はてなキーワード: デファクトスタンダードとは
この世の中、「持てる者がますます富む」という法則が支配する分野があります。
ベータを駆逐したVHS、キーボードのキー配列であるQWERTY、そしてパソコンOS界を圧倒するWindows、
すべてデファクト・スタンダードを確立した者が、その技術的優劣に関わりなく、市場を支配しています。
これを、経済学者のブライアン・アーサーは"収穫逓増の法則”とよんでいます。(M.ミッチェル・ワールドロップ『複雑系』新潮社)
デファクトスタンダードの洗礼
その後、マイクロプロセッサー市場で、アメリカに先を越された日本企業の中で、はじめて日本産のマイクロプロセッサーを開発したのはNECであった。
インテル製のチップ「8080」をリバーシング技術で改良したNECは「μPD-753」を設計する。
これは「8080」よりも高性能なのだが、この時の改良がもとで互換性を失い、コンピュータ業界では売れなくなってしまった。
デファクト・スタンダードの重要性を痛いほど認識させられることになった。
「ですから、互換性を出すためには、改悪しなきゃいけなかったんですよ。
ですから、私は技術者に「いやあ、せっかく改良したのを、まことに申し訳ないけど、
これじゃ買ってもらえないから、改悪してくれ」って頭を下げた」
(中略)
「そう。技術的に優れていることと、それが売れるというものは違うとね」
理由は、「牛歩戦術が出来なくなるから」というものでした。
牛歩戦術は、決議投票の際に時間を掛けることで、棄権票を誘発したり決議投票を途中で打ち切らせたりするといった野党の抵抗戦術です。
東京の人が大阪に住んで、徐々に関西弁を話すのはいいことだ。周囲に溶け込もうとしているわけだからね。
関西の人がそれが嬉しいっていうなら、どうして自分たちは同じことが出来ないの?
いや、嬉しいとは言わんてw
いやもちろん理性では「微笑ましいなぁ」というのは理解しとる。けど感覚としては「きしょっ」と思てるはず。小学校とかやったら、確実にいじめの対象やで。
まぁ「東京モン」ってだけで詰みなんやけどな。東京弁しゃべっとったら「何気取っとんのや」言われて、無理して関西弁しゃべったら「きしょいんじゃボケ」いわれる、っちゅー。まぁしょうじきエセ関西弁ほどむかつくモンもないしな。
その、なにか特定の「語」が好きじゃないって感覚がわからんし、大阪の人でいやなのはそこだ。
いや、「東京弁」が嫌いなわけではないんやって。東京弁が「標準語」とか言ってデファクトスタンダードを押し付けてくる姿勢が嫌なんやって。共通プロトコル? アホか。口語なんて意味通じてへんでも進行するし機能するわ。口答指示の軍隊とか以外な。常識やん。
というわけで、
つ鏡
ほやでこれはエスニシティの真正性、エスニックアイデンティティの問題なんやな。
http://anond.hatelabo.jp/20070902154236
「内包」ってのは文字通り、ブラウザがflash様の規格やpdf様の実装を、最初(インストール時)に持ってしまう事だ。
flashがダメとか重いとかいうレベルではなくて、あって当たり前、ないのは機能不足といえるまでに持っていかなければ。
そのためにはプラグインとか言わずに、ハードコードされるくらいにならなければ。
併せて、作る方も、最低限の機能に含まれなければならない。OS標準が望ましいけれど、 そうでなくとも、web関連ツールでflash生成やpdf生成は最低限の機能程度には標準化されないと普及しないでしょう。
あとは、それらの機能を動かすためのCPUやメモりなどの必要なリソースが誤差の範囲になる事。
つまり、javascriptでしこしこやるよりも、flashでやった方が手軽(ソフトのインストールや使い方も含めて)と思えるようになれば普及するのでは。
人間、さしあたりの楽な方にいきますので。
次に来るのはこの「断絶」を埋めるようなヤツかな?
それとも若年層が今後社会へ出て行くことを考えると、モバゲーがデファクトスタンダードになっていったりするんだろうか。
たぶん質問を外してると思うが気にせず書くと、小額課金の動画サービスがこれから流行るんじゃないかと思ってる。モバイルはもともと操作性に難があるから受動的なサービスの方が向いているし、小額課金とケータイは非常に相性がいい。ワンセグによって、携帯に動画再生機能を組み込むのが流行りつつあるのも追い風。
あとは、携帯端末という特性を活かして、GPS、GIS絡みのサービスが普及しだすんじゃないかな。こっちは技術的課題も多いし未知数。
モバイルとPCの文化圏の断絶はどうだろ。とりあえず現状から考えるけど、モバゲーのPC文化圏との「断絶」は意識的なもの。PC対応させようと思えば簡単なはずだからな。2chの影響が色濃いPC文化圏の人間の流入を嫌ってるんじゃないかな、と思う。サービス提供者の側が、意図的に「断絶」を生み出しているって側面は無視できない。
これからモバイル端末が高性能化するにしたがってケータイ文化圏とPC文化圏の垣根が消えていくという論もあるけど、ケータイ端末の大きさ的にも閲覧生や操作性の向上には限界があるし、やっぱり断絶は残るんじゃないかな、と俺は予想する。
http://app.blog.livedoor.jp/sasakill/tb.cgi/50158823
このへんのことについて一番体感的に理解してるのは、今現在19??21ぐらいで、中学生ごろからバリバリネットやってて、なおかつ携帯も早い時期から所持してて、パケ代が毎月やばくてダブル定額の登場に歓喜したようなネットヲタク…すごい限定的かもしれないけど、きっとそういう層だと思う。
要するに、「両方知ってる」層ってことだけどね。
モバゲーにまとまるまでの勝手サイト(まとまるは言い過ぎ?)を見てきているし、mixiも勿論体験してる。
何より自分がモバゲーのメインターゲット層についこの前までいたわけで、リアルな視点でモバゲーを捉えられると思う。
こういう層は、早くからこのリンク先の人のいっている「ケータイウェブとPCでのウェブの断絶」に気づいていたんじゃないかな。
モバゲー以前は、この「ケータイウェブ」の部分がまったく未開の地で、ギャル文字を使うような文化圏の人が作った勝手サイトなんかが、そのサイトを立ち上げてる人の実際の交友関係を対象ユーザーとして、各地に点在しているような状態だった。
そこにほとんどはじめてビジネスモデルとして参入して、それら点在していたコミュニティをひとつにまとめつつあるのがモバゲー。
次に来るのはこの「断絶」を埋めるようなヤツかな?
それとも若年層が今後社会へ出て行くことを考えると、モバゲーがデファクトスタンダードになっていったりするんだろうか。
この病はmixiのアーキテクチャーに利用者がだまされることによって生じる。「チカシイけれど日常的にコミュニケーション出来ない相手の消息を常に確認出来る、というところに価値を見いだしてる」といった、mixiのサイト構造(=ナビゲーション設計)との距離の取り方を会得すれば、おのずと改善される症状である。
ある利用者にとって、あるコミュニティはそうかもしれないし、またあるコミュニティはそうではないかもしれない。
mixiは日本国内におけるSNSのデファクトスタンダードになっている。「確かに入ってる人の数が多いんで身近にやってる人もちらほらいる」ということこそがコミュニティ系サービスにとって重要であり、人が集まらない二匹目のドジョウサービスはサーバースペースの肥やしとして朽ち果ててゆくのみ。
はてな匿名ダイアリーがまさにそれであると私は感じています。
すみません、何が言いたいのかよく分かりません。