はてなキーワード: トリアージとは
アホか。つか、全く読んでないんだなお前。
「かわいそう」だから、なんとか売れない百貨店をつぶさないで済む方法を考えましょう、利益の最大化という観点からすれば合理的には今つぶすのが最適なんだけど、なんとか他の部署で赤字を吸収しつつ改善を試みて行きましょう、というような話の展開だってありうるわけだし、そういうことを考えるのにも経営学は使えるわけだろうが。
トリアージってのはギリギリの切捨ての論理なんだよ。いきなり飛びついてどうする。
トリアージの喩え話でその辺のありうる展開全部切り捨てて話を単純化したら、そりゃ非難されるわ。それはトリアージ概念の否定でも経営学概念の否定でもないぞ。
横入りするが、hokusyuがおかしいのはそこで、
さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。
とかいって、
経営学者様はこれが肝心だといいます。例として彼は四川大地震をあげました。ぼくもひとつ適切な例を知っています。ホロコーストです。
資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まる
これこそ経営学的には素晴らしい組織です。ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。
勝手にここまで捻じ曲げて、
我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき、上のような全体主義思想が復活するのです。
とか吹いていたわけで。
一番最初のfuku33のエントリーでは、「百貨店が競争に負けてかわいそう」とかいう学生のていたらくをぼやいていたわけで、まさにその「当たり前」の話から説明しなければならないから躍起になってトリアージのような穏当でないモデルまで使ったのが軽率なんだろう。だからといって、上の引用のようにいちいち「組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)」みたいにカッコ内を悪意で埋めて「全体主義理論じゃん!」とまで罵ったhokusyuが、「経営学もトリアージも否定してない」というのなら、否定はしていなくても十分もとの意図を理解したうえでわざと自覚的に悪意で貶めているんだよ。「「適切な配分」とはユダヤ人問題の最終的解決だ」というのを強弁と呼ばなければ何が強弁なのかわからなくなるくらいのものだ。
それでこういうことを書いたら自分もHALTAN認定されるのかな?
うんうん、そういう難癖はいくらでも付けられるんだけど、重要なのは資源の最適配分を
語る際に「かわいそう」という感傷を真っ向から粉砕するのに適切な例という事だよね。
じゃあどういう次元の話? 具体的に。
トリアージって、災害対策や救急リソースの整備など、犠牲者を出さずに済む/命を選別せずにすむあらゆるより優れた対策が及ばなかったとき、現場でギリギリに選択される、最悪だがそれを選ぶしかないという苦渋の選択肢だぞ。現場で仕方なくそういう判断が行われることを否定することが出来るわけないが、そういう判断を肯定できるはずも無いんだ。
まして経営判断みたいに常態化して考えていいようなものだとは到底思えないが。
http://anond.hatelabo.jp/20080809225119
経営学の先生がお医者さんに謝ってたのは全然別な次元の話でしょ、たしか。
さっきも書いたように、トリアージ自体は経営学的発想の例示として妥当だと思うね。
それに対して現代人はナチスのような連中とは前提を共有していないから、
恐らく経営学の授業の例となるかどうかは疑わしいと思うね。
http://anond.hatelabo.jp/20080809225820
言ってる事がわかんないかなあ。
hokusyuさんは衒学的虚栄の発露をしたいが為に、いい加減な文章こしらえたって話。
経営学は否定しきれないと書いてるじゃない。それでも否定したかったわけ。
だから、ちゃんと原文読んで反論しろっての。2ちゃんねらー並だな。
否定できないじゃなく、「肯定してる」の。だって「当たり前」って書いてんだぞ。
さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。
それが経営学で、その意味でトリアージに通じていると君は主張してるんだと思うが、その意味でならhokusyu氏は経営学もトリアージも否定してないよ。
歴史的な穢れがあるからということで現場のトリアージな判断そのものを否定しているわけでもない。
この点で今現在、四川省で、あるいはかつて福知山線の事故で救急救命にあたった医療関係者にたいしては、当然敬意が払われるべきです。
いや、そういうまとめ方はどうかなあ。
hokusyuさんはリソースの最適配分自体は否定してないし、トリアージに当たった医師たちには敬意を払うべきって書いてあるっしょ。
なんで書いてあることを書いてあるとおりに読まないの? そう読んだら食い下がれないから?
あなたはトリアージを「とりあーじ」と変換せずに平仮名で書いているが、
この行為の意図はいったい何であるのか。
俺の発言を茶化す意味があるように思えるが、そんな態度は失礼というものだ。
……みたいな話を俺がしだしたら、あなたはそれを話の流れに沿ったことだと思うだろうか。
そんなことは話の本筋とは関係ない、話を逸らすなと思うんじゃないか?
fuku33氏は経営学について話しているのであって、トリアージについて話してるわけじゃない。
トリアージ批判は、少なくともfuku33氏の話の流れに沿ってはいない。
「ナチス呼ばわりは軽率」というのはApeman氏の質問に答えたのであって、
自分から言い出したことじゃなかったはず。
軽率だと思いはしても、話の趣旨と関わりない部分を自ら批判したわけではないので
自分(haltan)ではしておきながら、ほくしゅがすると批判しちゃう
というのは誤解だろう。
念のために言っとくが、HALTAN氏が偏向しているかどうかという話はしてないよ。
彼が気にくわないのは話の趣旨と直接関わりない例え話をクローズアップして批判することであって、
ホロコーストにこだわりがあるわけではない、と(俺は思ってる)いう話をしてる。
違うだろwwお前人のツッコミまったく読んでないな。
トリアージの論理を不用意に経営的判断にまで一般化すること、だよ。その考え方がナチスドイツの思想展開と共通している、ってのを具体的に例示してるわけじゃん、彼らは。
だいたい、トリアージはそもそも経営学の用語でもなんでもないぞ。あの先生が思いつきで出しただけ。経営学を盾にとって戦ってる気になるんじゃねーよ。もちろんトリアージ概念を盾にとって戦ってるわけでもない。
だから現場の医者の先生に怒られたらあっさり謝っちゃったじゃんか、先生。
ある意味あそこで話終わってんだがなあ。言った本人が不適切だったの認めてんだから。
尾鰭に気を取られて全否定する奴は、バカでないとしても著しく精神のバランスを欠いている。
そういう部分が晒し物になっているんだけどね。
まあ、自分も本気でApemanがファシストだなんて思っているわけではないし、自分自身累進課税の引き上げも悪影響を及ぼさない範囲でなら賛成だ。
あれは、Apemanが良くやるごまかしを彼自身に適応してみただけ。
ナチスドイツはいろいろなことをやったのだから、自分の気に入らないこととナチスがやったことを結び付けようとすればほとんどの場合できてしまう。
それを利用して相手をファシスト呼ばわりするのがApemanの手法なわけだ。(養老孟司が禁煙運動はナチだといっているのを思い出せばわかりやすいだろう)
ただし「金持ちからふんだくる」という発言がそれほど害のないものだとは思えない。
こういった社会の特定の階層に対して敵対心をあおる発言をする人は信用できない。
「災害発生時にトリアージをする」のと「金持ちからふんだくる」のではどちらがよりナチに近いだろうか?
自分はどう考えても「金持ちからふんだくる」方にしか思えないのだが
引用箇所と難癖付けた改変部分を見る限り、経営学的発想一般を批判しているようにしか見えないなあ。
飛躍が有りすぎて何が不適切なのか論証できた形跡が見当たらない。第一、女子学生が「かわいそう」と言ったのは
トリアージじゃなく企業間の競争で、それを「全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立て」なんて
持ち上げるんなら、全体主義批判は経営学的発想一般への批判たらざるを得ないでしょ?
どちらかというとクメール・ルージュなんて、まさに「かわいそう」の延長上にある理想社会だと思うけどね。
あと白でも黒でも生存率の高い人を最大限救うというトリアージは、アウシュビッツとは程遠いと思うし。
ナチスだ全体主義的だなんて難癖は、軽率であると同時に「何も言っていないのと同じ」。衒学的虚栄、イジメの口実。
違うと言うんなら、トリアージの普及や実践をされている人達に「君たちはナチスの眷属だ」と触れ回る事だよ。
まともな論証があるんならみんな納得するでしょ。
何という言葉を使ったかじゃなくて、何の話をしてるのかが違うんだってば。
麻生氏がただ単に「民主党には政権を任せられない」と言ったとしても趣旨は同じだけど、
「大きな話(HALTAN氏は人類の負の歴史とか、そんな感じで使っていると思う。ナチス、トリアージ、ホロコーストなど)」
とは関わりなくなる。
でもhokusyu氏は、他の増田の言葉を借りれば「トリアージ概念の不用意な援用」を批判している。
トリアージ自体が「大きな話」の一部なんだから、ホロコーストをどんな例えに変えたところで
「大きな話」との関わりをなくすことができない。
もしホロコーストがでてこなかったとしても「大きな話」であることに変わりはないので、
やっぱりHALTAN氏はお気に召さなかっただろう(なので彼はホロコーストにこだわってるわけじゃない)。
Apeman氏も指摘してたけど、例えばhokusyu氏についていえば、彼はあくまで、そのようなトリアージ概念の不用意な援用が、「実際に」ナチスドイツの思想と近い論理構成をとっていることを、その論理自体を示して指摘しているのであって、あんまり考えずにとりあえずヒトラー呼ばわりしてみた、というのとは違うと思うんだが。
君たちがそう解釈したがっているのは分かるが、ぜんぜんちがうんじゃね?
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1
ここから引用してみよう。
彼は、
さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。
と書いてるんだから、一般論としてのリソースの適切分配に噛み付いているわけでは無いようだが。
この点で今現在、四川省で、あるいはかつて福知山線の事故で救急救命にあたった医療関係者にたいしては、当然敬意が払われるべきです。しかし、われわれは同時に、このトリアージという概念が戦争における技術的価値観から生じたものであり、トリアージはけしてその矛盾から逃れることは出来ないということは忘れてはなりません。なぜならば、トリアージがいったん、たとえば我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき、上のような全体主義思想が復活するのです。
素早い反応ご苦労様。耳に痛い批判にピリピリされているここ数日のご様子、お察しします。頻繁に増田もチェックしているのですね。
自分に文句をつけるとしたらそれはHALTANのような少数派に違いないと思いたいんですね、わかります。
あなたの頭の中では「トリアージを喩え話に使った」ということが「理想とする組織がナチと通底する」ことと同義なんですか?日本語わかりますか?
都合悪い突っ込みをスルーするなよwHALTANじゃあるまいし。
昨日突っ込んだんだけど、hokusyu氏の批判する「経営学者様」ってのは文脈上あきらかに例のセンセーのことだし、センセーがこだわりhokusyu氏がかみついてナチス的だと言っているのは、経営学概念でもなんでもない「トリアージ」を援用した喩え話だろ?
http://anond.hatelabo.jp/20080809155536
横槍だが。hokusyu氏やApeman氏の考えとは違うかもしれないが、俺の考え。
「トリアージ概念の不用意な援用」を「ホロコースト」に喩える のと、「売れない百貨店の切捨て」を「トリアージ」で喩えることの違いの話だな。
これは、命の選別を命の選別で喩えるのと、命の選別を経営上のリストラ正当化で喩えることの違いじゃねえ? あまりに軽いもので喩えてしまったんだよ。お嬢さん相手のカルチャースクールで飛ばしたヨタだっけ?
とある本にあった例なんだけどな。
テトリスと同じルールで、人間を効率よくガス室にぎゅうぎゅうづめにしていくゲームを作って売ったら、そりゃ絶対批判を浴びるよな? そこに、ルールは同じじゃないか、ゲームなんて喩え話なんだから怒るなよ、というのは無理筋じゃないかなあ。
「仮に」アナロジーとして論理的に正当な部分があったとしても、喩えの倫理性ってのは問われうるし、不謹慎ってのはあるわけで。表現の自由に関する議論は当然可能だろうが、そういう倫理的な理解のその上でなお主張されるものとしてあるべきだ。
論争全部を追ってるわけでもなく斬新な意見ってわけでもないから、すでにどっかで語られてたり論破されてるかもしれないけど
Apeman vs HALTANのケンカについて、ちょっと思ったことを書く。
Apeman氏はHALTAN氏に「ホロコーストにこだわってるのはお前だろ!」とおっしゃってますが、それはたぶん違う。
この争いの元になったfuku33氏のエントリーだけど、トリアージという概念を持ち出さなくても
「カワイソウは経営学とは別の問題」ということを説明することもできたはず。
それなのにわざわざトリアージを持ち出したのは何故かを考えてみたが、
俺にはfuku33氏がそんなことをしなければいけない理由を読み取ることはできなかった。
麻生氏の「ナチス発言」も、趣旨は「民主党には政権を任せられない」というだけで、
わかりやすくてインパクトのある例としてナチスを選んだだけではないだろうか。
民主党に悪いイメージをつける意図はあったのかもしれないが、少なくともナチスについて
語りたかったわけではないだろう。
fuku33氏にせよ麻生氏にせよトリアージやナチスという言葉を使ってはいるけれど、
HALTAN氏が彼らを「軽率」とは思っても「大きな話」とは思わない理由は、おそらくそこにある。
一方、Apeman氏やhokusyu氏は「大きな話」が直接に発言の趣旨となっている。
トリアージやナチスについて批判しているわけだからそれはごく当然の話だが、
HALTAN氏はそれを「大きな話」を殊更持ち出してきていると感じているのではないだろうか。
HALTAN氏は、発言の枝葉の部分で使った言葉に過剰反応して「大きな話」を始めるサヨクが気にくわないだけで、
「トリアージ」や「ナチス」は良くて「ホロコースト」はダメなど、個別に考えてなどいない。
Apeman氏はそれらを別々に考えているから、HALTAN氏がホロコーストだけに文句を言ってるようにみえる。
結局、話が噛み合っていないってだけで、どっちかがホロコーストにこだわってるとかいう話ではないのだ。
ん、HALTANだと思ってた。文脈を無視して一行だけ抜き出すのはフェアじゃないなあ。
その「経営学者様」ってのは文脈上あきらかに例の先生のことだし、彼が肝心だと言っているのは、経営学概念でもなんでもない「トリアージ」を援用した喩え話だろ?
ここでわざわざ「経営学者」って言葉を使う必要ないよね?こういうところから「経営学に対する悪意」みたいなもんが見え隠れするんだけど。
本人ってどっち?id:fuku33の方?それともid:HALTANの方?
それはそれとして
経営学者様はこれが肝心だといいます。例として彼は四川大地震をあげました。ぼくもひとつ適切な例を知っています。ホロコーストです。
とか言うならば、「経営学=ナチス」呼ばわりをしているととられても仕方がないと思うよ。
少なくとも、最終的にファシズム運動に加担したイタリア未来派がファシスト呼ばわりされる程度には。
>「トリアージ」概念の不当な援用がナチスっぽいって言ってるんでは?
それだけならば
なぜならば、トリアージがいったん、たとえば我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき、上のような全体主義思想が復活するのです。
ここでわざわざ「経営学者」って言葉を使う必要ないよね?こういうところから「経営学に対する悪意」みたいなもんが見え隠れするんだけど。
はてなってのはこれだから困るんですよね。冷静に読まれていたものが、ある段階から斜めからしか読まれなくなって、何を書いても悪いようにしか取ってもらえなくなる。
で、これもそのたぐいだと思うからいちいち反論したくないんですがね。いい加減に腹に据えかねてきたから言わせていただきましょう。
どこでもいいのなら、埼玉が選ばれたっていいでしょう。人の言動に悪い意図があると決めつけられるのは失礼極まる下司の勘繰りです。
当事者でないあなたに「東京人が埼玉県民をダサイタマと馬鹿にしている」というステレオタイプをあたかもそれが事実であるかのごとく記述されると、二重に馬鹿にされた気分になります。
あなたが東京人ならともかく、埼玉人であるなら馬鹿にされたと感じる理由がわかりません。
「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」ではなく「俺は百円ショップでまで値切るがめつい関西人ではない」だったと仮定すれば、受け取られるニュアンスの違いが分かっていただけるでしょうか。
ニュアンスは何も変わらないと思いますが。
いずれにしても、「誤解の余地を与える書き方ではあった」ことは認めるけれど、悪いようにも解釈できるからといって悪い意図で言ったと決めつけられるのは心外です。まともな解釈が可能ならまともに解釈していただきたい。
これははっきりと言いがかりとしか言いようがありませんね。これは都道府県名ではなく都市名です。さいたま市を「埼玉」とうっかり変換してしまったのは誤解のもとだったかもしれないけど、私は「京都・大阪・神戸・奈良」とも書いている。あなたはまさか、私が兵庫県を馬鹿にしているとでもおっしゃりたいのですか。私が兵庫県人なんですけどね。そして神戸市民でもない。
穿った見方です。文化圏としての「規模」が大きいものを順に挙げただけ。「十大ニュース」というものを挙げた場合、ニュースは10個しかなかったとでも?
あなたが最初から揚げ足をとりにかかってるからです。どんな文章でも曲解は可能であって、あなた方は「こいつは傲慢な関西人だ」と決めてかかっているからそういう細かい表現にまでいちゃもんを付けるのです。だいたい、私はあの記事をホットエントリ入りを狙って推敲を重ねて書いたわけでもなく、その場の勢いで酒飲みながら書き流してアップロードして読み返しもせずだったのだから、細部まで意が尽くされていないのは私も実感しているとおりで、だからこそ補足記事を書いたのに、あなたみたいに私を意地でも避難したい方々は補足記事の方ではなく最初の記事にばかり文句を付けるのは本当に勘弁していただきたいです。本来の意図は補足記事を読め、って何度書かすんですか。
あと、こちらの方に。
http://anond.hatelabo.jp/20080703085749
まず、挙げてくださった記事を見ましたが、私はその立場に同意しません。「産む機械」の例でもわかるように、邪推というのはいくらでも可能なのであって、「誤解されるのは書き手が悪い」というのは読み手の側の責任放棄だと思ってます。ましてや私は補足まで書いたのだから、責任は十分に果たしていると思う。
たぶん増田が空気読み違えたんだよ。だったら素直に認めたら?関東圏のことをよく知らないのに軽率でした、って。イメージトークしてました、って。
関東の中の細かい地域性についてほとんど触れていないのに軽率も何もあったもんじゃないでしょう。自分が「東京出身です」という埼玉人は少数ながらいますよ。少なくとも大阪人のうちのヤクザの比率ぐらいはいるんじゃないですかね。どっちにしても、ブックマークとかで見てる限り当初の反応は好意的なものが多かったわけだし、最後のほう批判的な論調が増えたのは「こいつは馬鹿なことを言っているに決まっている」とか「ホットエントリだから周到に推敲されたもののはずだ」という誤解の産物の集積物だと思ってます。というか、書いた記事がホットエントリになってしまうときってだいたいそういうことになるし、他の人の記事を見ててもだいたいそうなるから(トリアージ騒動とかその典型でしょ)、これはそういうもんだと思ってますが。
その点で「空気読み間違えた」とは思ってない。空気の側が変わっただけです。だいたい、私は「空気」に文句付けようと思って書いてるんだから。
そりゃまあ、元記事を「典型的な傲慢な関西人がクダ巻いてる」と思って読めば、突っ込みどころはいくらでもあるでしょうよ。正直、そんなことまで責任は持てません。法律家が仕事で書いてるんじゃないんだから、色眼鏡で見られても誤解されない文章を書く義務も意志もありません。