「情報量」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 情報量とは

2007-02-18

ヤフーソフトバンクのいいかげんさ

ヤフーはどうしてこういい加減なのか

ユーザーからみても

法人相手としても

子供過ぎる

顧客を満足させるとかという意識はないのか

追記

法人の中の一サラリーマンとして働いていて

Yの法人向けシステムを使って業務を行うのだが

そのレスポンスが悪く

かつみづらく

わかりずらい

ただうちのかいしゃの飯の食い種であることは

間違いないのだが。

UIのみの情報量的には小規模であるし

内部側で多くの情報を持っているようなつくりにはとても見えない。

1日単位増えても多くても2000行程度増加と予想。

このレベルシステムであると仮定するならば、

あまりにしょぼい。

新卒学生が作ったとでも言うのか。

せめてsubmitボタン押した時、

タイムアウトなのかシステムトラブルなのか区別したい。

90秒近く待たなければいけないのはどうにかならないのか。

ようやくデータがはいっても、こちらの想定した数には追いつかないこともふえてきている。

最近仕事以外はかかわりたくない会社なので

yahoo.co.jpは家のpcはみれないようにした。

ただの愚痴です

2007-01-28

Re: http://anond.hatelabo.jp/20070128162135

詳しい人ならもっと的確な事が書けるかも知れないが。

引用にはもう一つ重要な要素がある。それは引用した部分とその他の部分の主従関係、つまり、どちらが主なのかという点。

コピペした部分に対し、自分の考えの部分があまりに少ないとは思わないか?

もう少し、対象の人物についての具体的な人となりとか、印象に残る事例をあげるとか。

または引用文を削り、特にここは、と思う部分3行程度に絞るとか。

少なくとも情報量が遜色ないくらいにはしないと引用とはよべないと思うな。

ただ、今回の場合は転載OKだと思うけど。

ちなみにだ。俺基準だと

  1. 改変あり→盗作
  2. 出典・区分なし→盗用
  3. 従でない→転載

と思うけど、どうかな?

2007-01-26

なんでも聞いてくる客 一連感想

駅という場所柄、私の仕事上の客ではない、単なる通りすがりの利用客

それはあなたの客だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20070126192404で言う

「潜在顧客」


また、

http://anond.hatelabo.jp/20070126064807

にあるように

貴方は接客業に向いていない」

と思う。

馬鹿が質問してこない仕事

は無いが、『言うほど馬鹿が質問してこない仕事』はある。

大きな駅の情報量に圧倒されてみるべきポイントが判らない場合もあるし。

いろんな状況があるのに。それをおろかだと断罪してよいものだろうか。

http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20070126/1169802493

ポイント

ただ究極的には、程度の問題。

誰でもその仕事をして、なんでも聞いてくる人達ばっかりだったら、なおかつその駅に程度の良い地図があったりしたら「いや、もうちょっと周り見てみ?」と思うはず。聞いてくる人の数倍の人が下調べしたり、現地で確認したりして自己解決してるんだろうから。

大元

http://anond.hatelabo.jp/20070126042646

2007-01-06

ゲーム産業はフラット化するのか?

フラット化するゲーム産業』

http://it.nikkei.co.jp/digital/column/gamescramble.aspx?n=MMITew000005012007&cp=2

を読んだ感想


いろいろ思うところはあったのだが、特に下の記述違和感を感じた。

しかし、日本人にとっての最大のハンディは、我々が日本人であることである。


一部だけ切り取って批判するのも問題があると思うので、記事の要旨を推測してみたら、こうなった。

IT革命によって世界はフラットになった。その結果、ゲーム産業にとっても最大のコスト要因は人件費になった。英語圏は、スケールメリットがあり、情報量アウトソーシングの面で有利である。(ので、日本人英語圏へ飛び込もう!?)」


普通に考えて、現行の英語教育システムには問題があると思うし、英語を学んでも損はないと思うが、日本人であることがハンディキャップになるというのはおかしな話だと思う(単にマスコミありがちな煽りなのかも知れないが)。もう少し話を整理してみる必要があるような気がする。

例えば、日本の「アニメ」は、アジア各国にアウトソーシングしているが、英語で意思疎通しているんだろうか?IT関連は「日本語」で意思疎通しているようだが。大体、英語の非ネイティブスピーカー同士が英語で意思疎通すると、もともと日本語が持っていた微妙なニュアンスがフィルタリングされるのではないだろうか?

何が言いたいのかというと、意思疎通のツールとして英語を使うと、出来た作品も英語チックなものが出来上がるのではないかということだ。なぜならば、思考言語によって規定され、言語によって文化が規定されるからだ。(もちろん、例えば、英語が「他言語を取り入れて」、英語としての新語を作ってしまう場合もあるが、その定義自体、英語圏の文化の影響を受ける(mangaとか))


つまり、日本人にとって、自分が日本人であることは最大の利点なのではないだろうか。

大体、フラット化した世界では、文化という不合理性(=偏り)が、有利に働く気がするのだが。わざわざ、日本人ネイティブスピーカー語学の得意な民族などのような人たちと、英語圏という同じスタートラインで不利な戦いをする必要がどこにあるのだろうか?

結局、この記事の何が問題なのかというと、ローカル文化の日本の会社にグローバルな欧米英語圏会社と同じ解決方法をとらせようということにあるのだと思う。繰り返すが、わざわざ相手が有利な立ち位置で戦う必要など微塵もないのだ。


言うまでもないが、日本の製品である「ニンテンドーDS」は世界中で売れている。

では、そこにリソースをつぎ込むのが当然の戦略ではないか。日本ローカル文化なのだから、資源は限られている。日本には全ゲーム産業を仕切る資源などないし、一部の勝ち組しかいないグローバルスタンダードで戦う必要性がどこまであるのか非常に疑問だ。

むしろ、日本に必要な戦略は、日本語圏の維持ないしは拡大を行い、最も質の高い消費者を持つ市場として安定させることだと思う。

当たり前だが、消費者の目が肥えているほど、求めるものがシビアになる。偽悪的に言い方をすれば、娯楽産業は、より高度な「インチキ」で消費者をだまさなければならない。そして、些細な材料から作られた高度なインチキは高い粗利を生む。それが文化力ということだと思う。


良く、DSは、任天堂ソフト(と一部のメーカー)しか売れていないといわれている。

しかし、ネットを徘徊していて気が付いたのだが、サードパーティの新作の洗練されたうさんくささというか、カオスっぷりがすごい。私はそれに非常に可能性を感じる。だから、日本ゲーム制作者には怪しげなソフトをたくさん作ってもらいたいし、それが日本ゲーム制作者とユーザー幸せにつながるに違いないと思うのだ。


以下、カオスなDS新作ソフトの一部。

くるくるプリンセス ??フィギュアきらきら☆氷のエンジェル??』

http://www.famitsu.com/game/coming/2006/12/27/104,1167202459,65080,0,0.html

『てのひら楽習(がくしゅう) 絶対音感トレーニングDS

http://bcnranking.jp/products/01-00012023.html

『書き込み式「般若心経」練習帳DS

http://www.rakuten.co.jp/edigi-game/407195/607979/1794664/

2006-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20061211084642

俺もぶっちゃけて。

それPlagger関係なくね?

てか特定個人の特定タグまで絞ったらもう殆ど残らないんですが。

タグ「○○」を含む新着エントリーでも十分読める。

俺からすれば、フィルタリング以前に

はてブ情報量が少なすぎて使えない、なんだが。

2006-12-08

折衷案

リテラシー

大切な能力だ.

これがないと,いまの俺は生きてはいけない.ワイドショーにいちいち反応してしまう.

新聞社説を信じてしまう.政府の嘘を見抜くことができない.まともに日常なんか送れねぇ.

そんなリテラシーについてよく考えてみた.正直いって,

今後生きていく上で,リテラシーはますます重要性を持ってくると思う.

だけど,そんな世界に俺は住みたくない.

選択の自由はどんどん増えてくると思う.でも,どんどんつらい世界になっていくような気もする.

もし,どんどん情報にたいする不信感が高まっていったらどうなるのだろうか?

大好きなナス本物ナスなのか,農家にまで確認にいかなくてはならなくなったら?

今すんでいる家が鉄筋コンクリートでできているのか,一斗缶でできているのかわからなくなったら?

個人が一日に使える時間はかぎられている.あらゆることを疑問に思っても,そのすべてのことをチェックすることはできない.

どう考えても,人間には時間的な物理的なボトルネック存在している.

俺は朝日新聞世論調査がどのような確率モデルを採用しているのかまで,いちいち確認したくねー.

もっとうまい社会システムはできんのか?

現状は不完全な社会システムが個人の犠牲のもとに成り立っているように思える.

社会が個人に責任なすりつけている.いちいち俺等に,逐次的に情報を確認しろと言ってくる.自己責任のもとに.

大学3年の時に受けた,小熊英二講義を思い出した.

イスラエルでは,爆撃や銃撃戦が常態化しているそうだ.その結果,その恐怖に耐え兼ねて精神を侵される子供があとを立たないらしい.

この子供達を治療するために,戦争状態にある社会全体をどうにかしなけりゃ」って話だったと思う.

こんなもん,原因は個人にあるわけがねえ.戦争状態にある社会全体をどうにかしなけりゃ直るはずがねぇ.

俺が言いたいことはこういうことだ.

現状の原因が社会に100%ある.

なんてことじゃない.もちろん原因が自己責任のもとに個人にすべてある.でもねぇー.

俺が言いたいことは社会と個人どちらに原因があるのかその場その場の文脈で決めろってことだ.Closureってことが言いたいんだ.

決してelispじゃねぇ.

でも,この結論って情報量ゼロじゃん.結局何も分かってないってことじゃん.

いっつもこのくだらない折衷案でおわってしまって,その壁を乗り越えられない,それ以上深くものを考えられない.

この先を考えてぇ.

2006-12-07

トレンドだけ追いかけてもどうしようもないかも。

なんかさ、情報量が膨大すぎてトレンドを追うだけでも疲れてしまうね。

個人ニュースサイトソーシャルブックマークもやってみたけど、手段自体が

目的になってくるわけだ。続けるために続ける。

2chYouTubeを見ていると、あっという間に時間が過ぎる(はてな界隈の

内輪ネタはどうでもいいので見ないけど)。やっぱり、自分に何らかの縛り

を設けたほうがいいと思った。

なんというか、ネット時間には縛りを設けて、読書とか、映画鑑賞とか

近所探索をせねばならんと思いました。あれだ、「本物の味わい」を味わう

必要があるというか。

別に、ネットに「本物」がないというわけではなくて、やはり、「後に残るものが

まりない」気がする。(ゲームテレビよりましな気はするが)

そりゃ、瞬間的・享楽的に軽く楽しめるけれども、それにハマり続け、溺れることに

よって、自分の現実問題や肉体時間のリアリティを見失うこともあるだろう。

これは、「手軽さがもたらした弊害」なんだろうか。

まあでも、ブログをつけるのはちょっといいと思った。本の感想とか書き始めてから、

本を読む時間も増えたし。要は、情報のトレンドだけを追いかけることに夢中になって、

自分が自分として積み上げていくべきペースや立ち位置を見失ってしまうことが

問題のような気がする。

当たり前だが、現実逃避としてネットをやっても、現実は変わらない。

自覚的に現実逃避するならば、また話は別かもしれないが。普段の態度においては、

「自分の現在の状況を整理するためにネットを利用する」程度の距離感

良いのかもしれない。

2006-10-28

例のアルファクリッパー関連の話についてのツッコミと雑感

はてなブックマークで話題になるブログとならないブログの違い」という記事が注目を集めていたようなので、遅まきながら言及してみる。

先ずは周辺記事から目についたものをピックアップ

なつみかん@はてな - アルファクリッパー

アルファクリッパーの影響力なんてそんなに大したものではないんじゃないか、という話なのだが、その根拠が「アルファクリッパーブクマした記事が全てホッテントリになるわけではない」というもので、元記事とかみ合っていない。

元記事をよく読めば分かるが、元記事は別にアルファクリッパーブクマしたら必ず話題になるなんて主張しているわけではない。

例えば、あるブログの記事をアルファクリッパーが十回ブクマしたとして、そのうち九回までが1userのままだったとしても、残りの一回でブクマ数が伸びて話題になれば、それは十分「話題になるブログ」なのだ。

そして、そのようなブログはそうした機会すら得られないブログに比べてはてブで話題になるという点において絶対的に優越した地位にある、というのが元記事の主張である。

なので、「アルファクリッパーがいくらブクマしても全然話題にならないブログもある」と言うのならともかく、個々の記事単位ホッテントリにならないものもある、と言ってみたところで反論として成立していない。

また、アクセス数の話にしても、はてブアクセス増に必ずしも結びつくものでないことは以前から指摘されていたことであり、これも反論になっていない。

アクセス数が少ない=はてブへの影響力も少ない、ではないのだ。

アルファクリッパーブクマ数・アクセス数への影響力については、「萌え理論Blog - はてブのアルファクリッパーの影響力」も参照)

疑問感想文 記事「はてなブックマークで話題になるブログとならないブログの違い」

「流動的」「癒着」「支えあう」といった言葉意味曖昧で、正直、何を言いたいのかよく分からない。

おそらく、常に同じ人がアルファクリッパーであり続けられるわけではない(なので、アルファクリッパーを囲い込む必要は無い)、という主張なのだろうと思うが、やはりそれも反論としては不十分だろう。

アルファクリッパーが移り変わるものであるという主張が正しいとしても、それは単に囲い込まなければならないアルファクリッパーが変遷するというだけで、アルファクリッパーを囲い込むことの重要性自体が否定されることにはならないのである。

この他にもいくつか関連記事を読んでみたが、どの記事も元記事の内容にあまり深くつっこんで書いておらず、元記事に対して適切な反論を加えることができていないように思う。

そこで、ここで改めて元記事を検証することで、そこに潜んでいた問題点・レトリックを明らかにしてみようと思う。

過去ブックマーク界隈を思い返せば自明であるように、ブログの記事がブックマークされるためには、完成度の高い記事である必要は全くない。隙の多い記事である方が、ブックマーカーの言及欲を刺激してブックマーク数は伸びる。

斬新な視点も必要ない。ブックマーカーは何度同じ話題を繰り返しても平気である。

真理を突いている必要もない。はてなブックマーカーの眼力が大したものではないことなど、あえて言うまでもないことだ。

はてなブックマークで話題になるブログとならないブログの違い - はてな匿名ダイアリー

先ず指摘すべきは、この記事が、ブログの「質」というものを非常に限定的に捉えているということだ。

少し考えればわかることだが、ブログ記事において重要なのは、ここに挙げられている三つの要素、完成度の高さ・斬新さ・真理を突いていることに限られない。

例えば、文章の分かりやすさや構成力、情報量なども記事において重要な要素であるし、そもそも完成度の高さや真理を突くことが要求されないネタ記事や体験談のようなものの場合、当然「質」の意味も変わってくるだろう。

ブログの「質」というものを語るのであれば、そういった諸々の要素を総合的に考慮した上で語られなければならないはずであるが、この記事はその中から恣意的に三つの要素だけを抽出し、あたかもそれだけでブログの「質」の全てを説明できるかのように語っているところに欺瞞がある。

また、それら三つの要素にしても、「必要が無い」ことと「あっても意味が無い」こととは異なることに注意しなければならないだろう。

少なくとも、斬新さ及び真理を突いていることについては、それが必要でないというのが正しいとしても、それを備えていた方がよりブックマークされやすくなることだろう。(ブックマーカーの判断力の高低が様々である以上、的外れな内容の記事で関心を引けるブックマーカーの数は限られてくるし、同じ話題を繰り返すことを好まないブックマーカーブックマークされるためには斬新さも必要となる)

完成度の高さ(これも曖昧言葉だが)については微妙なところもあるが、完成度が高いことはそれ自体が大きな魅力となり得るものであり、完成度の低い記事が言及欲を刺激するのと比べて、どちらが多くのブックマーカーをひきつけるかは一概に言えるものではない。

大体において、アルファクリッパーが巡回しているブログの中にも、ブックマークされやすブログとそれほどでもないブログがあることはある程度はてブを知っている人間ならすぐ分かることなのだから、ブックマークされるためにはアルファクリッパーが巡回していること以外にも何らかの要素(ブログの「質」、ジャンルなど)が絡んでいることは明白であろう。

よって、ブックマークされるかどうかは記事の内容によっても左右されるということができ、ブックマークされることはブログの「質」と何の関係もないとする元記事の主張は過剰な物言いであることが分かる。

さらに、ブックマークされる機会をどのようにして得るかという観点からも、アルファクリッパーの巡回先にならねばならないとする元記事の主張に批判を加えることができる。

というのも、はてブで話題になろうと思えば、アルファクリッパーの巡回先になる以外にも、様々な方法があることは経験上明らかだからだ。

例えば、その時話題になっている記事について言及したり、有名ブロガートラックバックを飛ばしたりすることで無名のブログが話題になるなんてことはざらにある。

他にも、ニュースサイトで紹介されるといったパターンもあるし、荒っぽい方法としては、わざと炎上を誘発することで人を集めるというやり方もあるだろう。

このように、ブックマークを集める方法が多様に存在している以上、話題になるためにはアルファクリッパーの巡回先にならなければならないとする元記事の主張は簡単に否定されるのである。

ただ、こういった方法にはその時限りの効果しかなく、継続的に話題になる機会を得るためにはやはりアルファクリッパーの巡回先になるしかないのではないか、という疑問も湧く。

「話題になる」の前に「継続的に」と一言添えるだけで、元記事の主張は極めて真っ当な主張であるようにも思えてくるのである。

しかし、ここで少し考えてみて欲しいのだが、なぜ巡回先に入れてもらうブックマーカーは「アルファ」でなければならないのだろうか?

アルファクリッパーとそうでないブックマーカーの間には、本当にそれほど大きな違いがあるのだろうか?

元記事も述べているように、記事がはてブで話題になるためには、多くのブックマーカーの目に触れる機会を持つことが必要となる。

多くの被favを抱えているアルファクリッパーが重視されるのもそのためであるが、ここで忘れてはならないのが、注目エントリーはてブニュース存在だ。

これらは、ブックマーカーアルファかどうかなどといったことに関わりなく、ブクマ数が閾値に達すれば記事が掲載されるというものであり、事実上ブックマーカー間の影響力の格差を縮減させる機能を果たしている。

つまり、ブログ側としては、何もアルファクリッパーにこだわらなくても、自分のブログブックマークしてくれるブックマーカーを数人持つことができれば、それだけで話題になる機会を確保することはできるのである。

無論、アルファクリッパーの影響力に比べれば、そうでないブックマーカーの力によって記事が表舞台に出ることは少ないであろうが、少なくとも、アルファクリッパーが巡回先になることが必要であるとする元記事の主張はアルファの優越性を絶対視し過ぎており、不当なのである。

さらにもう一つ付け加えると、ブックマーカーの影響力は、実のところ、外からは非常に判断しづらいものであるということ述べておく必要があるだろう。

一見無名で被fav数も少ないブックマーカーであったとしても、被fav数の多い大旦那クラスブックマーカーのお気に入りに入れられていたりすれば、間接的に非常に大きな影響力を及ぼすことがあるし、コメントの有無、タギングのし方、一日あたりのブックマーク量などによっても影響力は左右される。

つまり、ブックマーカーの影響力とは単純に知名度や被fav数から判断できるものではなく、他のブックマーカーとの関係や本人のブクマ態様等によって変動し、そのため、ブックマーカーにおけるアルファ概念確立は非常な困難を伴うのである。

元記事には、そういった点についての配慮も無く、アルファとそうでないブックマーカーを単純に区別できるものとして捉えているところにも問題がある。





以上見てきたように、元記事の主張には明らかな誤りが多数含まれており、その内容自体は暴論と断じていいだろう。

しかしながら、今この記事を書きながらも、私の中に何か虚しさのようなものがこみ上げてくるのは何故だろうか。

私がこの記事を書いたのは、冒頭に挙げたような例を除いて、ブックマーカーたちやブロガーたちの元記事に対する反応の多くが元記事の内容を肯定するようなものであったことに危機感を覚えたからであるが、そこで彼らが漏らしていたはてなブックマークの現状に対する不満や失望には、むしろ共感を覚えていた。

新規に発掘されるブログが少ない一方で、一度有名になったブログは、「質」の低いどうでもいいような記事でも盛んにブックマークされて注目エントリーや人気のエントリーを賑わすという現状。

そんな現状に対する失望感が多くのブックマーカーたちの間に広がっていたからこそ、あの記事は、その粗雑な論理にもかかわらず、多くの支持を得ることができたのだろうと思う。

その「質」というのはお前の価値基準に過ぎず、ブックマークする人々はそれぞれ違った価値基準でブックマークしているのだから文句を言う筋合いは無い、というような正論も、彼らの失望の前では何の意味も持たない。

そのような相対論によってしか正当化を図れないという事実こそが、まさに彼らの失望の対象に他ならないからだ。

結局のところ、はてなブックマークは、我々一人一人の理想とは異なる、別の「何か」でしかなかった。

そして、その当然の事実について、もう誰もが気づき始めてしまったのだということを、あの記事への反応は示していたのだろうと思う。

その諦観は深く、このような記事を書くことの意義を私の中で危うくさせるのである。

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