民主主義の根幹にあるのは、「少数意見も尊重した上」で「議論を尽くし」、それでも決まらない場合「多数決」を尊重する、ということだ。
死刑を決定するに至るまでは、殺される側の主張も徹底的に吟味される。そして一審、二審と時間をかけ、議論を尽くす。その果てに結論が導き出される。最終的な結論が多数の意見に沿う場合もあれば、少数者の意見になる場合もある。結果として多数の意見が通った「死刑」事例を取り上げてみれば、あたかも「多数者のエゴで少数者を犠牲にした」ようにしか見えないかもしれないが、途中の過程を考慮するかあるいは死刑が回避された事例を見れば、決して「多数者利益が常に優先」ではないことは分かる。
一方「トリアージ」は、緊急の現場で「命の価値」をむしろ最小化するために「自動的に多数者を優先するシステム」。そこには少数者の意見とか議論は欠片もない。仮に死刑をつかって喩えるなら「Aの生きているコストが多数の社会に与えるメリットを下回った人間は自動的に即死刑」にするようなもの。それが、日常の状態で社会を維持するためのシステムではあり得ないことはすぐ分かる。両者は全く別のことだ。
ちなみに言っておくと、私は死刑廃止論者です。
死刑廃止に賛成しなければならないんじゃない? 死刑制度というのも、犯罪を犯した人の命を奪うことによって、全体を幸福にさせる制度だからねえ トリアージと本質的には変わらない
民主主義の根幹にあるのは、「少数意見も尊重した上」で「議論を尽くし」、それでも決まらない場合「多数決」を尊重する、ということだ。 死刑を決定するに至るまでは、殺される側...
多数を優先するとは限らないのは民主主義だからというより憲法によるものでは? 憲法は政府を制約するものだから、民主主義下では多数派を制約するためのものになる。
別々の事象を混同して考えていないだろうか。 「積極的に殺すこと」と「救わないこと(又は救える望みのある者を優先すること)」は全く違うと思うけど。 ってーかホントみんなト...
「積極的に殺すこと」と「救わないこと」の間には違いはないだろ 「救わない」と「救えない」とは別の事象なのじゃないかなあ
うーん、そうかなあ。似ているようで違うと思うが、難しい。 ちなみに自分はトリアージも死刑廃止も賛成派です。
多数派のために少数派を犠牲という意味でとりあーじに反対するなら死刑も反対ってことになるはずでは? もっといえば民主主義にも反対とみなすほうがいいよね。