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はてなキーワード: 大学全入時代とは

2008-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20081024065148

今から勉強して、今年度中に入ろうと思ったら私立に入るようになるわな。

まずそんなことは無理だけど。

インターネットで「3ヶ月で早稲田入れた!」とか抜かしてる大天才とは違って、自分は馬鹿だし、

志望校に入るために一生懸命がんばってる人を今から姑息に出し抜こうとも思えない。

でもね。

「行こうかな」「がんばろう」とは何度も気軽な気持ちで思ってみるんだけど、踏ん切りがつかない。

まず世間体を気にする自分としては中途半端な年齢の時点で躊躇う。

大学をずっとサークル活動で馴れ合う場所として見てきたから。

そんな理由で、浪人失敗したときに「寮に入って二浪しろ」って言われたけど、

禁欲して必死に勉強して大学に入って、その見返りをまるで感じなかったから、やめてニートまがいのフリーターなっちゃった

勉強目的で三年次編入してみたらって話なんだけど、実は、勉強したいことがない。

文系(笑)スイーツ(笑)脳だから理系科目ができないし、そもそも興味がない。

じゃあ文系はどうか、っていうと、色んな人文科学には興味あるけど、うーん・・・という感じで。

まあ、今大学に行ってる子たちがどれだけ勉強に興味持ってるか知らんけど、

自分は年食っちゃったから大学は真面目に勉強しに行かなくちゃいけない。

そんな気持ちで、なぜ大学に行きたいかっていうと、

大学全入時代なんて言われてるこの時代に「高卒」とか言われる思われることが嫌というか、

単に世間体へのこだわりがどうしても捨てられないからだと理由をつけてる。

どうしたらいいのか、あれこれ様子見しながら考えてるうちに、気づいたらもう取り返しのつかない所まで来てる。

去年一年浪人して「不出来は地べたに這いつくばっていよう」って真剣に思ってたけど、

そんなこと考えてたならその時点ですぐに自殺でもしたほうが良かったとも思う。

どうしよう。

2008-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20080924231825

考えてはいても実態としてヤンキーはポコポコ生む。際限なく。

ヤンキージュニア高卒中退常道で、奇跡的に高校卒業しても、大学いく金はない。(この大学全入時代に)

ヤンキーには断種/避妊か、ヤンキー税の拠出を求めるべきだろう。

低収入のくせに借金アルファード買うんだったら、てめえの餓鬼のために自治体に金を納めろと言いたい。

2008-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20080827152854

確かに、少子化大学全入時代になれば大学生レベルが下がるのは当たり前なので、教育政策を云々しても意味無いとは思うんですけどね。

ちなみに、確かに『一定水準以下の大学はおしなべて高卒扱いをするという事で社会の方が対応しつつある』というのは仰る通りで、就職する生徒が多い学校にいた頃、これまで高卒採用のあった仕事(三交代制の工場とか)の採用市場に次々と大学生が参入してくるようになりました。何のために大学四年通ったのか。

それでもそこに社会的意味を見出すとすれば、大学がより広い意味での「教養教育」を行うことによる社会知的レベル向上という道だと思うんですが、実際はどうも逆の方向(教育内容の専門化、資格予備校化)に進んでいるようで、それならますます大学進学率なんて下げればいいのにと思う今日この頃です。

2008-07-09

大学生における準ひきこもり行動に関する考察

2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・

引用

樋口 康彦

大学生における準ひきこもり行動に関する考察キャンパスの孤立者について―(富山国際大学紀要2006年3月号)

http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf

http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html



目的

健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。

筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生リクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。

就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業情報を集めています」と答える。

「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」

「はあ、危機感は感じますね…」

そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。

それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。

とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。

また心配した両親が一度、筆者と大学就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。

しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイル本質ひきこもりと何ら変わりはない。中学高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。

ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。

ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点矯正されたわけではないことである。就職活動職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋ひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。

準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。

大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。




準ひきこもり定義

一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会適応を起こす状態のこと。




通常のひきこもりとの違い

通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。


ひきこもり
  • 20 代までに問題化する。
  • 6ヵ月以上自宅に引きこもって社会参加をしない。
  • 他の精神障害がその第一の原因とは考えにくい。
  • 周囲の人は問題に気づいている。
  • 本人は問題に気づいている。



準ひきこもり
  • 大学入学以前に問題化している。社会的に問題が顕在化するのは就職活動期もしくは大学卒業後である。
  • 大学には登校するものの、ほとんど社会参加をしない。他者との交流が極めて少ない。
  • 他の精神障害がその第一の原因とは考えにくい。
  • 周囲の人は問題に気づいている場合と、気づいていない場合がある。
  • 自分が準ひきこもりであることに気づき、悩んでいる場合もあるし、気づいていない場合もある。








準ひきこもり学生典型的なコース

準ひきこもりルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。

大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビパソコンコンピュータゲーム漫画アニメなど)を延々と楽しみ自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋ひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。

就職活動をうまく行えない。知らない会社電話でアプローチしたり、OBOG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。

就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもり大学生の全てが社会適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。




準ひきこもり大学生の特徴準

ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。




(1)性格

■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもり男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。

社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。

精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。

孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがまま押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。

■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。




(2)知的側面(学習)

■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。

レポート卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。




(3)社会的側面

無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動アルバイトの類はしていないし、体育大会大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。

アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもり大学生よりはましである。

人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。

■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもり学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。

■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的ひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。

孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通大学生に見えるためである。

若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。

■全体的に見て、知的側面に比べて社会的側面が未熟である。




準ひきこもりの主な問題点

■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。

青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもり学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。

■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。




準ひきこもり学生の家庭の特徴

過保護で、親が甘い。子ども不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。

■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。

■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。




今後の課題

今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもり不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。

それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。

最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイトボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。

筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場生産現場農業、造園業関係仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。

将来、社会適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。




参考文献

2008-06-11

25歳って

たしか高卒氷河期大卒が売り手なんだよねえ。

なんという格差の固定・再生産…そりゃテロりたくもなるわ…。というか同窓会殺人が多発しそうな世代だ。

2007-12-31

堕落生活…勉強本当にできない…

さて、最近の俺の生活といえば

正午ごろに起きてニコニコ動画づくしそして寝るのが深夜4時という生活を繰り返しております

もちろん勉強なんてしてませんよ

今日エルフェンリートを全話見たくらいですから

勉強やろうとしていてもやれないものなんですよ

次回のネタエルフェンリートにしましょうかね…


さて、今日ネタは前も予告してた内容にします

予告しておきながらやらないということがスタンス化しつつあるのを少しは変えなきゃねw

さて、世の中には同志社に行きながら俺は負け犬だとほざくKYな人がいるのですが

考えてみれば今は大学全入時代だといわれるくらいなのになぜ全員大学に行かないのでしょうか?

そのなぞについて少しばかり調べてみました

吉川徹の「学歴と格差・不平等」という本を少し読んだのですが

この本には学歴格差について親の学歴子供学歴相関関係について書いてある章があるんですね

その中のデータとして書いてあるのが

1親が中卒の場合、子供大卒であるのは13.9%

2親が高卒の場合、子供大卒であるのは38.9%

3親が大卒の場合、子供大卒であるのは66.4%

というデータなんです

これは1995年のデータですから今は違うだろという意見もありますが、実際社会人にしめる大卒の割合が1975年は47.2%、1995年に51.3%2002年に50.3%であって

高度成長期以降、大卒の割合はあまり変化がないということが立証されてるそうです

さらに深く調べていくと上記の2の割合も40%で推移しており3の割合も67%あたりで推移しているそうなんです

大学が増え、少子化で入りやすくなった今でさえそうなのはおかしいと思いませんか?

特に2のパターンの割合が増えてもいいはずです

その謎を解くためにある説が提唱されることになるのです

それが学歴下降回避説だそうです

人はいろいろな事情でまず、自分が大学に進学をするか否か、そしてどこの大学に進学するか否かを決めますよね?

よく2chで言われることは大学偏差値、自分の学力、そして家庭の経済状況などの個人個人のミクロ的な視点ですが

この本ではそれは学歴の問題を考える上であまり重要ではないと書いています

つまり、人が自分の学歴について選択する時、潜在的に何が強く影響するかというと親の学歴職業階層なのだそうです(※親だけではなく兄や姉ということもあります)

上のデータから考えると親(兄や姉)が大卒の場合その子供(弟や妹)はそれと同等かそれ以上を求めて大学進学の意欲を高めるそうです

逆に親が高卒の場合子供高校卒業によって相対的下降が回避され、差し迫った欲求が発動しないそうなんですよね

このようにより高い大学に行きたいという意欲を持つかどうかは親がかなりの影響を与えるそうなのです

また、近年はこの傾向がより顕著であると述べていますね

親の階層が低い生徒ほど脱学校的な要素から自尊心を獲得、つまり学校での競争を降りて自尊心を獲得する

そしてゆとり教育は意欲のない人を無理に勉強させたりしなくなったことからさらにこの影響を拡大したそうなんです

考えてみれば確かにそうかもしれません

俺の親は高卒母親にいたっては因数分解もできないほどなんですが

そういう環境に育ち、中学までは自分が行きたい大学名すら知りませんでした

塾の講師をしていて驚くのは、今は小学生ですら自分は??大学に行きたいなんて言うんですよ…

そして「何でその大学なの?」と聞くと

親がその大学卒業生だからだそうです

大学受験のころ志望校とかを名大とか馬鹿なこと書いていましたが、受験勉強がつらくなってくるとなんでこんなことまでして必死に偏差値の高い大学目指そうとしてんだろう?

って思うようになるんですね

そしてその時に支えになる大きな根拠がないんですよ…

俺の場合その理由が、ただ学校貢献するだけでしたから

もちろん高い偏差値大学の方が就職で有利なのはわかっていますが、実態が見えないし、親が高卒体験談も聞けない状況では「絶対いけるように勉強しなきゃ」という根拠として成り立たないんですよ

そう思うとやはり親が大卒とかだと影響ありますよね

「俺は??大学だからダメだったんだ」という話も聞けるだろうし

俺の場合親は「大学行っても私たちは大学について全然しらないから自分でしっかりやりなさいよ」しか言いませんでしたからね

学歴について話なんてしたことなんて一回としてありません

そのような中で勉学意欲を維持するのは難しいものですよ

よっぽど勉強好きでない限りね

この世の中は格差社会とは言いますが教育面は「意欲格差」ということではないでしょうか?

いくら自由になったとはいえ、眼には見えない「意欲」という壁が格差を生み出してるのではないのでしょうか?

あと言いわけかもしれませんが…

2のパターンはFラン含めて40%だから準マーチレベル学歴ピラミッドの上から7%)の南山だとかなり珍しいのかな?

名市受かるレベルってこの40%の中でもどれくらいだろう?3%くらいなのかな

名大なんて行ってたら奇跡レベルだったかもね、2のパターンでたぶん0.5%くらいだからw

今考えたら行けるわけねぇよな、高校時代の俺は相当馬鹿だな…

出自から見れば俺は名古屋商科大学くらいが相当レベルだろうから






長文スマソ<(_ _)>

2007-10-22

大学全入時代

聞いた話だとセンター利用で物理化学生物の2も,数学3Cもやらないで理系大学に進学できるらしいね。

それも,理系大学というイメージの強い東京理科大学まで導入されているというから驚き。

そこまでして学費&入学金を集めなきゃいけない時代になったんだな…

というか,文系理系大学へ進学する人っているのかな?

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