら、傍目から見ると無駄な努力をしてるようにしか見えないと思うよ?
それに、その文章見せられると私でも馬鹿にしたくなってくる。
誰でも私のことをばかにしだすことが分かったし、
かといって私を利用できなくなると察知するやいなやすぐ
手のひらを返してくる。彼らの判断力に疑問を抱きつつも退職できない。
誰でも増田の事を馬鹿にしてるって事は既に手のひら返された後じゃないのか?
利用はされてるが馬鹿にされてるのか?手のひらを返すってどういう意味なんだ?
利用できなくなったときに手のひらを返すならそれは判断力有るって事にならないか?
それも、彼ら自身のやり方がまずいからばかにされるのであり
社交儀礼として顧客が上司をばかにしているわけではないことに気づくのに
あとどれだけ時間がかかるんだろう、そんな気分になり
社交辞令として馬鹿にしてる訳ではない?って事はホントに馬鹿だと思って馬鹿にしてるって意味か?
しかし元増田の自己評価は馬鹿では無い。ならばこれは元増田の上司の事か?
普段のしゃべりがこんな感じなら、そもそも言ってる事が理解されてる訳がないよ?
だから
彼らはすぐ私のことをばかにする。しかも数日たつと私の言ったことを
主張する。理解に苦しむ。
元増田の言った事を理解してるって考える事の方が間違えてる
元増田さんの文章にもばかがいっぱい出てくるんだけど。
元増田がばかみたいなニュアンスで書いてあるから気になるんだよ。
これは俺も書き方が少し悪かった。
とはいえ、世の中の理不尽が自分以外の周囲の人間にあると考えるのは簡単なことだけれど、それは安易に過ぎるとは思わないかい?
周囲にいる人たちにもそれなりの事情があるのではないかい?
この後出しジャンケンみたいなまくし立て方にげんなりした。
お前の言ってる事は正しいよ。だけど、一方的に正論をぶつけているだけだ。
悪意なんぞまったくないよ。
別増田だけどこれは酷い。
多分、だけどさ。
周りの人からはあんたの方が蒟蒻に見えるんだろうな、と思うよ。
お互い様ってやつだな。
悪意が無かったらばかなんて単語は出てこない。
・非モテは外見重視なのに、見た目に気を使わない
・非モテは社交辞令がわからない。仲良くするためにやさしくしたら、好意をもたれて、大変な目にあった(非モテはすぐに勘違いする。うざい)
・非モテっぽい人にパソコンを教えてと飲み会で言った。単なる冗談なのに、その人はフラグが立ったと思いこんで「教えに行きます」といった。翌日、その人と会ったら、なにもないようにふるまえばいいよねと言われた。非モテってこういう行動をするから気持ち悪い。
矛盾してるよ。言いがかりだってことは本当は非モテはこうじゃないってことなんでしょ。
・非モテは外見重視なのに、見た目に気を使わない
・非モテは社交辞令がわからない。仲良くするためにやさしくしたら、好意をもたれて、大変な目にあった(非モテはすぐに勘違いする。うざい)
・非モテっぽい人にパソコンを教えてと飲み会で言った。単なる冗談なのに、その人はフラグが立ったと思いこんで「教えに行きます」といった。翌日、その人と会ったら、なにもないようにふるまえばいいよねと言われた。非モテってこういう行動をするから気持ち悪い。
読み取れないって事は普段の会話でも女のサインとかにも気が付かないんだろうなー。
その「女のサイン」こそが誤解の元。
サインなんていくらでも自分に都合の良いように解釈できるのだから
できるだけ主観や期待を交えずに客観的に判断すべき。
あなたがこの法則に至った経緯をもう少し詳しくお願いします。
おそらく、自分で自己中と言っていた人間も、普段はそこそこ気を使っているんだろう。
非難しているようには思えないんだけど、どのへんが非難になるの?
・非モテは外見重視なのに、見た目に気を使わない
・非モテは社交辞令がわからない。仲良くするためにやさしくしたら、好意をもたれて、大変な目にあった(非モテはすぐに勘違いする。うざい)
・非モテっぽい人にパソコンを教えてと飲み会で言った。単なる冗談なのに、その人はフラグが立ったと思いこんで「教えに行きます」といった。翌日、その人と会ったら、なにもないようにふるまえばいいよねと言われた。非モテってこういう行動をするから気持ち悪い。
「独り者同士くっついちゃえ」と冷やかされて
「彼に告白されたらどうします?」って冗談で聞かれて「うれしいですよ」と社交辞令で答えて、
「彼女、どう?」って彼も聞かれて、
こういう状況で私が「二人で食事しましょう」って聞いてきたら狙っているように思われたかな。
全然そんなつもりなくて、私も同じような経験しているから、痛みを分かち合いたかっただけなんだけど。
望みがない恋だということは本人も自覚しているわけで、
そこで別の女の子から誘われて断る理由がよくわからない。
嫌いなタイプだったから二人きりになりたくなかったとしか考えられないのでは?
一般的なこういう事態を避けるためのコミュニケーション法というのが確かあって、
どうも難しいけどこれを守る、というものだったと思う。最初と最後が出来れば苦労はないんだよね…… しかも片方だけがこれをして、もう片方がまくしたてるとかだと続けるのがしんどすぎるし。
とりあえず続けると、たとえば誰かにうっかりメガネを壊されて頭に来たとしたら、
どうしてこんなことをしてくれたんだ、うっかりしてた? 馬鹿じゃないのか! 弁償しろ! 今すぐ!
じゃなくて、
私は大切で高価なメガネを壊されてとても怒っています。あなたは不注意だといいましたが、納得できないのであなたに弁償をして欲しいと思います。
みたいにする。
今回だったら、
僕はまじめに教えようと思ったので、かなりショックだなあ。残念だ。
とか
そんな風に言われたらどうしていいかわからないですし怖くなります。本当に社交辞令のつもりだったんです。そこまで怒らせてしまったならすいません。
とかいう。
まあほんとうにこんな台詞だけの会話が成立したらそれはそれで怖い気もするけど。
ばーか。違うよ。
社交辞令から関係こじらせるようなマヌケなことすんなって言ってるだけだよ。
相手の性格を把握した上で差し障りないように立ち回るとか、社会生活の基本のきの字だと思うけど。
相手の男がいわゆる非コミュだったとして、そいつとうまいこと距離取れなくて未だに軽くストレス抱えてる時点で元増田が対応間違えただけだろ、ってこと。
社交辞令を、マジに受け取ってしまい、すれ違い、ってのは、そこまでKYじゃない人でもたまにありえる事だと思う。
そこまでは多分「仕方の無いこと」で、「すみません、あれは社交辞令でたいした意味はありませんでした」とネタばらししたところで、普通はここで、「え、そうだったの」「すみません」「あ、いや、こっちも勘違いしてました」みたいな感じで終わるはずだ。
この相手の人間が「どこか怖い」のは、「社交辞令を勘違いした」こと自体じゃなく、その後の処理。
「あ、そうだったんだ(笑)ゴメンゴメンw」で済むところを、「俺は本気だったのに君は適当だったんだね」とか言ってしまう。これが怖いところ。単なる「社交辞令の勘違い」の話が、結婚前提に付き合ってた男と遊びだった女、みたいな、物凄く重い話になっている。この人の中で。その意味不明な重さが怖いんだよ。
で、更に次の日、まるで仕返しのごとく、「って言えばいいんですよね」なんてあてつけがましく言う。
何度も言うけど「勘違いした」ことは別に全然KYじゃないし、怖くない。この男が「怖い」とさせる要因は、その後の処理。「勘違い」を中心に語ってる人が多いけどそこは重要じゃないんだよ!そんな事は普通の人でも年に一度くらいはやってしまうことだから。
『なんでそう大袈裟なんだ!?単にお互い勘違いしちゃった、それだけの話なのに!後日あてつけがましく言って仕返しじみたまねをするほどの話か!?何がそんなにショックだったんだ!?』と普通の人は感じる。そこが怖くなるんだよ。
あまりにナイーブすぎて、下手にちょっとでも会話をしたらよく分からないところでブチ切れて殴られたりされそうな、意味不明な怖さをそこから感じるわけ。下手に挨拶でもしたらそれにすら「あ、俺に対しては『おはようございます』じゃなく『おはよざいまーす』なんですね、短縮してるんですね……」とか言われかねない。人は理由が分からないものは怖いんだよ。満員電車で、ゲームの事注意したら突然殴ってきたってニュースあっただろ。あれと通じるもの(通じる、というだけで、こういう人間は突然殴るんだと言ってるんじゃないことに注意な)がある怖さ。ああいう類の怖さなんだよ。
勘違いは別にいいけど、この後の処理みたいな事をよくやってしまう、って奴は気をつけた方がいい。そういうのは周囲の人間にとって恐怖だし、どんな拍子に傷つけてしまうか全然分からなくなるから、結果、誰もよりつかなくなる。「こういう処理、よくやっちゃう」「それでいて、何故か嫌われがち」って奴!確実にそれ怖がられてるぞ。
非モテとか、非コミュとか自称する奴っていうのは、たいがいこの男と同じような間違いに陥っている気がする。
別に、勘違いしたり、ミスってしまったりするのはいいんだよ。でも自称非コミュたちはそういうのをなくそうなくそうとして、力入りすぎて空回ったり、その結果、「もう全然分からないから誰とも話さない」って極端に走ったりする。
問題は寧ろミスのあとの処理であることが多い。そこでもう「ミスしてしまったから」といって自暴自棄気味に走ってはいけない。素直に「勘違いしてました/変なこといっちゃいました」と認める。それで軽くゴメン、みたいな、それでいいわけだ。間違ってもそこで「拗ね」てはいけない!これは基本ネガティブで強く言えない自称非コミュがやりがちなんだが「拗ねる」のは確実にアウト。どう転んでもうまくいかない対応。大人が拗ねてることほど気持ちが悪いものはないし、ものすごく幼児性を感じさせる。拗ねるってのは最悪の対応。最も子供の対応。要するに「自分が傷ついているor怒っていることを、こっちから言いはしないけど、でも感じ取って、そっちがフォローしてください」という態度だから。まだ怒るほうが全然マシなくらい(それでも変なところで大袈裟に怒ればアウトだが)。怒っているということを言うこともできない、それすらも「そちらがボクの思いを感じ取ってください」と丸投げしているその余りの幼児性。これがアウト。オタクがいまいち世間からは一人前の大人と見なされないのも、オタクはそういう感じで世間に対して拗ねているイメージが(あくまでイメージがあるだけで、実際には色々だが)世間にはあるから。自虐癖がありながら、でもプライドは結構高い、みたいなイメージが。本当に傷つけられたくない奥底のプライドを守るために、敢えて表面上は自虐して傷つけながら防衛している感じ。自称非コミュあたりもこうした傾向が実際あって、その複雑なプライド守護システムがおそらく普通の人と噛みあわない。結果、「あ、ごめん勘違いしてたわw」「いえいえwすみませんw」で済む会話を「ボクは真面目だったのに…遊びだったんだ」→「こうすればいいんですよね…w」とか複雑怪奇にしてしまう。表面上過剰に傷ついておくことが、多分奥底のプライドを守るために必要なんだろうな。要するに言ってしまうと素直になれない、ってやつなんだが。多分、究極のツンデレは非コミュ。人と仲よくなってみたいのにどうしてもここぞという時にはハリネズミのように、自分を守るため他人に針を向けてしまう。
蛇足だけど、思った事を書く。
で、なぜそんな拗ね方をしてしまうかというと、多分、「上手く怒ることができない」からであると思う。実は「怒る」ということは、意外と難しい。子供のときはダダこねてりゃよかったが、大人になると途端に「怒る」という事が困難になる。思春期あたりから、親などの親しい間柄でさえも「上手く怒る」ということは困難になる。ましてや、「知人」レベルではものすごく難しい。
子供のころは、ムカっときたら「うるさい!」「いやだ!」「バーカバーカ!」とただ言っていればよかった。しかし、大人になる過程で、そんな反応は「子供っぽい」「バカ」「恥ずかしい」ことだと学ぶ。しかし、理屈や何やらを置いておいて、とにかく反射的に来る「ムカっとくる感情」は、その後でも以前残ったまま。だからその「ムカっとくる感情」の処理が、大人になると難しくなる。ただギャーギャー子供のときのように喚くのは恥ずかしい。でもだからといって、全部飲み込めるほど器用でもない。そういう「ムカッ」は大人になると行き場がなくなる。それがそのまま単にストレスになることもあれば、今回のように当てこすりとして回りまわったぶつけ方をしてしまったり、大袈裟に傷ついてみせたりしてしまう。
先ほど書いた、自称非コミュのプライドというのは、おそらくは「素直に感情を出せない」というプライドなのだと思う。そしてそれは「自分を全部出す」ことの怖さ、自分を全部出して、そしてそれが否定されたらどうしようという怖さにつながっている。
だから有る意味、彼らは自分らで非コミュというけど、何も考えていないKYというより、どちらかというと他人の事や自分の事を考えすぎてしまった故の歪みといった方が正しいと思う。勿論、真の天然ともいうべき最強のKYも存在するが、そういう奴はそもそも自称非コミュなどと名乗ることすらしない。それにすら気付かなかったりそもそもそういった概念がなかったり、逆に自分は結構場をリードしてるとか思っていたりする節がある。がそういう奴はまぁそんなにいない。
ムカっときた場合に、例えばギャルのように「えー。んだよ、そうだったわけ?マジ腹立つんですけど」とか直球で自分の感情を伝えることができない。例えばギャル男のように「は?マジかよ、つーかうぜーんだよ」と言うことができない。
多分「できない」というより「そんな事は恥ずかしくてバカのすることだから、しないんだ」と本人は思っていると思う。が、そういう風に思ってしまうのも込みでここはあえてそれを「出来ない」と言う。要するに、「そう思ってしまって、できない」。
感情を出す、ということ自体が、非コミュの「人間の行動ヒエラルキー」の中で下層に属している。感情はできるだけ出さないのがカッコイイ。それこそ理知的な、常識的な人間のすること。だと思っている。非コミュは結構理系であることが多い。それは「論理的であること」が重視される・いいことだと称えられている理系と、そうした非コミュの思想は相性がよいから。もともとそういう性格だから理系に進むのか、理系だからそういう風になったのか、鳥が先か卵が先かは不明だが、まあおそらくは互いに干渉しあっているのだろう。
全ての動物の中で最も理知的な人間であるのだから、ムカっときたら喚くなど、そんな感情的な行動は恥ずべきもので、できるだけしないほうがよいのだ。感情をぶつけるなど倫理的に人間はしてはいけないことだ。等、文章にすると大袈裟だがおそらくそういった事を無意識的にでも思っている。だから非コミュはそういう自己に対する縛りによって、そもそも感情を上手く発することができない。そういうベースがある。それどころか、感情を抱いていることを認識するのがまず難しかったりする。「感情」→「感情的」→「バカっぽい」と思っているため、理知的であるはずの自分がそんなバカみたいな怒りや悲しみを抱いていることをなかなか認めたくない、というところがある。
それでそうした中、それでも人間ゆえどうしても「ムカッ」とすることは多々出てきてしまう。そこで問題が出てくる。上記の理由から、非コミュはとてもとても「つーかそれちげーだろお前らうぜー」とは恥ずかしくて言えない(その分匿名の2chなら言えるが)。でもこの「ムカッ」は消えない。といって飲み込めない。「うぜーよ!」と感情任せに言うことなく、なんとか相手にこの怒りをぶつけたい……。その歪みが、「いい年こいて拗ねる」として表れる。「僕は怒りました」とは言えない。しかし、といってただ引き下がれはできない。怒りました、とこちらから感情を直接伝えることなく、しかし相手に自分が怒っていることを理解してもらった上で謝罪が欲しい。それが「拗ね」の態度を生み出す。
「素直になれ」と言われてもその使い古されすぎた言葉に、多分いまいちピンと来ない非コミュが多いと思うが、ここでいう「素直になる」というのは、「自身が抱いている感情を自身に対して誤魔化すことなくまず認めること」だ。ここでは「倫理的にどうなんだ」とか「そんなこと思っちゃダメだろ」とか、そういう「判断」はまだしない。とにかくまずどんなにバカで幼稚な感情でも自分が何を思っているか、どう感じてしまっているのかをまず誤魔化さず認めるということ、それが素直になるということ。「社交辞令だったのかよ!てっきり俺に気があると思ってたのに!チクショー!」というような思いでもいいからまずそれを感じたのだということを自分が認識する。それに対する判断、その上でどうすべきか、などはその後に考えることだ。
「てっきり俺に気があると思ってたのにそうじゃなかったから、俺は悔しくて憎いと思ってるんだな」と、まず確認する。(これをするだけで結構冷静になれる)考えるのはそこから。さきほどはあえて「出来ない」といったが、勿論多くの非コミュが思っているようにただ感情的に「うぜーよ」とぶつけるのはやはりまぁよくはないことだ。(だが先に例にあげたギャル男タイプの人間は逆にそういうところですぐさま発散できるため、拗ねたりという回りまわった態度はしない)しかし「うぜーよ」でなく例えば今回のばあいなら「え、そうだったの?俺本当に教えてあげようとおもっていろいろここんとこ準備してたんだよ、それだったらもっと早く言って欲しかったな」くらいならストレートに「ちょっと怒ってるよ」ということを伝えても構わないだろう(拗ねるよりかなりマシ)。そういう「上手い怒り方」を学ぶ。あるいはそれもやはりできないということなら180度方向性を変えてランニングでもして「チクショー!」と忘れる。あるいは愚痴る。あるいは増田に書き発散する。などやり方は色々あるし多くの人はそれを試行錯誤しながら失敗しながら生きている。正解はこれとはなかなか言えないが知るだけでも違う。少なくとも「拗ねる」というのはどう足掻いてもその後うまくはいかない(相手がよほどの天使でない限り)ため、やめておくのが無難。しかしそれを寧ろ率先してやってしまうのが非コミュだったというわけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20090331214815
相手の男性は悪い人じゃないけど社交辞令の通じない、鵜呑みにしちゃうタイプの人ってだけ。
元増田の言い分は社交辞令の範囲だとは思うけど、今回の男性のように鵜呑みにしやすくて妙にイイ人だとこじれるから、これからは社交辞令でももっとあたりさわりのないことを言うようにすればいいよ。
「誘って下さい」とか「教えて下さい」とかは避けた方がよいかなと。
どっちも少しずつ悪くてどっちも妙な部分でイイ人だからこじれただけで、元増田が極悪でも男性が極悪ってわけでもないと思った。
うーん・・・
店員が客に「似合ってねーよバカ」って言えると思う?
買って欲しいんだから、嘘でも「似合ってますよ」って言わないと。
「似合ってますよ」以外の言い草が思い浮かばないんだが・・・
で、勝手に勘違いして「店員さんのお墨付き」とか言われてもこっちは社交辞令だということ。
店員の「似合ってます」を本気だと勘違いするデブオタの多いこと多いこと。電車男とか、脱オタファッション(笑)とかのせいなのかな?
例えば
日常で社交辞令を言わなければならない場面は多い。そして、その相手が非コミュでないとは限らない。
姫とかオッサンとか関係ナシに
「女の子だからこういう考えなんでしょ?」
というのを押しつける奴多いよね。浅はか。
確かに若い娘は浅慮の極みみたいなもんだけど、その若い娘から見ても、浅はか。
よく考えてもみなさい。
例えば若い男子や、同輩の男性の皆様が同じような発言したら明らかに違う言葉を返すでしょう。
相手が若くて女子だと浮かれ上がりですか。このシアワセモノ!
人生経験が全く反映されない発言に、ボケちゃってるんじゃないの?と心配になる。
幾つになってもお勉強。切られて一つ賢くなれて良かったじゃないか。
早速こちらも切ってくる。リアル社会の方は切りたくても切れない。
誰か教育してやってくれ。
いや、割愛しちゃったけど、実際にその後その人には猛烈に口説かれたのですよ。しつこく。
本気で引いた。
再会した他の元彼で同じことを言った人が居たけど、口説かれることはなかったので
社交辞令もあるのは、わかるよ。