2006-12-08

折衷案

リテラシー

大切な能力だ.

これがないと,いまの俺は生きてはいけない.ワイドショーにいちいち反応してしまう.

新聞社説を信じてしまう.政府の嘘を見抜くことができない.まともに日常なんか送れねぇ.

そんなリテラシーについてよく考えてみた.正直いって,

今後生きていく上で,リテラシーはますます重要性を持ってくると思う.

だけど,そんな世界に俺は住みたくない.

選択の自由はどんどん増えてくると思う.でも,どんどんつらい世界になっていくような気もする.

もし,どんどん情報にたいする不信感が高まっていったらどうなるのだろうか?

大好きなナス本物ナスなのか,農家にまで確認にいかなくてはならなくなったら?

今すんでいる家が鉄筋コンクリートでできているのか,一斗缶でできているのかわからなくなったら?

個人が一日に使える時間はかぎられている.あらゆることを疑問に思っても,そのすべてのことをチェックすることはできない.

どう考えても,人間には時間的な物理的なボトルネック存在している.

俺は朝日新聞世論調査がどのような確率モデルを採用しているのかまで,いちいち確認したくねー.

もっとうまい社会システムはできんのか?

現状は不完全な社会システムが個人の犠牲のもとに成り立っているように思える.

社会が個人に責任なすりつけている.いちいち俺等に,逐次的に情報を確認しろと言ってくる.自己責任のもとに.

大学3年の時に受けた,小熊英二講義を思い出した.

イスラエルでは,爆撃や銃撃戦が常態化しているそうだ.その結果,その恐怖に耐え兼ねて精神を侵される子供があとを立たないらしい.

この子供達を治療するために,戦争状態にある社会全体をどうにかしなけりゃ」って話だったと思う.

こんなもん,原因は個人にあるわけがねえ.戦争状態にある社会全体をどうにかしなけりゃ直るはずがねぇ.

俺が言いたいことはこういうことだ.

現状の原因が社会に100%ある.

なんてことじゃない.もちろん原因が自己責任のもとに個人にすべてある.でもねぇー.

俺が言いたいことは社会と個人どちらに原因があるのかその場その場の文脈で決めろってことだ.Closureってことが言いたいんだ.

決してelispじゃねぇ.

でも,この結論って情報量ゼロじゃん.結局何も分かってないってことじゃん.

いっつもこのくだらない折衷案でおわってしまって,その壁を乗り越えられない,それ以上深くものを考えられない.

この先を考えてぇ.

  • 人生は短い。 すごく適当にやってても50年くらいは生きられるらしい。  リテラシー向上はコストが掛かる上、磨けば磨くほど安穏は遠ざかるばかりだ。  そういう人生に向いてる人.

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