http://it.nikkei.co.jp/digital/column/gamescramble.aspx?n=MMITew000005012007&cp=2
を読んだ感想。
いろいろ思うところはあったのだが、特に下の記述に違和感を感じた。
一部だけ切り取って批判するのも問題があると思うので、記事の要旨を推測してみたら、こうなった。
「IT革命によって世界はフラットになった。その結果、ゲーム産業にとっても最大のコスト要因は人件費になった。英語圏は、スケールメリットがあり、情報量とアウトソーシングの面で有利である。(ので、日本人も英語圏へ飛び込もう!?)」
普通に考えて、現行の英語の教育システムには問題があると思うし、英語を学んでも損はないと思うが、日本人であることがハンディキャップになるというのはおかしな話だと思う(単にマスコミにありがちな煽りなのかも知れないが)。もう少し話を整理してみる必要があるような気がする。
例えば、日本の「アニメ」は、アジア各国にアウトソーシングしているが、英語で意思疎通しているんだろうか?IT関連は「日本語」で意思疎通しているようだが。大体、英語の非ネイティブスピーカー同士が英語で意思疎通すると、もともと日本語が持っていた微妙なニュアンスがフィルタリングされるのではないだろうか?
何が言いたいのかというと、意思疎通のツールとして英語を使うと、出来た作品も英語チックなものが出来上がるのではないかということだ。なぜならば、思考は言語によって規定され、言語によって文化が規定されるからだ。(もちろん、例えば、英語が「他言語を取り入れて」、英語としての新語を作ってしまう場合もあるが、その定義自体、英語圏の文化の影響を受ける(mangaとか))
つまり、日本人にとって、自分が日本人であることは最大の利点なのではないだろうか。
大体、フラット化した世界では、文化という不合理性(=偏り)が、有利に働く気がするのだが。わざわざ、日本人がネイティブスピーカーや語学の得意な民族などのような人たちと、英語圏という同じスタートラインで不利な戦いをする必要がどこにあるのだろうか?
結局、この記事の何が問題なのかというと、ローカル文化の日本の会社にグローバルな欧米英語圏の会社と同じ解決方法をとらせようということにあるのだと思う。繰り返すが、わざわざ相手が有利な立ち位置で戦う必要など微塵もないのだ。
言うまでもないが、日本の製品である「ニンテンドーDS」は世界中で売れている。
では、そこにリソースをつぎ込むのが当然の戦略ではないか。日本はローカル文化なのだから、資源は限られている。日本には全ゲーム産業を仕切る資源などないし、一部の勝ち組しかいないグローバルスタンダードで戦う必要性がどこまであるのか非常に疑問だ。
むしろ、日本に必要な戦略は、日本語圏の維持ないしは拡大を行い、最も質の高い消費者を持つ市場として安定させることだと思う。
当たり前だが、消費者の目が肥えているほど、求めるものがシビアになる。偽悪的に言い方をすれば、娯楽産業は、より高度な「インチキ」で消費者をだまさなければならない。そして、些細な材料から作られた高度なインチキは高い粗利を生む。それが文化力ということだと思う。
良く、DSは、任天堂のソフト(と一部のメーカー)しか売れていないといわれている。
しかし、ネットを徘徊していて気が付いたのだが、サードパーティの新作の洗練されたうさんくささというか、カオスっぷりがすごい。私はそれに非常に可能性を感じる。だから、日本のゲーム制作者には怪しげなソフトをたくさん作ってもらいたいし、それが日本のゲーム制作者とユーザーの幸せにつながるに違いないと思うのだ。
『くるくる◇プリンセス ??フィギュアできらきら☆氷のエンジェル??』
http://www.famitsu.com/game/coming/2006/12/27/104,1167202459,65080,0,0.html