はてなキーワード: 共依存とは
相手に悪意があるのかどうかは判らないが、元増田はその元カノさんにとって
「都合のいい依存相手」としての役割を担わされていたんじゃないかなーと思った。
とか類似点を挙げたらキリがない。
自分の場合は、しばらく付き合っているうちに「相手に極度に依存される」ことに依存している、
いわゆる共依存にかなり近い状態になっていた。
元より恋愛は軽度の共依存みたいなもの、とか言われたりはするけど、
今までにした数少ない恋愛のなかでも抜群にドロドロだったと思う。
上述したように、身近な男性に対して「付き合ってみたいなー」とか言い出したり
立場上仕方がないとはいえ、他の男の人とサシで会ってたりすると、もう気が気じゃない。
でも、向こうがこっちに依存しているなら、フラフラどこかに行ったりすることはないだろう。
そんな感じのプロセスを踏んで、
そいつが安心して居られる居場所を作ることに必死になっていた記憶がある。
結局、どうにも我慢のできない出来事があって
その事をきっかけに別れを切り出したんだが、
一度その思いに負けて、同意の上でよりを戻したことがあったんだけど、
自分と会う時間がなかなか確保できないと言いつつ、他の男友達数人と遊んでいたり
会えたとしても他の男の(しかも特定の)人の話ばっかりだったりして、
明らかに自分の優先順位が落ちているのが判ったし、
そんなこんなで前以上に疑心暗鬼になっている自分が嫌になってきた頃、
結局一ヶ月も経たないうちに「他に好きな人が出来た」と言われて唐突に振られた。
そうやって完全に望みが絶たれると、人間冷静になれるもので、
(多分今まで認めたくなかったから意図的に目を逸らしてたのもあるんだろうけど)
まさに自分が「都合のいい依存相手」だったことにようやく気がついたんだよね。
そんで一度強い拒否反応を示したものだから、そいつにとって自分は都合の良い存在では無くなったんだろうな。
自分は「彼女と」一緒にいることに、個人に対して依存していたわけだけど、
彼女のほうは「誰かと」一緒にいること、空間に対して依存していたんじゃないかと。
その辺を悟ってから、彼女の色々な行動に合点がいった。
一度別れた直後にはきっと彼女はもう別の依存相手を見つけていたんだろう。
もし違ったとしても、そういう風に思わないとちゃんと前を向ける気がしない。
元増田のケースが完全にそれだとは限らないし、
文面見る限り吹っ切れてきてるとは思うんだけど
あんまりまじめに考えすぎて気負わないようにした方がいいと思う。
次はもっと好きになれる人が見つかることを祈ってるよ。
ウザイねえ。
敢えて女の前で物に当たって見せてる姿が幼稚。
「ボクちゃんはこんなに怒ってるんだぞ。でも、わきまえた男だから女に手は上げないよ!でもこれ以上怒らせたらどうなっちゃうか分かんないよ!」というアピール。
まじガキ。クズ。
こういう要素は誰も持っている。
でも、みっともない甘えなんだなあということに気付くとやらなくなる。
ところが、マザコンで親離れが遅いとか、共依存の女と上手く引っ付いて、こういう特質を温存したままおっさんになってるケースがあるから怖い。
http://anond.hatelabo.jp/20090625233802
重度ではないけれど、軽度のDV被害者の思考回路に陥っている。軽い共依存状態。
DV被害者と言うのは、物理的/精神的/金銭的な暴力を振るってくる恋人/配偶者に対し、このように考える。
これなんかは1の現実逃避に当たる。平時が楽しいのは当たり前。平時じゃないときに一線を越えてくるか来ないかが一番大事なのだ。
彼の態度はどの成人男性でもあることなのか?
これは3の変型で、これが酷くなってくると「男はみんなそうなんだ、我慢できない私が悪いんだ」と自分を責め始める。
DVの話になると「なんで暴力を振るう男と別れないの?」「別れちゃえばいいじゃん」と不思議に思う人(ごくまともな感性を持つ人なら当然そう思う)がいるのだけれど、DV被害者と言うのははこういうネガティヴ思考に陥っている上、情報が制限されていることもあり何が正しいか何が異常なのかの判断がつかない酩酊状態に陥ってしまう。ゆえにDV加害者、「相手をコントロールしようとし、出来ないと暴力に訴える」相手から離れられない。ブラック会社とその社員の関係に似ている。
とはいえ、まだまだ軽度の共依存で、彼氏に対してしっかりと反抗も行っているので、抜け出そうと思えば抜け出せると思う。早く目を覚まして抜け出して欲しい。このサイトを熟読して参考にするといいよ。
逃げるときには「相手は自分を殺すつもりだ」ぐらいに考えて、徹底的に身の安全を図った上で逃げよう。別れ話はあんまり直接やらないほうがいいんだが(物理的安全圏に逃げてから電話推奨)、やる場合は絶対に家の中でやっては駄目。包丁で刺されてあぼーんして終わり。昼の時間帯に、ファミレス、マックなどの人が多いところでやる。出来れば実家や友人宅に駆け込む、警察や自治体、DV相談センターなど第三者を間に入れる(警察は動いてくれないかも)、職場を変える、住居を変えるなど。
ちなみに彼女は軽度の共依存だが、彼氏は重度のDVメンヘラ。はっきり言って病気であり、そのうち絶対に間違いなく100パーセント直接暴力を振るわれるようになる。特にモラルハラスメント、精神的DVをした後に「文句じゃないよアドバイスだよ」と言い訳をするというのは定番中の定番。そのうち「なんで俺の言うことがきけないんだ! お前のためを思って言ってるんだぞ!(ガシッボカッ!)」→「ごめん、あの時はどうかしてたんだ……」というお決まりのパターンが始まる。で、DV被害者は後者の姿を「彼の本当の姿だ」「彼は本当は優しいのだ」と思い込んで、自責を繰り返すようになって共依存の出来上がり。
DVの種類
私は親を殺せる。殺せるほどの恨みがある。
自分でもなかなか認めることができなかったのだが
この3、4年の間にそのことがはっきりした。
初めは恐る恐るそういう想像をした。
父親を殴る。母親を蹴飛ばす。
そこからさらにエスカレートして
どこか山の奥か、人目につかない林のなかで
地面に穴を掘って、そこに両親を突き落とし
そんなとき、後頭部の首との付け根あたりが痺れたような
もちろん実行に移すつもりはないし
もうこの数年のあいだは絶縁状態が続いている。
父親は私を的確に批評した。
いわく、協調性がない。
サッカーなどもやってはみたが
一体どんなことになるか、だれもが想像のつくところだろう。
私の存在そのものを認めようとはしなかった。
自分と似ているところを挙げつらっては
あんたはダメだ、と言い続けた。
父親に似ればよかったのに似なかったところについて
愚痴をこぼし続けた。
妙な敵愾心のようなものを高ぶらせて
私に対して冷たく当たった。
その意味で子供を養育するにはあまりに不適格だった可能性が高い。
そのなかで、子供へ承認を与えるという余裕はなかったのだろう。
もう、母親を支えるだけで精一杯という・・・
とはいえ、私は決定的な形で損なわれた。
もはや、取り返しはつかない。
誰とも親密な関係を築くことができないし
そういった関係を求めようとする欲求自体が
著しく損なわれてしまっている。
恋人がほしいと思ったこともなければ
結婚したいと思ったこともない。
わずかに恋らしきものを何度か経験したが
なぜ、わたしは生まれ、そして生きなくてはならないのか。
なぜ、わたしはこうで、そしてああであることができなかったのか。
命は確実に減りつつある。
謎は後悔として残り、終わりは救済として輝かしくもある。
私は親より先に死ぬしかないのかもしれない。
子供に依存しまくっている親(主に母親)は、子供が不幸なうちはご機嫌で、気味が悪いほど子供に優しくするけど、子供が幸せになって自分のところから離れていこうとすると、機嫌が悪くなって発狂して、なんとか子供を不幸にして、自分のところに戻って来させようとするんだよね。
例えば子供が仕事を楽しそうにやっていると、いかにその仕事が下らなくて価値の無いものかということを吹き込んでやめさせようとするし、恋人ができて幸せそうにしていると、その恋人を散々批判して別れさせようとするんだよ。
それで子供が仕事をやめたり恋人と別れたりして自分のところに戻って来ると、ご機嫌になって「子供を慰める優しい親」になるんだよね。
こういうふうにして育てられた子供は、「幸せになっちゃいけない病」に陥る。幸せになると親に見捨てられるから。実際に「見捨てる」という脅しをかける親も多い。(彼女の親友も、「あいつと付き合い続けるなら友達をやめる」と言って、「見捨てる」という脅しをかけているよね)
いわゆる『白雪姫コンプレックス』だね。そうして、親子でズブズブの共依存になる。
増田の友達と彼女の関係は、『白雪姫コンプレックス』の親と子供の関係に似ているかも。
その親友とやらにももちろん問題はあるし、彼女が今まで付き合ってきた男にももちろん問題はあるけれど、今まで彼女の人間関係が恵まれなかったのは、彼女自身にも問題がありそう。
彼女、自分を不幸にするダメ人間を引き寄せてしまう体質があるのかもね。
「幸せになっちゃいけない病」を抱えた人って、自分の就きたくない職業に就いたり、悪い男と付き合ったりするんだよ。無意識のうちに、自分が不幸になる選択をしてしまう。
おそらく、彼女と親友はズブズブの共依存関係だから、増田がよっぽど慎重にやらないと、増田を切って親友のところへ行く危険性がある。
彼女に向かって「なぜその親友はダメなのか」を言うだけでは難しいかもしれない。それよりも、彼女自身の意識を変えて、ダメ人間引き寄せ体質を改善する方向に持っていったほうがいいんじゃないかな。
彼女に必要なのは、自分の幸せを追求しても良いと思えるようになることと、自分を不幸にする人間との関係を切れるようになることだと思う。
独断とありったけの想像で書く。ピンとくるものがなければ、適当に流すか「何言ってんだバーカバーカ」して欲しい。ただ、少し怖いことも書くので、そういう返信を求めないなら読まない方が良いかもしれない。こういう言い方は責任逃れっぽい割に気を持たせて誘惑するようで余り好ましくないとは思うのだが。
「俺には愚痴を言う資格も無いのだろうが」の増田に足りないもの。
傍から見れば何の不満も無い生活。
だが、なんなのだ、この底知れない空しさは。何故にこんなに空しいのか。
…なんとなく分かる気がする。ズバリ言うが、増田が求めているのは「人間」だと思う。
個人的にはこれを『語り手に答の見えない問題の解答は、大抵の場合語り手が一番否定しているものの中に明示されているの法則』と呼んでいる。いや、ごめん。呼んでいるというのは嘘だ。今付けた。でもあると思うんだ、そーゆーの。
何を言う、増田は人間嫌いだと言っているではないか、と反論される向きもあろう。でもよく読んでみると、必ずしもそうは言っていないことが分かる。
出かけるのは嫌いだ。人間がたくさんいるところは嫌いだ。
ね?
「嫌い」の後ろにいつでも「好き」があるとは限らないが、少なくとも増田は「人間が嫌い」とは言っていないことが分かる。そして、ずいぶんクリアかつ論理的に話をする増田だが、「たくさんいる人間」が嫌いである理由は特に明示しない。そのあたりに何かある、と読んでいる側としては感じる。
増田は『人間』に飢えているのではないか。直接増田の目を見て手を握り、昨日のこと、今日のこと、生きてきたこと、見ているもののこと、自分のこと、増田のこと、美味しいこと、好きなこと、きれいなもの、おどろいたこと、楽しいこと、悲しいこと、そして明日のことを話す相手に。そういう話のできる、人間関係に。
そして、ここからが少し怖い話になるわけだが、話を読んでいると、その『彼女』が惹かれているのはひょっとしたら増田のその『飢え』なのかもしれないという気がするのだ。彼女もまた、人を求め・人に求められることを痛切に求めながら、社会の中での多対多の関係に傷つき、そして静かな環境の中で1対1で自分という存在を求める「飢え」を求めてあなたの下にやってきているのではないだろうか。つまりそれは一種の共依存であり、自分の欠落を、他人の欠落を埋める存在となることで果たしているような人間関係ということになる。だからこそ彼女は、自分を強く求める存在をただ眺めているだけで(というかそこにこそ)幸せを感じているのではないだろうか。彼女もまた、自分が複雑な人間関係にとらわれることに脅えている……そんな風に感じられる。
つまり、あなたの不満とは、彼女が「増田を見ているのではなく増田の中の『飢え』を求めてやって来ているのではないか」という不安から来ているのではないだろうか。
たとえば、増田の「飢え」が、今すぐ何かで満たされる(たとえば、1対1の関係が生まれ満たされるようなボランティアや、人間関係など)とする。そうすると、その彼女はいつの間にか静かに去っていたりするのかもしれない。……これは少し怖い。
そういうわけで、もしこの分析仮説が正しいとすると、あなたが本当に幸せな未来を彼女と築きたいなら、あなたは自分の中の「飢え」とともに、彼女の「欠落」を、丁寧にゆっくり一緒に癒していかなくてはならないと思うのだ。これはたぶんものすごく大変であるし、時間がかかる。普通の、ただの他人同士がその状態で関係を維持するのは(先々関係が不安定になる可能性も含めて)とても難しい。そういう意味では、もしその覚悟があるなら、あなたは彼女と人生を共にするべく、そろそろその準備をしておくべきなのではないだろうか。少なくとも、性急な「分析」や話し合い、まして「解決」などを一足飛びに求めるべきではないだろう。とりあえず、じっと目を見て、
「今すぐとは言わないけど、ずっと一緒にいて欲しい。僕たちは一緒にいるべきだと思う。」
と伝えることから始めてはどうだろうか。急ぎすぎないこと、それが肝心だ。
あなたの人生には、これからまだまだ波乱が待ち受けていると私は思う。できれば、それらの困難を乗り越えて、あなたが本当に幸福な人生を送ることができるよう、祈りたい。
それにしても、人間が生きていくというのは、意外と大変なことだなあ……。
あの野郎と私のことを考えて考えて考えていて、共依存て言葉がぽっと頭に浮かんできて、むはっ!てなった。結局の所私は未だ、自分の生い立ちから抜け切れていないのか、と。アル中の父親に殴られて育った娘が、またアル中の男になびくのと同じことだ。そこが理由で好きなんじゃない、と否定し続けてきたけれど、そろそろ認める時期なのかな。あの野郎はDVでもアル中でもないけど。ただの、彼女がいるからと振った女をその後も定期的に飲みに誘う、頭おかしい男。そして私は喜んで飲みに行く頭おかしい女。私に彼氏がいる時期を挟みつつも、早五年もこんなふうな感じでいる。
共依存状態で四年、同棲を続けている友だちが、泥沼の果てで最近はお互い自立してきたという。彼は自分の抱える嗜癖の自助グループに通い始めたし、彼女は離れて働く時間が増えた。束縛と暴力はゆるみ、穏やかな時間が増えたという。
それは彼らが互いのために努力を重ねたからだと思う。安全に何も、誰も傷つかないように。それを気をつけているだけじゃ、何も変わらないのだと思った。
性的に欲求不満であると、ことあるごとに奴は私に言う。そのたびにテキトーにあしらってきたけれど、今度もし言ってきたら、関係を変えてみようと思う。どうせ短い人生だ。やりたいことやって泥水すすってみるのもいいじゃないかって。その結果殴られてもそしられても、やりたい方に進んでみたい。泥沼の底を探ってみたい。彼氏じゃなきゃ彼女じゃなきゃとか、友人一同にどう思われるかって条件付けは絶対だと思ってきたけど、変えてみてもいいんじゃないか、と、思った。貞操観念の強い女として来たけれど、崩してみたくなった。
これが全てタダのやけっぱちなのか、それとも心境の変化や成長?なのかはわからない。ずっとクソ真面目に生きてきた。馬鹿に、尻軽になってみたいんだ。
その先で、「もてあそばれた」だの「捨てられた」だのみじめに泣くようなことはしたくない。人にどう思われるとか、こうしたら嫌われるとか、そんなこと考えないで自分で選ぶ道なんだから。
カウンセラーの資格を持ってる友だちに人生相談した時に、自分と君のようなアダルトチルドレンは、と不意に言われて、虚を突かれた。そういう定義の人になるのか私は、と。そんなご大層なもんじゃねえよ、とずっと思ってきた。人からそう言われたのは初めてのことだった。アダルトチルドレンであり、共依存傾向が無茶苦茶強い。そういう人間だと自分を認めた(つもりだ)けれど、この先回復はどう向かったらいいんだろうか。今度しようとしている選択はむしろ、破滅に向かう一歩なんだろか。
まあ彼が、私の変化と依存を受け入れるかはわからないけれど。彼女を失う可能性と、依存し合う心地よさ。天秤にかけるかな、彼は。ただ性欲の解消に走るだけかな。そうだろな。ははん。
つーか考えても考えても答えが出ないんだけれど、共依存でない愛情てあるんだろうか。ていうか愛ってなに。男性として、女性として好きって何。この人がいなきゃ生きていけないとか、そんな気持ち感じたことないや。独占欲しかない。
おお、見事な共依存からの脱却。そういう友人がいてよかったね。
三銃士のアトスってやつが、「人生に生きる価値なんてない」って言うんだけどね。それを読んだ小学生の俺は「そうか! そうなのか!」と思ったんだけど。でも、その考え方から、幸せになれるようなものは何も生まれなかった。(念のために言うと、アトスが悪いわけではない。彼にはそう考える彼なりの理由があった。それは読めば分かる)。
だから俺は人生には価値があると思ってるし思いたいし、もし今ないなら自分で作るべきだと思ってる。価値のある人生っていうのは、俺は「俺にとって俺が価値のある人間だと感じられること」と同義だと思ってるけど、この解釈はそれぞれだろうから、特に争わない。
あとはマヨネーズを作り続ける人生を何の比喩で言ってるのかしらないが、それが自分の望む価値基準でベストだとしたら、最高だと思うよ。要は自分が満足できるかどうかじゃないのか。俺はマヨネーズ食えないし、周りにもあまり好きなヤツがいないので、個人的にはその人生は目指したい感じがしないけど。「一部の偉人を除いてそんなもんだ」とか、勝手に人間を見積もるのにも違和感がある。
ところで、俺にトラバで合ってたのか? と思ったのは、
ここのとこだけど、誰かに好かれたら価値が生じるなんて書いてないし、そんなことはこれっぽっちも思ってないよ(※)。そもそも、「お前の価値観なんかどうでもいいんだよ」って書いてるし。もし他人からの評価で価値が生じたとしても、評価がほしい「誰か」は変わる可能性がある。「誰か」の価値基準が変わるかもしれないし、自分にとって大事な基準となる「誰か」が変わることもある。そんな流動的なものじゃないんだ、俺が欲しい価値は。
これもそんなことしたいなんて書いてないぞ。だいたい、人類の歴史の1ページに名前を刻みたかったら別に簡単で、大量殺人でも犯せばいい。明日にでも出来る。しかし、そんなことをして名前を刻んでもすぐに忘れられてしまう。多くのページに埋もれてしまって、例え付箋がはられてたって、ほとんど見返されることはない。
俺のほしい価値はもっと絶対的で、俺が100%信じられて、俺の生きている間は永遠に残るものなんですよ。そして、俺が死んだ後のことは、俺にとってはどうでもいい。俺の世界は俺の消滅と同時に消滅するから。
※追記
ああ、君が俺の記事のどこでそう感じたのか分かった気が。「二人の世界に逃げ込む」ってあたりか? 二人の世界はお互い自己承認を満足させてダラダラと共依存する空間じゃないぞ? 一番二人にとっていい雰囲気を醸し出せるように気遣う、ある意味戦いの場で、その戦いの代償に癒しが与えられるという、アンビバレンスな場所だと思ってる。メンテナンス時間より、元気付けられる時間の方が多いとはいえね。