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はてなキーワード: トリアージとは

2008-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20080608021905

何が言いたいのかさっぱりわからん。

科学者になりたいなら、地方国立から東大に編入したらいいだろう。

東大は雲の上」「東大なんか行くな」だと思っていたらその発想自体が出てこない。それが「機会格差」の恐ろしさだ。現在でも、入学難易度と入学者中の女性の比率は負の相関関係にある。そのことがどういうことか少し考えてみるといい。

地方国立に行けるような恵まれた人間の話を、義務教育すら受けるのが難しい人間を引き合いに出して語るなよ。失礼だろうが。

機会格差とはどういうことかについて顕著な例を出して説明したまで。程度の差はあれ同質の差があるということを言っている。そしてそれがどう失礼なのかさっぱりわからん。経営学トリアージの例を持ち出すのは冒涜とか語るエセ人権派ですか?あの一件について阪神大震災での負傷者たる俺の目から見て言えることは、あのとき自衛隊を出さなかった暗愚の総理村山富市の肩を持つ馬鹿どもが現在でも余りにも多くいることに対する怒りだ。本気で「死ねばいいのに」という言葉を贈呈するよ。ああいう下らない建前論のせいで実際に犠牲者を出しておいてトリアージ批判などどこの口が言っているのか。ザオリクドラゴンボールで死者が生き返るとでも思ってるんじゃないのかというほど非現実的で綺麗事な屁理屈だよな、あれ。

そして君が言ってるのは結局凡人の底上げの話だと思うが。

あなたの「凡人」の定義は極端に広いのでしょうね。多分あなたの定義だとイチローも凡人ですよ。

2008-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20080531170746

誇大妄想が言説の前提としてあるんだから、だからトリアージからいきなりホロコーストに飛躍しても飛躍じゃないと信じることができる。権力の脅威だって言って。何でこれがわからんのかね。現実考えたら、天皇による国家幻想より(だいたいどの国も国家幻想を必要とするし、日本なんかはまだ穏やかなほうだ)、テレビみて納豆を買いあさる日本人の底の浅さのほうが、天皇よりもよほど危険なのに。

反日分子乙。メディアにあおられてホロコーストおきるのはナチスドイツルワンダやらでもあったこと。中国文化大革命最近アメリカイラク戦争だってメディアが加担してるだろ。にもかかわらず何で日本人の底の浅さの話になるんだよ。「外国はさぞかし底が深いんでしょうね」といやみ言いたくなるわ。

しかも納豆買いあさるという行動だって日本人の多くがやってたわけでもなく、マスコミが面白おかしく切り取って誇張してるだけ。それを真に受けて日本人論語っちゃう奴の底の深さは何ミクロン?とりーあー時からホロコーストまで飛躍する人と納豆貝アサリ報道から日本人危険性に飛躍するのにどの程度差異があるんかと。

さらに、誇大妄想を前提とした議論しかないから「左翼全体がトンデモ」認定されてしまうし、誇大妄想を共有する人間にしか通用しないことを言いあうしかないんだよ。右翼と同じようにね。

右翼左翼が自分たちの主張を誇大妄想と思ってないようにあなたも納豆貝アサリから飛躍するのはとんでも誇大妄想じゃないと思ってるだろうね。

右翼が異国・異分子に対しては過度の恐怖心・警戒心、左翼天皇権力に対する過度の恐怖心・警戒心、あなたは日本人に対して過度の恐怖心・警戒心ということですね。わかります

一刻も早く底の深い人々の住む外国に移住したほうがいいんじゃねーの?

極論すると、権力にずぶずぶでやくざみたいな右翼と、本当は体制とツーツーだった癖に反体制を気取って大衆を欺瞞し続けたエセ権力童貞左翼しかない日本って、どうにもつまらなすぎるでしょ。

民主主義下で権力とぶずぶずにならない政治勢力って極右極左のような過激派になるしかないだろうね。いやいや外国では右翼左翼権力とずぶずぶになることもなく、大衆を欺瞞することもない面白い政治をやってるんだよってことだろうけど。

与党が少数派にも配慮して野党もある程度主張をとおすため妥協するのは議会制ならあるべき姿。妥協したら「反体制の癖に体制側とずぶずぶだ、大衆を欺瞞した」とみなすって事なら野党与党は折り合わず与党が一方的に意見押し通すのが理想なのかも知れんけど。

http://anond.hatelabo.jp/20080528024845

左翼のもともとの心性が反天皇権力なんだから、何を扱っても必ずそこにつながってるってのが読めない人間がいるんだね。戦争の話も人権の話も国旗国歌の話も、全部そこにつながってるじゃないか。右翼国家権力に対する過度の信頼と誇りが心性だから、異国・異分子の脅威に対しては誇大妄想を根拠にわいわいやってるのと、ちょうど裏返しが日本左翼で、天皇権力に対する過度の恐怖心・警戒心とそれによる誇大妄想を根拠にして議論やってるから。誇大妄想が言説の前提としてあるんだから、だからトリアージからいきなりホロコーストに飛躍しても飛躍じゃないと信じることができる。権力の脅威だって言って。何でこれがわからんのかね。現実考えたら、天皇による国家幻想より(だいたいどの国も国家幻想を必要とするし、日本なんかはまだ穏やかなほうだ)、テレビみて納豆を買いあさる日本人の底の浅さのほうが、天皇よりもよほど危険なのに。

ようは彼らは人々のために人権を守ろうとしてるわけでなくて、単に権力に対する反発心だけで人権を旗印にしているだけで、それがまさに「ニセの正義」と書かれる理由でしょ。左翼にとって都合のいい人権しか云々されなくて、都合の悪い人間に対しては人権なんて話題にもならない。

さらに、誇大妄想を前提とした議論しかないから「左翼全体がトンデモ」認定されてしまうし、誇大妄想を共有する人間にしか通用しないことを言いあうしかないんだよ。右翼と同じようにね。

HALTAN氏はこの手の誇大妄想からさめた人だから、だからhokusyu氏・Apeman氏たちにはついていけないとはっきり言っているんだよ。逆に、誇大妄想についてこないからHALTAN氏をバカだという。

こういうことを書くのも、いい加減に左翼自体、この手の下らん誇大妄想からさめてもらいたいから、あるいはもうちょっと別の左が出てこないものかと期待しているから。極論すると、権力にずぶずぶでやくざみたいな右翼と、本当は体制とツーツーだった癖に反体制を気取って大衆を欺瞞し続けたエセ権力童貞左翼しかない日本って、どうにもつまらなすぎるでしょ。

2008-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20080526092950

元増田は女全員攻撃してないだろ。よっぽど曲解すればそう読めなくもないが、どう考えても揚げ足取りレベルだ。

トリアージの一件といい、ちょっとでも女攻撃に見えたら全力で叩くってどんな過剰反応なんだ?トリアージの一件でも、女性蔑視とか言われてるのは「お嬢様」とか「学級会で吊し上げる女子」とかそういう言葉だが、これは女全員攻撃ではないだろう。別に「お坊ちゃま」であっても「教師のゴマをする男のガキ」でも成り立つ文章だ。

男女逆でも、男にセクハラ受けた女が男全員攻撃しだしたら普通に叩かれるだろ。

男は全員レイプ予備軍扱いしてた人なんて居なかったが。

いーや、以前増田で「痴漢をする男と痴漢をしない男はどちらが多いんだ?」「男は全員痴漢したいに決まっている、それを押さえきれるだけの理性を持っているのはどれだけいるのだ?」とかそういう侮辱的極まりない文章を見たことあるぞ。本人は痴漢被害に遭いやすいとのことだったが、被害者であっても言ってよいことと悪いことがあるというのはまさにこのことじゃないのか。しかし実際はその文章は全く叩かれなかったし、叩いたらそれこそ「ミソジニー」「セカンドレイプ」と言われかねない雰囲気だった。

http://anond.hatelabo.jp/20080526194757

あまり〇〇学的に考えると、ということに慣れていないのだろう。

トリアージ現実的な記述としては正しそうなことを書いている人もいたけど、

だからといって、それが経済学的な評価を左右するものではない。

また、実際にトリアージを行なった医者からも、そんな甘いもんじゃないぜ、

という突っ込みがあったが、それもまた貴重な体験だし、今後に活かされるべきだろう。

だけど、経済学的な切り口で見ると切り落とされてしまうところではある。

特定の側面に光を当てるのが学問なんだから、影が出来て当然。

だからといって影に価値がないわけでもなんでもない。でないと議論にならないだろう。

fuku33さん関連エントリについて

d:id:fuku33さんは、ただ端に「経済的思考を行うべき場所に感情的な話を導入したら、経済学的な思考を学ぶことが出来ないだろ」というような愚痴を述べたまでであって、感情を否定したわけでもなければ経済的な思考が感情よりも優れていると言ったわけでもないと思うのだけれど、どうでしょう。

この問題を言及したエントリ(例えば、d:id:sjs7氏やd:id:toled氏のエントリなど)にはしばしば「トリアージを是認するな」的言説が登場していますが、元エントリトリアージを是認したわけではなく、あくまでも「経済学的思考」の一例として出したにすぎず、愚痴の根幹は「だからここは経済学経営学)を勉強する場所だろ」にあると思います。d:id:fuku33氏は「かわいそう」という感情を否定したわけではなく、ただ端に「それは経営学の場で持ち出すべき話題ではない」と言っているだけです。本の内容を議論しているのに、「この本の表紙は可愛い」と行っている人間に対し愚痴をこぼすのと同じ構図です。

問題なのは医療の場におけるトリアージという考え方と経済学におけるトレードオフの考え方を、「根幹にある論理は同じである」としてひとつの例証上に引き出すことであって、トリアージの正当性でも、感情の排他性でもないと思います。

ケーキを巡る議論

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127から始まる一連の。

各人各様な意見が出るんだなあとおもた。入れ食いですね。

記事内容否定派

 -学生馬鹿にするばかりで説得力がないよ派

 -別にお前の言ってることは絶対の正義じゃないよ派

   -感情を否定するのはおかしいよ派

   -トリアージ(笑)派

   -敗者切り捨てすワロタ

 -もっとまともな講義をしろよ派

   -学生がそう「思った」事実重要なのに派

   -不思議論法を押し付けすぎだろ派

   -競争トリアージを同列に論じるのはおかしいよ派

 -良く分かんないところがあるよ派

   -ナイーブってどういう使い方をしているの派

   -記事タイトルイミフ

   -文章下手だな派

態度否定派

 -己の立場を考えろ派

   -客商売であることを意識しろ派

   -大学先生ってえらいんですね派

 -お前ちょっとdisりすぎだよ派

   -女性

   -上流階級(?)のお嬢様

   -知識レベルの低い学生

   -大学自体のレベル

   -福祉業界(に携わる人たち)

   -人道主義

   -記事に(主にネガ)コメをした人

 -注釈なく記事改変したことに切れた派

   -ネットリテラシーに反してるよ派

   -これじゃ平等な議論にならないよ派(議論したいよ派)

○記事賞賛派

 -俺も同じことを考えてるよ派

 -学生頭悪すぎだよ派

   -学生知識なさすぎワロタ

   -少なくとも講義感想としてそれはおかしいだろ派

   -論理的思考能力が欠落しているよ派

 -そんな学生が多いのが問題だよ派

   -経営学はもっと学ばせるべきだよ派

   -資源配分問題はもっと学ばせるべきだよ派

   -メディア煽り方が悪いんだよ派

賞賛でも否定でもないけれど派

 -ジレンマって面白っ!派

 -思考停止って難しいよね派

 -あたまをつかうことって、だいじ!派

別に記事に意見はないよ派

 -祭り祭りだ派

 -ブコメ意見があるよ派

   -みんな周りを非難するばかりでどーすんのよ派

   -特定のブコメ意見がある派(→分派)

   -お前ら議論好きだな派

   -はてな村の現状を憂う派

http://anond.hatelabo.jp/20080526064037

そういう結論だってありなんじゃないの。俺もだいたい、そう思うもの。

震災。「ご家族はもうダメです。」といわれて、ああトリアージか仕方ないなと一瞬思っても、

俺はたぶん、子供は何とか助けてくれ、って救急隊員の裾にとりすがって離さないんじゃないか。

「みんな勝手に、好きなことをやっている」

議論はこれで決着ついたから、こうせざるを得ない、なんて、割り切れるものだろうか。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080524/p1

トリアージとかトレードオフとかいつまでやってんだお前らw各々が各々の意志と信条で経営人助けもやればいいじゃないか。

「各々の意志と心情」の問題で無くなるという危機感があるからこそここまで盛り上がった(?)んだと思うが。その程度のこともわからないのか。

2008-05-25

[]

トリアージって緊急時の医療対処マニュアルなのに、なんでそれをイデオロギー的なものの議論のために拡大解釈しようとするの><

http://anond.hatelabo.jp/20080525060138

民主主義の根幹にあるのは、「少数意見も尊重した上」で「議論を尽くし」、それでも決まらない場合「多数決」を尊重する、ということだ。

死刑を決定するに至るまでは、殺される側の主張も徹底的に吟味される。そして一審、二審と時間をかけ、議論を尽くす。その果てに結論が導き出される。最終的な結論が多数の意見に沿う場合もあれば、少数者の意見になる場合もある。結果として多数の意見が通った「死刑」事例を取り上げてみれば、あたかも「多数者のエゴで少数者を犠牲にした」ようにしか見えないかもしれないが、途中の過程を考慮するかあるいは死刑が回避された事例を見れば、決して「多数者利益が常に優先」ではないことは分かる。

一方「トリアージ」は、緊急の現場で「命の価値」をむしろ最小化するために「自動的に多数者を優先するシステム」。そこには少数者の意見とか議論は欠片もない。仮に死刑をつかって喩えるなら「Aの生きているコストが多数の社会に与えるメリットを下回った人間自動的に即死刑」にするようなもの。それが、日常の状態で社会を維持するためのシステムではあり得ないことはすぐ分かる。両者は全く別のことだ。

ちなみに言っておくと、私は死刑廃止論者です。

世界トリアージ事情

ある地域で大地震が発生しました。

救援部隊の本部は救援者たちに、一人でも多くの被災者を救うために助かる見込みの低い被災者に黒タグをつけて見捨てる様に命令しました。

イギリス人には「紳士はこういうケースは見捨てるものです」

ドイツ人には「規則では黒タグをつけることになっています」

イタリア人には「あなたの前に美女が黒タグをつけましたよ」

アメリカ人には「黒タグをつけたらヒーローになれますよ」

ロシア人には「黒タグをつけるとウオッカが配給されるようです」

フランス人には「被災者を見捨てないでください」

日本人には「みんなもう黒タグをつけましたよ」

中国人には「助かる人間を優先すれば謝礼が貰えますよ」

http://anond.hatelabo.jp/20080524233435

http://anond.hatelabo.jp/20080525062118

うーん、そうかなあ。似ているようで違うと思うが、難しい。

ちなみに自分はトリアージ死刑廃止も賛成派です。

http://anond.hatelabo.jp/20080525060138

別々の事象を混同して考えていないだろうか。

「積極的に殺すこと」と「救わないこと(又は救える望みのある者を優先すること)」は全く違うと思うけど。

ってーかホントみんなトリアージトリアージ言いたいだけだな。

自分も言いたい。トリアージ

http://anond.hatelabo.jp/20080524013925

その質問に答えられないような重症・重病の人がトリアージの対象になるんじゃないの?

俺が脳死に陥っていたのであれば、Q1はイエスだよ。

脳死臓器移植トリアージの一種なのかもな

生きている人間の命を奪って、その臓器を提供している訳だし

脳死臓器移植が、脳死を人の死としているのと同様

トリアージも、黒タグを付けた人間=死亡としているだけじゃないのかな

トリアージに反対するのなら

死刑廃止に賛成しなければならないんじゃない?

死刑制度というのも、犯罪を犯した人の命を奪うことによって、全体を幸福にさせる制度だからねえ

トリアージと本質的には変わらない

2008-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20080524091619

アンタのトリアージ論にはさほど反対する事はないのだが、

戦争云々を取り上げて比較しているのはズレまくっているように思う。

「忍足ミキ」を思い出した。

トリアージ」について調べていてふと。(「め組の大吾」ってマンガキャラね)

ネタバレになるからあまり詳しく書けないけど五味さんに対して

勉強することで感情が変わるってあるのかー」

とかそういうの。

http://anond.hatelabo.jp/20080524091619

なんか、ここら辺の議論を見ていて思ったのは...

fuku33さんが批判されているのは、トリアージすることに対する屈託の無さらしいのだけど

どんな状況にせよ、トリアージすることはする当人にプレッシャーがかかるのは当たり前なので

震災消防医療関係者PTSDが頻発したのは有名な話ですが)

トリアージをする際に、どう機械的に、する当人のプレッシャーを最低限にして、最適化を図る

といった視点が皆から抜けているのはなぜだ!と思うのですが....OTZ

「かわいそう」が通用したほうがかわいそうだ

この人バカなんだろうか。

「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か - 過ぎ去ろうとしない過去

そのとき、いちばん後ろで拍手が起こります。そうです、あれは我らが経営学者様です。「すばらしい!参謀本部飼育員もトリアージを理解している!かわいそうと言うだけでは何も解決しない!」

筆者がトリアージを理解してないせいで文中の人トリアージを理解できてない。その誤った認識を前提にしているので結論も誤っているのは然りだが、その過程においても誤っている。

戦争がお好きなようなのでそのたとえでいえば、負けが確定しているにも関わらず、負けたら天皇が(あるいは国民、あるいは戦死者が)かわいそうだからという理由でだらだらと戦争を続けるようなものです。負けが決まった段階で降伏していれば戦死者はそこでゼロになりますし、手持ちの資源復興や福祉にまわせたのに、なんとかしようと悪あがきした結果が神風特攻隊です。

快復の見込みがまったくない(例えば両手足が損壊し腹部を柱が貫通し出血を止めようがない、といったような)患者に投薬を続け医師をアサインしたところで、得られるものはその患者の満足だけですが、失うものは救える可能性があった患者の命です。

平時の大病院であれば見捨てるなど言語道断だとする意見にも一理ありますが、大災害時に平時の大病院と同等の対応をするべきだと主張するのは、気合を用いて竹槍でB29を落とせという指示と大差ありません。

では大災害時などの非常時にどうすればいいか、という考えのうちのひとつがトリアージです。全員を救うのは無理だ、なら可能な限り多くの人を救えるように手配すべきだ、という考えです。そのトリアージを「かわいそうだから」という理由で無責任に批判するのは、戦争に協力的でない人を「非国民」と罵るのとどう違いますかね。

あるいは、トリアージダメなら他にどうすべきですかね。「かわいそう」と言って足を引っ張るだけならどんなバカにでもできます。

このトリアージという概念戦争における技術的価値観から生じたものであり、トリアージはけしてその矛盾から逃れることは出来ないということは忘れてはなりません。

たとえば暗号学も戦争の必要によって爆発的に発展しましたが、今ではインターネットの基盤技術になっています。Amazonで買い物するたびにエニグマやそれ以前にまで思いを馳せるのは個人の自由ですが、現実にそんなことをするのは軍事オタク暗号オタク趣味的にやるくらいでしょう。

それを全体主義的に要請されても困ります。大多数のテクノロジー再帰的にルーツをたどれますから、目覚まし時計で起こされたら、蛇口をひねって水を出したら、靴を履いたら、ドアを開けそれが自動的に閉まったら、施錠したら、その都度原始時代まで意識を飛ばすことになります。朝っぱらからウホウホするのはモンハンの中だけにしてください。

そういえばインターネット自体が軍事研究成果物ですが、そんな血塗られた技術を使って四方山話をする気分はどうですか?

「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立てに他なりません。

単なる感傷に過ぎません。また、感情で動く人や集団とは話はできません。

「かわいそうだ」「じゃあどうすればいいんだ」「助けろ」「だから助けるのが無理だっつってんだろ」「でも助けろ」「……それによって救える患者が救えなくなるがいいのか」「ダメだ」「じゃあどうすればいいんだ」「助けろ」

時間無駄ですね。

一点だけ、「助けるのが無理」という判断が間違っているかもしれないというリスクについて触れておきますと、何せ非常時ですから大地震が起きた現場CTを撮るなどの悠長な検査はしていられません。必然的に誤診の確率は平時よりも高くなります。それによって、助かる可能性のある人が、助かる見込みがないと判断されて治療が受けられないことも起こり得ます。

かしこの問題も戦略的にしか判断できません。八方丸く収めるのは無理です。(近視的に見て)より人道的な考えは、誤診の確率を減らすことです。すなわち、検診により時間を掛けることです。それによって、検診待ちのあいだに間に合わなくなる人が出てくるので助かる人数は減りますが、「かわいそう」といちゃもんつけられるリスクも低減します。これを押し進めて、トリアージをやめて全員に平等に治療を施せば、助かる人数は1桁2桁下がりますが、「かわいそう」と言われるリスクも最低にできます。

視点を変えて、大地震現場に居ると仮定してみましょう。

周りを見ると、どう見ても軽症の人は包帯だけ手渡されて、自分で頭に巻いています。どう見ても助からなさそうな人の周りで知人とおぼしき人が泣いていますが、そこに医師の姿は見当たりません。医師はいかにも仮設といった手術室で、両足を複雑骨折した人の執刀にあたっています。他の医師注射器を渡して使用法を説明していましたが、それが終わると駆け足で他の負傷者のところへ行ってしまいました。

さて、この見捨てられた人が自分の友人や配偶者であった場合、誰でも抗議するかと思います。いかにトリアージを支持し、その効果を認めていたとしてもです。自分が医師であったなら、仕事をほっぽり出して友人なり配偶者なりの治療にあたるかもしれません。あるいは自分が重傷者なら、せめてちゃんと診断してくれ、痛み止めをくれ、などと思うかもしれません(意識があれば)。

これらはすべて、限られた薬、限られた医師を自分によこせという感情的な主張です。これがまかり通るような医療現場は果たしてあるべき姿、正しい姿でしょうか。いかに訴えられても、それによって助かる人が助からなくなるのであれば、現場指揮者担当者は訴えを退けるしかありません。実際の被害者が言うならまだしも、門外漢が「かわいそうだ」と現場人間を責めるのは、いったいどういう了見なのか、ぜひとも聞かせていただきたいものです。

http://anond.hatelabo.jp/20080524013925

トリアージはてなで話題って初めて知ったけど、

エゴイズムそのものじゃないですか???

これがYesなんじゃない?

なるべくたくさんの人を救いたいというエゴ

生命が比較不能であることの簡潔な証明

資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップ組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって、四川震災ニュースを挙げてトリアージ概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明したら、やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。

はてなで話題のコレ↑に関連して…

Q1:「あなた1人の臓器を活用すれば、2人以上の人間が助かるとします。この場合、貴方は喜んで死にますか?」

Q2:(Q1への答えが「No」であると想定して)「そうですか。それじゃあ貴方は自分が受容できない規範を他人に受容しろと言っている訳ですね。でもそれってエゴイズムそのものじゃないですか???」

※上記議論が完全無欠だと言っている訳ではないですよ。

ただ、有史以来の規範学の伝統に照らせば、上記のような論証は当然に念頭に置かれてしかるべきだと思うのです。

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