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2008-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20080429035329

状況がよくわからないんだけど、この人はあなたの元カノで、ここ数年は(別の彼氏がいるけどあなたとは)セフレとして付き合ってきたってこと?

しかも虚しいのに付き合うって、セフレ関係を望んだのはあなたのほう?

セフレでもいいから付き合ってよ」と言ったあなたと付き合うのがあなたを見下してるってこと?

それとも虚しいのに数年あなたと恋人関係にあったことがあなたを見下してるってこと?

いずれにしても個人的に蔑まれるのと「男だから」蔑まれるのとは訳が違うよ。

あなたがそうだというわけではなくて、男女問わず卑劣だとか不誠実だとか感じた相手を蔑むこととか普通にあると思うけど。

たとえばお金ルーズ無駄遣いばかりしてて貯金がないとか嘆く人を見て「そりゃあんなにお金ルーズなら貯まるわけないだろ」と見下すのは差別とか全然関係ない。

彼氏がいるのにセフレも作るなんて不誠実なやつだな」とあなたが見下すのも(相手をしてる自分のことを棚に上げてる感はあるけど)それだけなら差別的な考えじゃない。もしその枕詞に「女のくせに」がつくのなら差別的だけど。

セフレ扱いは虚しいよね。

自分が惨めになるだけだから、もしあなたが彼女に未練があるのだとしても別れた方がいいと思う。

2008-02-19

時間ルーズなのは沖縄人ではなく…

馬鹿にされているようなので、現在静岡にすむ沖縄人の私に言わせていただきたい。

某有名会社へ打合せに行くと30分遅れなら早いもんです。こっちが会社に出向いてんのに何故出て来れないのか…

来るっていって来なかった日もありました。3時間遅れくらいになったこともあります。

結論。

沖縄人だからルーズなのではなく、ルーズな人がルーズなんです。

そんな私は5分前行動派です。

http://anond.hatelabo.jp/20080219110432

まず、自分勝手な訂正として、時間ルーズ人間は来られないんじゃなくて、来れるけど来てないってことを知っていただきたい。

そこからさらに自分勝手な言い分として、あと何分かかるって言わなきゃいけない状況の時っていうのは大体の場合、すでに到着している相手が早く来いと促している時であって、そんな状況になったらまあそりゃあさすがに急ぐよってことだよ。

遅れてほしくないんなら遅れて来るなって言ってくれ。

ダチョウ倶楽部の絶対に押すなよ的にならないようにマジなトーンで言ってくれ。

そこらへんで根本的に理解し合えない人とはもう楽しい付き合いは出来ませんごめんなさい死ねってことだよ。フハハハ。

http://anond.hatelabo.jp/20080219110133

沖縄人とは友達になれないことが分かった。

というか、相手の事を考えず、

「俺は沖縄人だから、時間ルーズなのは当然だから、お前はそれを考慮しろよな。でも俺を待たせるときは、ちゃんと何分おくれるか連絡して、時間通りこいよ」

などと平気で言ってのけるのが性にあわない。

2008-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20080109123900

俺が高校生だったの10年位前だけど当時男でも女でも制服スニーカー履いてるのって所謂ダサい奴らか、もしくは正統派から外れたお洒落を狙ってる奴だけだったよ。

マジマジ。大マジです。

増田の地域が分らないので何ともいえないけれど、5年前くらいはルーズ+スニーカータイツ+スニーカー普通にありました。スタンダートな選択肢のひとつでしたよ。コンバースとか、プーマナイキバンズアディダス諸々の白スニーカーが主流だった記憶。今でもそんなに廃れてないんじゃないかなーとか思うわけですが、最近高校生見てないのではっきりとは分らないです。

http://anond.hatelabo.jp/20080107225734

細田監督はこの映画主人公と同じ世代の子たちに感情移入して好きになってもらいたいとどこかで語っていました。

ちょっとこの言葉だけに捉われ過ぎてないか?

俺も見ていて絵空事的世界観(SF部分についてじゃないよ)だなと思ったが、もうそれは前提条件なんだと思う。

そこまでの生々しさやディティールによる共感ってのは制作側も狙ってないと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20080109114836

当時は、膝下スカート(紺プリーツ限定。チェック柄でこれしてる人間を見たことない)+オーバーサイズのカーデに、ルーズ+スニーカー

これマジ?

俺が高校生だったの10年位前だけど当時男でも女でも制服スニーカー履いてるのって所謂ダサい奴らか、もしくは正統派から外れたお洒落を狙ってる奴だけだったよ。

俺は前者高校2年の半ばくらいまでスニーカー履いていましたが。

http://anond.hatelabo.jp/20080107225734

時かけアニメ版映画主人公真琴の着ていたのが紺ミニスカート+白ポロシャツ裾だし+紺ハイソックスだったんですが、上映始まってしばらく時代設定がわからんかったんです。

靴が気になった。ローファーだとちと微妙だが、スニーカーならありかと。でも私が女子高生だったのは5年前のことなのでもう古いか。

当時は、膝下スカート(紺プリーツ限定。チェック柄でこれしてる人間を見たことない)+オーバーサイズのカーデに、ルーズ+スニーカーか、黒タイツ+ローファー(踵は踏む)を合わせるスカート膝下連合と、膝上スカートハイソ+ローファースカート膝上連合が二大派閥だった。ミニ+ルーズ+ローファーはちょっと姿を消しかけていたような記憶

個人的には長いスカートに黒タイツ+スニーカーが好きだった(見るのも着るのも)。でもオーバーサイズが某お嬢学校発祥とは知らなかった。どっちかというと、お嬢な子はミニスカ(チェック柄)+ハイソ+ローファーだったので意外だ。

ちなみに神戸の話。

滋賀県が全国で最もスカート丈が短いという話を聞いたのだけど、これは今でもそうなんだろうか。去年旅行で行った時の体感では、確かに短い子が多いなあ、という印象だったけど(そもそも兵庫県がながすぎかもだが)。

真琴制服姿ってたぶん普遍性があるというか、5年後10年後にみてもそんなに古くさく見えないと思います。

でもぜんぜん「今」じゃない。

「今」は地域性のほうが時代よりも大きい差なので、普遍的な「今」の制服、というのは難しいんじゃないかなーと思った。個人的な感覚でいうなら、アクティブな子という設定(見てないので知らん/しかし広告から受けるイメージは活動的)なら、紺ミニスカ+ポロシャツ裾だし+ハイソ、という組み合わせは結構合ってるんじゃないかと思う。足元どうだったっけ…

2008-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20080103111107

むしろ江戸時代までは性に対して普通におおらかな国民だった、というのが正解。

明治に「近代国家」を作る際に(あの性に潔癖なことで悪名高い)ヴィクトリア朝時代のイギリスやらキリスト教やらが手本になったせいで「性に潔癖なのが近代国家」「おおらかなセックスは封建的で遅れた風習」という風潮が生まれ、「公的にはやたら潔癖」で「民間ではぐだぐだにルーズ」な性風俗がまかり通る羽目になった。一足飛びに近代化したツケはこういうところにも表れています。

2007-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20071122172033

ルール」と「常識」と「躾」はそれぞれ別のレベルの話であり、混同してはいけない。

躾をルール化して考えるのは、躾を受ける側特有の傲慢さだ。

躾は、キッチリ受けといた方がいい。

躾を受けておくと、大人になるとルールを守る事が当たり前になり、苦痛ではなくなる。

ルールルーズ=だらしない、みっともないに見える。

一緒にいる恋人or片思いの相手が「この人常識無いな、だらしないな、みっともない」と思うような人間になりたくないなら一緒にしてはいけない。

そういうルールの論議をしたければ、支配者と市民にしときゃよかったのに。

2007-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20071028105957

「一緒に食事に行く」ならまだ「脈がある」レベルだからそんなに気にしなくていいと思う。

「部屋にいく」は確実にエッチするフラグだからその気がないならまずい。

ただ社会人ならこのルールだけど、学生はもう少しルーズかな。

芸術系の大学では気のない人のところにもずかずか上がりこむ人がたくさんいました。

2007-10-11

3度目の言い訳

10月10日。

僕は学生だけど、

時間的な流れの感覚は多少狂ってる。

眠くなったら、何時だろうが気にせずに寝るし、

テキトーに起きてから1日が始まる生活をしている。

卒業に必要な単位は取得してあるから、

あとは卒業するだけ。

今年1年間はこんな生活がずっと続いていた。

さすがに、

この生活をずっとしているのは、社会に出てから大変だなと思ったので、

最近はこのスタイルを改めようとは思っている。

10月10日という日。

この日は、

友達との予定があることは覚えていたが、

どこで何時に待ち合わせしたとかは覚えてなかった。

15時の待ち合わせだったんだけど、

その時間を教えてくれたのが、待ち合わせ時間の1時間前に掛かってきた友達からの電話だった。

「ごめーん。18時からかと思ってたー。今すぐに急いで行くねー!」

言い訳を交えて急いで現地に向かった。

しかし、

待ち合わせ場所に着いたのは、

予定より1時間も遅れてだ。

「ごめーん。電車の乗り換えに失敗して遅れちゃったー。」

今日2度目の言い訳

おかげで、友達と一緒に行くイベントには1時間ちょっと遅れることになった。

それから帰宅して、

PCを起動した。

mixiを開くとあるページに僕がアップした動画についてのコメントがあった。

「どうなのこの見せ方は?」という

僕の撮ったムービーキャプションについての問題を指摘していた。

そのコメントに対して、

「ご指摘をありがとうございます。もっと対象者に近づいて撮影をしようと思ったんですけど、人が多くて。。。。

 それと、私は素人なので、、、、。それと、写真用のデジタルカメラなので、、、。」

というような感じで僕は批判されたことに対して言い訳を考えていた。

でも、3度目の言い訳のときには

それを自分の中で留めて外には出さなかった。

言い訳」っていうのは、

自分を守るために言葉を使っているだけで、

よくよく考えたら格好悪いことだなって、

悟った。

待ち合わせの時間を誤ったのも、

「確認不足」

なことだし。

電車の乗り換えに失敗したことも、

「準備不足」

なことだし。

ムービーの見せ方が悪いのも、

クオリティの不足」

なことだし。

これは全て

日頃の僕の生活のルーズさから来ているものだし。

こんな感じに、

ここで、

今日(日付が変わったけど)の3度目の言い訳した後からは、

言い訳とはさよなら。

確認。準備。クオリティ

新しい自分にこんにちわ。

いつから?

今から。

2007-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20070920184143

立場とかでなく向こうがありがちな馬鹿なだけ(絵描きって、ルーズな人は学食カレーぐらい液体に近いルーズっぷりです、何故だか)

2007-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20070828163637

ふむふむつまり

君は俺にエゴをぶつけた

俺は君にエゴをぶつけた

なら、結局、同じ事じゃん!

やっぱり問題ないね!

友達は本当にそうなのかなんて言われたって、友達本人がそう言ってるし現実そうしているからなあ。「そうはいっても心の中ではちがうかもしれない」なんてレベルの話なら、「そこまでこっちが読んであげてそこに責任を持つ必要なんてない」と思うけど。それはもう、言わない、自分の意思を示さない方がダメでしょ。示してない以上こっちはそう受け取るのは自然っしょ?いちいち「本当はこの友達はこういう携帯で連絡とってルーズに待ち合わせるのが嫌なのかもしれない…現状ではそうしてるし、別にそんなことないといってるけれどそうじゃないかもしれない」って勘繰らないとだめなの?実はそれ、全然友達の言う事信用してないよね。「この友達はそんな事も自分で言えないこどもかもしれない」って子供扱いしてるみたい。一人の人間として扱ってないじゃん。それにそれをするにしたってどうしてこっち側だけがそうしないといけないの?

遅刻

なんか荒れてるので敢えてTB付けず。

俺もよく遅刻します。高校時代は余裕の3桁遅刻してました。大学は1分でも遅刻したら欠席扱いでしかも2回欠席したら即不可で留年になる教科を除いて、1限に間に合ったことは無かったと思います。友人との待ち合わせも良く遅刻します。しまくります。でもときには余りにも早く着き過ぎます(45分〜1時間以上)。要するに本当に時間にルーズなんだと思います。一方で、仕事遅刻したことは皆無ではありませんがあまりありません。疲れが溜まってて目覚まし時計を止めたことにすら気付かないことは稀にありますが、それ以外では大体時間に間に合うように行きます(とは言ってもギリギリだけど)。

さて。

それでも遅刻ダメでしょう。なぜなら待ち合わせの時刻はルールであって、決める時点で同意したメンバーが守るべきものとして作るからです。ルールはどんな理由があろうとも、正当な民主主義に基づいて決められた場合は、民主主義国家国民としては守らなければなりません(独裁国家国民民主主義に基づいて決められていない独裁ルールも守らなければいけない)。ルールを守れない、守りたくないのならばルール自体を変えるしかありませんが、ルールを破ることによって変えることは不可能なので、ルールに則って変えるしかありません。

よって、遅刻ダメです。禁止です。

ただし、ダメだということと、怒るかどうか、制裁を加えるかどうか、罰則を決めるかどうかはまた別の話で、待ち合わせする人達が、これもまた民主主義に基づいて決めるべき事柄であって、一概にはいえません。何分までなら許す、何分から何分までならジュースを奢るとか、そういうのを決めればいいと思います。罪と罰は別物、ということです。

次に、ルールとは別のマナーの視点です。

マナーの視点から見てもやはり遅刻ダメです。禁止ですね。決めた約束を破るのはマナー違反です。これに加えて、やはり遅れる場合は約束時刻の前(遅くとも約束時刻5分後まで)に遅れる旨の連絡をするべきでしょう。待たされる側はいつまで待たされるのか分からなければ怒りを覚えますし、場合によっては何かあったのではないかと心配したりします。また、約束時刻だからとりあえず集合場所に来たけど、実はトイレを我慢していたり、喉が渇いたのを我慢していたりする場合もあります。この場合に、予め遅れることが分かっていれば、先に済ませておくことも出来ますので、やはり連絡はすべきです。

これはマナーですので、1人1人の良識に完全に依存するものですが。

まとめると以下の通りです。

  • 遅刻は悪。
  • だが罪と罰は別で制裁はまた話し合いで決めるべき。
  • それとは別にマナーとして遅れるときは連絡すべき。
  • 結局のところ集まる人間全てで相談して判断すればいいこと。

http://anond.hatelabo.jp/20070828163637

別に、ルーズにならなくたっていいよ?きっちり時間通りにきてもいいよ。時間通りにくるななんていってないよ。

2007-08-14

和菓子評論家が一心堂の新商品を試食しての一言

どうも餡がルーズです。

2007-07-04

水はやばいってこと

http://anond.hatelabo.jp/20070704044400

液体より固体のほうが密度が大きいというのは常識で考えればおかしい、だって液体のほうが分子の結びつきがルーズじゃん、と言うわけで、水という物質は人間にとって、というか地球上の生命にとって最もありふれた物質であるにもかかわらず、その性質は例外的なんだよね。だから話がややこしくなる。水のそのややこしい性質によって地球上ではいろいろな生命の奇跡が起こったりしているわけだが、そのへんも含めて、ほんとに厄介なのはコロ助科学質問箱あたりでわかった気になって「オレそんなこと小学校から知ってたZeeeeeee」とか鼻高々になっている連中のほうなんじゃないか(俺も含めてな)とか思ったりもするんだが、それはまた別のお話。

コップで話をすると、表面張力の考慮もあるからめんどくさい。子供相手なら実験させるのが一番なんだけど、大人相手じゃそうもいかない。

もっとも「氷が溶けると体積が増える」と言う人は、もはやなんとなくの感覚で言っているんであって、浮いている水面の部分は云々などというのは後付けの屁理屈物理法則以前の「スーパーで買い物をする主婦の勘」的要素で話をしているから、北極南極とか言ってもどだい無理。納得させたければ、よつばちゃんを説得させるつもりでいけ。

「容器に山盛りのかき氷は、溶けたらこぼれるか?」

「氷が溶けるってことはその分の『つめたさ』はどこにいくんだ? 地球上からなくなったりしないよな? だから、そのぶんで地球が冷えるから、じつは温暖化は起こらない。」

要するに自信満々で言えばなんでもいいよ。

2007-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20070624234216

自分は可愛くないので、無理矢理褒められているとしか思えない。

あと、私の事を可愛いと言う人は信用できるような人間じゃない事が多いので、嫌なイメージが付きまとってる。

ルーズな人だったり、後で意見コロコロ変わる人だったり、街中で声をかけてくるキャッチセールスの男だったりとか。

良識を持った人間は私を可愛いだなんて形容しないよ。

そんな感じなので、可愛いと言われても嬉しいどころか嫌な気持ちになってしまう。

2007-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20070614011738

ある会社面接に行って、「○○日に連絡します」というので待ってたのに全く連絡くれなかったので、別の会社就職することにした。

結局その会社からは期日の翌日に、採用したい、と連絡があったが、人の人生を左右するポイントにおいて、時間にルーズ会社は信用できないと思ったので、辞退した。

今、自分が辞退した方の会社は「あの会社まだ存在したんだ」と言われるような会社になった。もう片方の就職した会社は「あ、もしかして○○○の会社?」と言われるような会社になった。

まぁあなたの敗因は、連絡の期日を切らなかったことでしょう。

2007-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20070503145428

http://anond.hatelabo.jp/20070503140847

これのレスレス

まぁなんだ、俺は社会人経験もいい加減ある一時期は採用面接とかもやってた野郎なんだがな……。

うら若い乙女に間違えられると照れちゃうぜ。

おまえさんにレスを返しているのは俺だけじゃないみたいなんで、1人で踊っちゃうと危険よ?

つか、男女に思考の傾向ってのはあるかもしれないけど、そんなの年代ごとにもってる思考の傾向なるもののギャップよりも小さいものだと思うな。ほんとに文理うんぬんと同レベルな話しだとおもうよ。

ジャマイカ人は陽気でルーズすぎて仕事に向かない。

仕事ができるジャマイカ人もいるけれどそれは例外だ。


ジャマイカ人の例は極端すぎたか。

外人さんを採用するときも国別に思考の傾向なるものはある。

だけど、それを仕事の能力と断じるのは違うんじゃないかな。

言いたいのは「仕事」と書いてあるけど「御社の業務の話し」でしょ?ということだ。

仕事」にも多様性があって、一般化するのはどうかなと思うよ。

だから君が「ボクのやってる仕事には女性は向かない」と思うのであれば、それはその通りだと思う。

能力の問題じゃないだろ。

校長先生思考男子校なのに、申し訳ばかり女性を入学させて本校は共学なのれす!と言い放っても不幸になるだけ。

まぁなんかよくわからないけど漁船がんばってくれ。

2007-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20070322220619

自分も昔から部屋の片付けとかうまくないし、時間を守ろうと思っても

どうしても遅れてしまったりすることがあるし、空気読めてないんじゃ

ないかと思うときがある。

最近ADDじゃないかと疑い初めたんだけど、上に書いたみたいな

ADDの症状は脳障害だから基本的には治らない」ってのが定説

なってるらしい。

だから「多数派から見てルーズって生活ができないなら、多数に適応

できるようにスキルカバーしてこう」っていうのが、対処方法

らしい。

ADD(ADHD)については、ここ、

http://www33.ocn.ne.jp/~osamu/

あと、生活スキルについては、ここ、

http://f32.aaa.livedoor.jp/~lazy/

が参考になった。

まあでも、できるところからゆっくりでいいんじゃないかな。

とりあえず自分はそう思って、地道にじたばたやってるけど。

2007-02-17

[]

「私だと…

 鳴かぬなら 鳴かないままで別にいいや ホトトギス?」

「そんなのホトトギスのこと好きじゃないから言えるのよ」

「そっか じゃあ

 鳴かぬなら ちょっかいかけたい ホトトギス

適当ルーズね…」

草川為『十二秘色のパレット』

4巻は3月5日発売ー。

2007-02-07

『業務システム魔法をかけたバリュプレス』の中の人

「ゲーム感覚で仕事ができる」--業務システムに魔法をかけたバリュープレス - CNET Japan

ブクマコメントリクエストにお答えして中の人意見

言語化されると微妙だけど、実際この中にいるとそんなに「管理されている」という感じはしない。

それぞれの案件・タスクの背後には必ずクライアントや別のスタッフがいるわけで、それを考えれば「システムに踊らされる」ということもない。

まあ、僕がルーズなだけなんだが。

システムはただそれだけで成立しているわけではなく、「どう使うか」によってその効能も大きく変わるわけでさ。

ちなみに、CNETは比較的好意的に書いてくれたけれど、この前のバージョンAERAに紹介されたときは『ITロボット化する会社員』という紹介のされ方だったよ。

2007-01-18

『部屋に入るな→じゃああなたとは友達にならない』に納得できない

もう一生女なんて信じない関連。

pal-9999の日記 - セックスする友達というのなら文句は言わんがはてブコメントとか読んでて納得いかなかったので書いてみた。

寝室というパーソナルスペースと「親密フラグ

心理学に「パーソナルスペース」と言う概念がある。

http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/personal.htm

腕を伸ばして届く範囲ぐらいが「親密なスペース」と呼ばれ、フツウは恋人家族のような「触られても気にならないほど親密な関係」以外の人に入られると不愉快に感じる。

反対に、そのスペースに入るのを許すことは「あなたと私は親密な関係だ」と暗に認めていることにならないだろうか。相手に自分の「親密なスペース」に入ることを許すこと。これを仮に「親密フラグ」と呼ぶことにする。

一人暮らしの部屋なんて、大抵はワンルームでベッドがある。私はベッドがある部屋だって十分に「親密なスペース」だと感じる。学生時代、同性の友人の狭い部屋に招き入れられた時でさえ、私の気持ちは妙に高揚したものだ。友人の「親密フラグ」を感じ、自分が彼女にとって「その他大勢の友達とは違う特別な存在」と感じたからだ。

「親密なスペース」に入ること=「友情」という勘違い

思春期に、同性をやたらに「親密なスペース」に入れたがる時期っていうのがある。

中学生ぐらいになると、遊ぶといえば誰かの部屋で、何するでもなくマンガ読んだりファミコンしたり延々とコイバナやエロ話をしていたものだ。このように青春の一ページでは、同性に「親密フラグ」を立てまくっては、大喧嘩したりいじめがあったりと何かしらの失敗がある。

しかしハイティーンになるにしたがって、その「親密なスペース」の開放を、グループではなく1対1の関係(多くは男女交際)に求めることが多くなってくる。(男の子の場合、体育会系クラブ会社など、いわゆる「ホモソーシャル」な組織への従属ってのが挟まることもある。)この「親密なスペース」を限られた人にのみ許す、という変化は、1対1の親密な関係を築けるようになる、というごく当たり前な精神的成長の一側面と捕らえることができる。

しかし中には、この精神的成長の途中でなぜか、「親密なスペース」をお互いに許しあってこそ友達だ、という考えに到る人たちがいる。

「友達なんだからいいだろう」と、非常識に部屋に居座ったり、ベタベタ触ってきたり、お金などごく個人的な部分でルーズに寄りかかってきたりする人たちを見ると、一人一人の「親密なスペース」には結構差があるんだなあ、と感じると共に、1対1の親密な人間関係を築く方法を身に付けきれていない「未熟さ」を思わずにはいられない。

人間は「惹かれる」という本能的感情を、「恋愛」という文化で解釈している

惹かれる心というのは本能的な感情だと思う。自分の命を守る上で欠かせないと感じる人に出会ったとき、どうしようもなく人に惹かれるのだと思う。これは性別に関係のない感情なのではないか。相手を必要だと思い、もっと近づいて親密になりたいという願い。これは、最終的には肉体的接近を伴うものであろう。異性であれば子を成したいと願うし、同性であれば群れを成したいと願う。同性同士での性的行為に及ぶことも、人間だけではなく様々な種でしばしば見られることである。

人間であれば、そこに文化的な装飾が絡んでくる。

異性愛が推奨される文化の中では、同性同士で一定以上の肉体的接近に到ることは少ないだろうし、一夫一妻の文化の中では、一度に複数の異性に惹かれることを文化的にタブーとする。

つまり、「惹かれる」という非常に本能的な感情を、わたしたちは「恋愛」という文化で解釈することにより、日々の人間関係を営んでいるのではないかと思うのだ。

この「恋愛文化」の解釈モデルドグマとして信望するあまり、本能的な振る舞いを許容できなくなっている人が多いと感じる。「好きになったらあなただけ。他の人にときめくなんてありえない」というドグマにとらわれすぎて、たまたまときめいちゃった時に「このときめきは本物」とかいって恋人家族を捨ててどこかへ飛んでいってしまうようで、解釈に振り回されるというのはとても不自由そうなものだと感じる。

「親密なスペース」を許すこと、すなわち「親密フラグ」を立てることは、これから親密な人間関係を築こうとする二人にとって、非常に重要コミュニケーションになる。お互いの「親密なスペース」に侵入しあうことなしには、性的関係に到ることはできない。翻って「親密フラグ」を立てるということは、やはり性的関係に到ることへの実質的な許可と捕らえられてしまっても、やはり仕方がないのではないだろうか。

つまり、惹かれたら、近づきたくなるし、やりたくなるだろ、動物なんだから、と言うことである。それを人間はなんとか文化的解釈でコントロールしようとして、うまくいったり失敗したりしているんじゃないか、ということだ。

「親密フラグ」を立てておいてセクシャルな関係を拒む女子

腕に絡み付いてきたり、平気で男の子ワンルームに上がり込んだりする女の子は確かに存在する。彼女達の多くは、おそらく「親密なスペース」に入り込まれても拒まれない、つまり相手の「親密フラグ」をもぎ取ることが気持ち良いのではないかと思われる。彼女達はその関係に、必ずしもセクシャルな関係を求めない。中学生時代に同性の友人と共有したような、「親密で楽しいだけ」の関係を求めているように見える。そういう意味で、彼女達の「親密な関係」は未熟なものであると言えよう。しかしそれは逆に言うと、「親密な関係」に「セクシャルな関係」を求められることを苦痛に感じている、とも解釈できる。

しかし、これをやられるとたまらないのは男の方である。彼女達はどちらかと言うと「親密なスペース」に保守的な男の子を狙うことが多い(決して意図的ではない)。突然かわいくてやわらかくていいによいの女の子が「親密なスペース」に入り込んできて、とても楽しそうにする。普段立てたこともない自分の「親密フラグ」を、立たされっぱなしにされるわけだ。彼らは振り回されながら、遠まわしに打てども響かない彼女達の「親密フラグ」を信じ、耐え切れなくなってセクシャルな関係を求め、玉砕する。

「あなたがそんなことを考えていたなんて信じられない」「ずっと友達でいたかったのに」「もう二度とあのころには戻れないんだね」といったメガトンパンチに、再起不能になってしまう人もいる。中には、男は完全に同意のつもりであったのになぜかレイプで告訴されてしまう、と言うケースもあるだろう。(だからってレイプ正当化されるわけではないが)

こんなウサギさんばかりでは、純真な狸たちはますます恋愛に怯え、親密な関係を築けなくなる。

友情に「親密フラグ」はいらない

男女の友情は、成立するのだろうか。私は「成立する」と断言したい。

そのためには、まず、本能的に「惹かれる」と言う感情を認めることだ。世に「親友」と呼ばれる人たちの間には、どのような形であれ「惹かれあう」感情が存在するだろう。男女であれば、惹かれあった末の「親密な関係」は性的関係を惹起する。これは動物として仕方のないことだ。

重要なことは、惹かれるのは本能だが、それを恋愛という文化に当てはめるかどうかは、自分で決められるということだ。
自分が性的関係を望まないのなら、毅然と「親密なスペース」を守ることだ。部屋に入れない。部屋に上がらない。触らない。深酒しても自分で帰る。

友情に「親密フラグ」はいらない。「親密フラグ」がなくたって、十分に友情を育むことはできる。人生を語り合って、楽しい思い出を共有して、つまづいた時には手を差し伸べあうことができる。

「親密フラグ」さえたてなければ、男女の友情は成立する。すなわち、1対1の人間関係において「親密フラグ」をコントロールできる人間にのみ、男女の友情は許されるのだ。

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