はてなキーワード: もよりとは
「ありがとう」といって後部座席から出て行った彼女の声は、いつもより少しだけ弾んでいた気がする。
始業時間に近いから、校門を通る生徒は途切れることがない。僕が高校生のときには自分が何者になれるのかという妄想を繰り広げたものだけど、大きな屋敷のお抱え運転手という将来像は予想していなかった。一方で無職という将来像は、そのときにも妙な現実味を帯びて頭の片隅にちらついていた。その暗黒からひとまず逃げられただけでも、幸せと言わなければならない。
僕は彼女が校門を通り抜けてしまうまで見送ってから、慎重にクラッチを上げた。
彼女を送っていったあと屋敷に戻ると、おばあさんが待っていた。
「少し早いけれど出してもらえるかしら」
いつもの店まではけっこう距離があるので、着いた頃には開店時間を過ぎているだろう。僕はすぐに車庫に引き返した。
二ヶ月たった今でも、この家の住人のことは断片的にしか知らない。
屋敷の主人たるおばあさんは鷹揚に振舞う、貴族的な雰囲気を持った人物だ。彼女は、たいてい金曜日と月曜日の昼にかけて、買い物に行く。そのときの同伴者は運転手である僕ひとりで、それほど話したがりとはいえない僕でも、無言では間が持たない。時々は話をしてみたりする。そして、気づくと煙に巻かれてしまっているのが常だ。
「ええ」おばあさんは短く返事をした。別に機嫌が悪いわけではないと思う。学年の話は以前に出ていたから、僕も身のある返事を期待していなかった。
「まだ受験が近いわけでもないから、楽しい学校生活を送っているんでしょうね」僕は今朝の彼女の声を脳裏に浮かべながら、言ってみた。彼女とは毎日顔をあわせるけれど、ほとんど会話らしい会話をしたことがない。僕も最初の三日くらいまでは、話しかけようとした。けれどあまりに反応が薄いので、なんとなく言葉をかけにくくなってしまい、最近は挨拶と時間の連絡くらいしかした覚えがない。
「私は、そう願っていますけれど」といっておばあさんは一瞬黙った。
-----
暇なので続けてみた。次の方、どうぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20070315120907
私もとりあえず分類したい時に「いろは」を使うことがあります。
なんでかというと、例えば「123」とか「ABC」だとなんか序列が付いてるように感じてしまうから。
自分はそう思ってなくても、それを公開したときに妙な勘繰りをされるといやだから。
「なんであの人がAで私はCなの」とかね。
「あいうえお」順だと五十音分類に思えちゃうので、「いろは」を使います。
でもより記号性を強めるなら「イロハ」とカタカナにしたほうがいいのかも。
「集団の名前」という以外の意味をできるだけ持たせたくない時には「イロハ」で分けるとしっくり来ますね。私の場合。
ということをあなたが考えたのかどうかは分からないけれど。
大学教員をしています.客観的に見て日本国内では学歴エリートだと思います.
でも貴重な時間を割いてこのエントリを書いているようではきっと自分自身馬鹿だという自覚は少なくともあります.
http://anond.hatelabo.jp/20070224094417
後半の「頭のよさを安全に剥き出しにする訓練」=前半の「頭のよさを謙遜する処世術も自然と身に付いてた」としか読めんのですが.
この方は頭が悪いから,人生の前半の訓練によって得られた方法が,社会人になってから通用しなくなってモデルチェンジせざるを得なくなっただけ?じゃないの?過去の行動が無駄だったと思うならあんた馬鹿だってことだよ.
基本的に,頭の良さを出すか出さないか(=「傲慢」or「謙虚」の選択)は手段にすぎず,目的として成果を求めるのが仕事っていうものだと思うんだけど.
傲慢な親心をもって「遠謀深慮」って言葉を贈る.
http://anond.hatelabo.jp/20070224120207
研究室で学生を預かる立場としては,「努力するという才能」の存在を痛感することがしばしばあります.
分野にもよりますが,研究者になる上で頭の良さより別の才能(いい意味での馬鹿さとか)が求められていることはもはや常識だと思っていましたが.
努力できる(特に「し続ける」こと)ことが才能に含まれないような書き方だったので,少し気になりました.
コミュニケーションや世渡りの才能が乏しいことで悩んでいらっしゃるようですが,個人的には会社や大学の様な上下関係がしっかり確立していない別の環境,例えば地域のボランティアなどでの経験をおすすめしますよ.視野が広がります.
私自身も若いときは「何も失うもののない状況なのに、人前でおどおどしてしまって言いたいことが言えない。もちろん得をした点もあり、「素直で礼儀正しい」という評価を失ったことはない。」という感じでしたので,人ごととは思えず.
悪い奴が目の前にいる。だから俺が裁く。
この世には悪い奴がいっぱいいる。だからこの世はこんなにも腐っているんだ。俺は昔からそう思っていた。だから力がついた頃から、公園や橋の下に勝手に住むホームレスをボコボコにしていた。あいつらは税金も払わずに勝手に公共の場所に住んでいる。だから悪だ。ああいう大人がいるから、日本が悪くなるんだ。そう思って見かける度にボコボコにしていた。俺は正義だった。
ある日、俺の住んでる町に、殺人犯が引っ越ししてきたことがわかった。何度か引っ越ししたけれど、いろいろな所で追い出されたあげく、今度はこの町に来たらしい。むかつく掲示板みたいなのもあるけど、こういう時には、ネットは便利だ。同じ町だけど、川向こうの地区だったので、川向こうの連れに聞いてみると、みんなビビってるらしい。当然だ。殺人犯が、しかも小さい子供も殺すような奴が近くに住んでいたら誰でもビビるだろう。だから、俺はそいつの家に忍び込んだ。脅える人たちのために、そいつをボコボコにしてこの町から追い出してやろうと思ったからだ。鍵が開いていた裏庭のドアから忍び込んだ俺は静かに廊下を歩いた。おっさんらしいけど、相手は一応人殺しだ。正面から当たると分が悪いかもしれない。そうして静かに歩いていると、キッチンらしい所から明かりが漏れていた。俺は息を整え、そして素早くキッチンに入り込んだ。ビンゴだ。ネットで見た顔写真より少し老けていたが面影はある。こいつだ。
「な、なんだ!おまえは!」
「この町のもんだ!てめえがこの町に来たせいでみんなビビってるんだよ!だから出てけよ!」
「私はそうやっていろいろな町を追い出された!どこへ行けばいいと言うんだ!」
「知るか!とにかく出てけ!」
「それに私は裁かれた!もう罰は受けたんだ!もう罪はないはずだろう!?」
「人殺しが何言ってるんだ。それにてめえは悪だ。だから俺が裁くんだよ!」
そう言うとおっさんは静かになったので殴りかかった。「それでは私は…どうすればいいんだ…。」と聞こえた気がしたけど、俺にボコられるのがその答えだと思ったので、俺は何も言わずにボコった。
何分経っただろうか。おっさんは本当にボコボコだった。ホームレスをボコる時をボコボコっていうんなら、おっさんはボコボコボコボコボコくらいだった。俺もいつもより興奮していたんだろう。何たって相手は殺人犯だ。町のみんなは困っているんだ。それを俺がボコボコにする。興奮したって仕方がないだろう。でも、これ以上殴ると本気で死にかねないから俺は手を止めた。拳が痛んだがそれが誇らしかった。その時だった。ガタン!と物音がしたのは。
「誰だ!?」後ろを振り向くとそこには小さい女の子がいた。
「…ゆきみ!?」おっさんはそう言うと、半殺し状態なはずなのに、また暴れ出した。俺はそれを止めようとまた殴った。暴れるおっさんを止めようと殴った。でも、さっきの子供が喚きながら間に入ったのでその子を殴ってしまった。それを見たおっさんがまた暴れ出す。その子供はより大きな声で喚きだし、また間に入ってくるので殴ってしまう。そこからだ。何が何だかわからなくなったのは。キレたときに似ている。頭が沸騰したヤカンみたいに熱くなって、何がどうなってるんだかわけがわからなくなって、全てが面倒になって、それら全部を暴れて解決したくなる、あの感じに。そして何分、何十分経ったかわからないが、俺がいつもの俺に戻ったとき。そこにはボコボコになった血だらけのおっさんと子供が、重なるように横たわっていた。
俺は怖くなって逃げた。逃げたが2日後に捕まった。おとなしく捕まった。悔いがなかったからじゃない。捕まるまでの2日間で、その事件へのみんなの反応を見たからだ。殺人犯がいなくなったことに喜んだ人はいた。確かにいたが、多くの人はそれ以上に新たな殺人犯にビビっていた。子供も殺されたからだと最初は思った。昔の俺だってそれはビビる。でも違っていた。あんなにビビったり悪口を言ったりしてたのに、あの殺人犯のおっさんだって更正してたのに…殺されることはなかったのに…そんなことを言い出したのだ。そして今までおっさんが言われていた悪口は、全部新しい殺人犯のものとなった。殺人犯からあいつらを守ってやった俺に。あいつらの代わりに殺人犯を追い出そうとしてやった俺に。あいつらのために殺人犯となってしまったこの俺に!だから俺は捕まった。暴れることも、捕まえようとするやつに俺の考えを言ったりもせずに、おとなしく捕まった。
7年後。俺は釈放された。初犯で、真面目に服役してたおかげもあって7年で出てこれた。俺は罪を償った。これで全て償った。そのはずだった。
だが、世間は俺に冷たかった。ネットで情報が伝わっているらしく、どこの町へ行っても俺は犯罪者だった。罵声はもちろん、ポストに鳩や鼠の死体が入れられたり、家のガラスに石を投げられたりした。そしてそんな奴を住まわせているわけにはいかないと、どこへ行っても追い出された。髪を伸ばしたり、髭を生やしたり、偽名を使ったりした。でも、どれも長くは持たずにバレてしまった。どうやらそういった写真も、モンタージュのようなものも出回っているらしい。しかも、幅広く。田舎に行っても、年寄りの多い所に行ってもそうだったから。
そんな生活に疲れ果てた俺は公園に寝泊まりするようになった。ここならあまりバレないだろうから。そうしてホームレスに混じって生活して1ヶ月程経った頃、近所のガキに襲われた。体も痛かったが、「てめえらは悪なんだよ。」というガキの言葉が昔の自分を思い出させて、それがとても痛かった。ガキが帰った後、傷を洗うために公園の池へと這いずりながらいった。そこで傷を洗い、霞む目で水面を見ながら、昔のことを思い出していた。ここ数年、昔のことを思い出すことはなかった。思い出そうとしても、誰かがブレーキをかけてるみたいに、思い出せなかったから。でも、その日は思い出せた。ブレーキも殴られて壊れてしまったのだろう。
あの頃は良かった。俺は正義だった。誰よりも正義だった。それが最高だった。でも、どうして正義だったのだろう?ここ何年もなかった感覚なので、なかなか思い出せなかった。でも、少しづつ思い出してきた。そうだ。悪い奴が目の前にいる。だから俺が裁く。それが俺を正義にしていたんだ。最高にしていたんだ。
そう思い出した俺の目の前に、殺人犯がいた。悪い奴が目の前にいる。だから俺が裁く。そして俺はそいつを裁いた。最高だった。
http://anond.hatelabo.jp/20070216195203
判断を他に委ねているからだ。
キリストにしても、イスラムにしても、創価学会にしても、政治的判断や価値観を委ねすぎ。
時代や地域によってその場その場の解決法があるわけで、宗教的権威が出した答えが絶対に正しいとは限らない。
個人の判断の方が間違えることが多いから先人の知恵に従う、ということなのかもしれないけど、それはやはり自分で考えていないだけ。
自ら考えて、判断して、結論を出して、行動すれば、時代が変わっても場所が変わっても、それが正解(個人の中で)。
たとえ自ら判断した結果が、そのタイミングにおいて社会的に間違いだったとしたても争いは個人的なもので済む。宗教的対立のような馬鹿げた戦争にはならない。
最終的にランクは落としたが半年前からこの大学行こうと思っていた第一志望に合格できた。
ただ、勉強をしてこなければ、今の僕はここには居ないだろうということはわかっている。
そして、今ここにこの僕がいるのは、周りの人たちのおかげだって事もわかっている。
僕は勉強が嫌いだった。
勉強をする意義がわからなかったし、将来一体何に役立つのか?それを教えてくれる人はいなかった。
勉強が出来る=天賦の才だと思っていた。僕みたいな人が勉強しても学力は上がらないのではないか?と思っていた。
そんな僕がテストなどを出来る訳でも無く、中学の時はテストでは最悪な点数を取っていた。
特にそれを気に留める事もなかったし、次回は高い点数を取ろうという努力も無かった。
中学の成績はよくなかった。平均にも満たなかった。
その後、何故か推薦で公立高校に受かった。
1年の試験ではそれなりの点数が取れた。僕が少し勉強すれば、それなりの上位を取れるようになった。
もちろん周りが勉強をしないから学校全体の学力が下がっているわけで、
学校の中では相対的観点から見れば僕の学力は上がっているが、全国的に見れば僕の学力は下さらにがっていた。
2年になり、国公立に行くのなら下宿が出来ることになった。
だから僕は勉強することにした。今の生活が嫌になっていたから。
誰も僕のことを知らないところに行って、自分の好きなことがしたかった。
もちろん、突然勉強をして、大学に合格が出来るわけでは無く、僕は痛い目にあう。
中学の勉強、さらには小学校の内容でさえ頭に入っていなかった。
そして、勉強するのには最悪な環境だった。高校の授業だって大学入試とはかけ離れたレベルにあった。
単位制高校だったため、必要最小限の科目を取って後はほとんど独学で通した。
僕は憎んだ。自分自身を。何故きちんと勉強して普通の学力がある高校に入らなかったのか?
3年になり、私大に行っても下宿が出来るようになった。
だけど、僕は勉強した。それなりに勉強が面白いと思えるようになっていたから。
高校の受験勉強で公民が面白かったし、新聞読むのが好きだから社会学科行くことにした。
受験勉強を通して解ったことがある。
勉強することに意味はあった。自分自身が成長していることがよくわかる。
そして、僕の周りには多くの僕を支えてくれてた人がいたんだ。
受験勉強をしている間は気付かなかったが、愛って物が沢山あったんだ。
他人を信じることが出来ないし、他人を疑ってばかりでいた僕だったけど、
考えが全く変わった。
それだけでも、この受験勉強には十分すぎるぐらい意味があった。
それで、いろいろなことにも挑戦しようと思う。
何が得られるかわからない。何かを失うかもしれない。
だけど、得られた時は気分が良い。
いつもより空が綺麗に見えたんだ。
世の中には考えるだけ無駄なことがいろいろとあって、例えば「好きな人がフリーになって目の前にあらわれたときにどうするか」というのもその一つだと思う。
彼女に最後にあったのは、もう半年以上前のことで、僕はそのときにあることに気づいてしまった。あること、ともったいぶって書くほどのことでもないな。要するに彼女とある人が彼氏彼女の関係になったのだなということが、何故かわかった。そこで僕はある意味安心してしまい、ヤケクソ気味に告白して、予定調和的に振られた。「ありがとう。けど誰それと付き合ってるから。ごめん」。うん、知ってる。その後、彼女の「友達でいよう」宣言と、年始のメール、そして僕がそれを文末だけ書き換えて返した適当極まりないメールぐらいでやり取りは途絶えていた。
そして現在に至る。というわけだけど、その集まりに彼女が来るのはある程度予想できた事だった。それよりむしろ僕のほうがその集団からの距離が遠くて、外乱因子だったというべきだろう。だから、彼女の名前が彼の名前と同じ文脈で出てきたときも、少しドキッとしたけれど平静を装うことができた。
僕が彼女に会うたびに思うことが一つあって、それは「こんな顔だったっけ」ということだ。失礼極まりない話だけれど、本当なのでしょうがない。僕が基本的にあまり顔を覚えない人だということを差し引いても、よくわからないことではある。そういうわけで、遅れてきた彼女が軽く手を振って「ひさしぶりー」といいながら、目の前のスツールに座ったときも、僕は手をグーパーとさせながら、一瞬誰だろうと思った。だけど、知り合いでこんなにかわいい人は他にいないので(彼女は本当にびっくりするくらいかわいい)彼女だと思うことにした。それでも少し時間が経つと、彼女は彼女でしかなくて、はじめてみるメガネ顔もかわいかった。
彼女はテーブルの向こう側で別の人と話していて、僕はこっち側で隣の人と話しつつ、それでも半分くらいは彼女を眺めていた。目の保養にはなるけれど、むなしい行為だと思う。それで気がついたのだけれど、彼女は先に来ていた彼氏と全然話そうとしない。それどころか、互いに避けているようにも見える。あまりにも自分に都合のいい想像が頭をよぎる。いかんいかん、と思いつつ隣の話に戻ると、何故か好みのタイプを食べ物に例えるというわけのわからないお題で盛り上がっていて、僕にも順番が廻ってきた。僕は苺のショートケーキという答えを返し、「えんくみは苺のショートケーキとはちょっと違うよ」と言われた。この際、えんくみは関係ない。
彼女の答えは「セロリ」。わかるようなわからないような微妙な答えだけど、隣の人は追い討ちをかける。ちなみに、この人は僕側の事情をほとんど把握していて、その上でこんなことを言うのだから怖い。「そこの彼氏と付き合ってるんでしょ?彼、そんな感じなの?」そして彼女の口から発せられる決定的な一言、「別れました」。
こういうとき、どういう顔すればいいのか僕は知らない。だから、神妙な顔をして隣の人を小突いてみたりしたけれど、内心複雑だった。彼女が別れたからといって、僕にチャンスが回ってくるわけではないというのは理解しているのだけれど、それでもそういう想像をしてしまって無限ループに陥っているというのに、そういえばいつもよりちょっとだけ元気なさげな彼女の横顔はあいかわらずかわいいしで、もうなんだかわけがわからなくなってしまった。そうやって自己撞着に苛まれていると、隣から一言、「○○くんが今何考えてるか分かるような気がする」。ええそうでしょうとも。
ちょっと長くなりすぎた。ここからは簡潔にいこう。この後、次の場所に行ったのだけど、彼女は次の日が早いとかで先に帰った。以上。というわけにはいかないよね。多分。
僕は彼女を追っかけて走った。どのみちその場所にいたってしょうがない。彼女はもうそこにはいない。そして、追いついた。追いついたのはいいのだけれど、話すべきことが全然出てこなくて、意味のないことを話してしまった。次の約束でも取り付ければいいのだろうけど、それは何故か切り出せなかった。ここで本当に以上だ。連絡先も消してしまっているので、連絡のとりようはない。同じような集まりがあったときにまた会うかもしれない。
結局のところ、「好きな人がフリーになって目の前にあらわれたときにどうするべきか」という問題が日ごろ考えておくべき事項かどうか、まだわからないでいるのだけれど、いずれにしろ僕にできるのはいつも走れるような靴を履いておくということぐらいだと思う。まあそれにしたって杞憂なんだけれど。
都庁VS新宿中央公園のホームレスたちだったな。なんかマジすげぇと思ったね。
聳え立つ丹下健三作の現代建築の中に生きる人々と自然との対比。
まぁ僕は平凡な市民にもより低いものに対してはノーブレスオブリージュ必要なんじゃないのって思うけど、日本に生きる普通の市民は基本的に何も出来ないからね。
さわらぬ神に祟りなしっていうけど、お国の態度はホームレス量産政策なので今後どうなっていくのか。
行政主導のなかで好き勝手思う市民。矛がこっちに向けられても何も出来ない様。これもまた美しい社会主義。重荷を背負う部分が変わっただけ。分配の仕様が変わっただけ。
完成された社会主義はまだまだ進めるらしい。
レスどうも。
正確に測ったことはないけど、100メートルくらいを1分掛からずに歩くから時速6キロ以上はあると思う。
http://b.hatena.ne.jp/chikihhi/20070203#bookmark-3871771
朝の丸の内や新宿駅はそんなことないです。勤め人かどうかにもよります。それと、車で主に移動するような田舎の人は、やっぱり遅い。かつ、人ごみでも急に立ち止まったりしているように思います。
学生時代、西新宿でバイトしていたことがあるので朝の新宿の雑踏は経験があるけど、やっぱり遅かったな。
子供時代はクルマなんて使えないし、現代のもやしっ子じゃあるまいし送迎なんてろくにされかった。
人混みに慣れてないっていう点については同意。
別に性同一障害があるわけでもないし、もし俺が女だったとして俺は女性のライフワークではやっていけないだろう。
怠惰で機能美ばかりを追求してしまう俺は化粧やファッションにそこまで時間をかけようとは思わないだろうし、井戸端会議のようなものにどこまで参加しようと思うか分からん。過去の俺なら会話に明確な目的を求めていたから、会話のプロセスそのものが目的というのには到底耐えられなかったに違いない。
おそらく俺が女なら不美人になっていたことだろう。
====
でもそんなこととは別の話として、オンナノコのしなやかな、(または華奢な)身体には憧れるのだ。
できればその姿を得たいと思う。
こういう思いが根底にあるので、どうにも男性らしい姿にはいささか抵抗がある。
だから俺の場合、おそらく筋肉質を目指そうとしても失敗する。
女性の衣服には可愛いとか、インスピレーションをかき立てるようなものが多分にあるが。
そんなわけで、マンガとかも少女マンガの方にはまってたのもそういう背景からかもしれない。
とは言え、男として生まれてきた以上は、男として生きるつもりだ。
男である俺には男性ホルモンが流れてるし、そのおかげで髭は生えるし体毛は濃くなる。
女性的な美から遠ざかっていくのは事実だ。身体の働きの自然な流れだ。
女性ホルモンを打ったりして身体と経済に負担をかけてまで無理に自然な流れに反しようとは思わない。
そして男は女には美しさでは敵うことなどできないのだ。
元々自然界的には男なんて女を守る盾の役割だ。そこにあるのは機能美と実用性であり、容姿なんてものは本来専門外のことだ。
((または自分が強いと言うことを一目で証せられる姿が求められる))
ただここでこんなことを書いてるのは、己の理想の肉体について再確認するためと、今後、俺がどんなライフサイクルで、どんな姿を目標に描いたらいいのかを考察するためである。
最近は男にも随分と女性的なものが認められ、また容姿というのならホスト系やジャニ系なども公に見受けられるようになった。
ただ俺が求めるものはどうにもこういう系統ではない気がする。
結局ジャニだろがホストだろが俺から見たら男というロールに変わりはない。
より中性的なものが望ましい。
まずしなやかさ、これはおそらく外せまい。柔軟性は日々のトレーニングで身につけることとする。
従って、一応は筋トレはするが、それは柔軟性を身につけることが重点である。
関連して健全さもより高めねばならぬ。
ランニングなどを毎日行い、新陳代謝を活発に保っておくべきだ。
服装に関して。
今まで服装に拘らなかった。
理由は気に入るものがなかったから何でも良かったのである(あと金銭面)
より魅力的に、より中性的なものがいい。
ただ、いきなり女性用の服を着けるのはちょいと抵抗がある(第一店頭で買うことができない。はずくて)。
だから、「男が着ていてもおかしくはない中性的な服装」が目標だが、果たしてそんなものはどこにあるのだろうか?
調査が必要である。
あと、このことに関する当面の課題としては、目標となる人物を早めに設定しておくことである。
いったい今、ここで俺が言ってるようなコンセプトにマッチするような人物が有名人などでいるだろうか?
ご存じの方は一方をください。
以上、俺は女性の身体・女性の美に憧れる、なりたいとさえ思うが、内面は男、肉体的にも男なので、男として中性的な路線で行くことにした。
ユニセックス路線とでも言えばいいか。
この広いネットの中、俺のような人(性同一障害ではないが、かといって自分の性に求められるイメージに抵抗を持つ人)は是非参考にしてもらいたい。
あとこのような俺みたいな人が集まってるようなコミュニティを知ってる方がいれば紹介してください。
でも一応念のため断っておきますが俺はゲイやバイじゃないです。ちゃいます。否定しときます(まぁファッションくらいは参考にさせてもらうかもしれませんが)
追記:別に俺は女性の身体について甘い期待・願望だけを抱いているわけではない。
むしろ女性の身体の不便さや危険さについてもそれなりには承知しているわけであるのでそこを含めて手放しで賞賛しようと思わない(むしろ女性が大変だと分かってるからこそ俺は男として生きる道を選んだと考えることもできる)。
http://anond.hatelabo.jp/20070115232657
読んで思ったのは、人類は進化の袋小路に突き当たるのかもしれないということ。文明の進歩は知識の集積だという感覚があるが、これまで順調に進んできた自然科学の知識の集積にはいつか終わりがくるかもしれない。この脳では、人類がどんなにあがいても理解できない物事に突き当たるかもしれない。人工的な装置を使って脳の一部の機能を高めることができたとしても、その脳という現象についての知識自体がその壁の向こうにあるとしたら。自力での進歩は望めなくなり、進化に委ねるしかないとしたら。例えば古細菌が30億年以上も生き残っているように、人類も生き残ることはできるかもしれない。しかし、古細菌が意識を持てなかったように、人類もより高度な何かを獲得できない運命にはないのか。その可能性が一瞬、実感できた。
二日酔いにはならないだろうけどいつもより飲み過ぎたかと反省しながら、寝静まりつつある冬の住宅地の近道を選んで地下鉄駅へ歩いていると、後ろからS子の声がした。振り返り、忘れ物でも届けてくれるのかと僕は彼女を見ていた。彼女はそのまま僕に抱きついた。
小柄なS子は何か訴えるように僕を見つめそして目をつぶった。けっこうかわいいじゃん。僕は事態に戸惑いながらキスし、強く抱きしめ返した。セックスしようよとS子は少しばかり枯れたような声で言った。僕は彼女のうなじを撫で上げるようにキスすることでイエスの代わりにした。ペニスがつっぱった。
恋人みたいに黙って手をつないで歩きながら地下鉄駅に入り、じっと電車が来るのを待った。彼女は黙っていたけど悲しそうでもヤケでもないみたいだった。発情しているのでもないのだろう。昔のフランス映画のシーンみたいだ。彼女は僕の視線に気が付いて悪戯っぽく少し笑った。
ラブホテルに入るくらいのお金残っていたっけ。カードで払えばいいんじゃないか。普通のホテルに新婚みたいなふりしていけばいいか。S子と僕が新婚。そういう展開でも未来でもいいか。セックスなんてもう何年してないだろう。
ツインの部屋に入り、彼女を立たせたまま僕は蜜柑の皮を剥くようにゆっくりと彼女を裸にした。ブラを取るとむせるような柔らかい乳房があった。乳首は少し沈んでいたので吸ってみた。ふふっと彼女は笑った。それからパンティを降ろした。陰毛はけっこう薄毛なんだ。シダ葉の模様みたいだった。頬を擦り寄せると暖かくていい臭いがした。最後に靴と靴下を脱がした。僕は男子着替え室にでもいるような感じで着ている物を脱ぎ捨てながら、彼女が普段のジーンズを履いてなかったことに気が付いた。
セックスってどうやるんだったっけ。どこからやるんだっけ。ぼんやりしていると彼女はしゃがんでつっぱていたペニスの先にキスした。それから二度くらい舐め回した後、立ち上がって僕を抱いた。背中に彼女の手が冷たく感じられてぴくっとした。
ベッドに入って、僕は彼女の閉じた脚の根本にある割れ目を擦り上げるようにキスした。それからクリトリスのある辺りに舌を入れると彼女は僕の頭を掴んで、最初、キス、いっぱい、しよう、と言った。そうした。愛しているみたいだと思った。
僕は広島県の神から見捨てられたようなニュータウンに住んでいるのだけれども、僕の街はそんなに広島に遠いところではない。これは実は中国地方の街に住むものにとっては、かなり大きいことなのだ。広島というのは、軽い中華思想にまみれた街なのだwこれはどれくらいの人が共有できる感覚なのか分からないのだけれど。
中国地方は『田舎』である。この『田舎』というのに、注意しなければならない。これは実は(広義の)政治的なものなのだ。日本の『田舎』が北海道でもなければ、沖縄でもなく、九州でもないことに注意しなければならない。寒村風景というのは日本人においては昔話にも出てくるような"原風景"であるが、それは、本土の風土(北海道では『北の国から』になってしまうわけで)、それもより亜寒帯よりの温暖な気候という中国地方的な風景なのだ。
やっと本題だが、しかし、広島は違う。広島はイケているのだ。広島の街は実際歩いて見ると分かるのだが、東京のデフォルメされたミニチュアのような感じがする。例えば、その象徴としての横川シネマ。ここは所謂、オサレ系の映画を広島の街ではこの映画館が、ムービー・コンプレックスとして一手に担っているのだ。つまり、ここは広島において、「オサレ映画」の象徴の具現化なのだ。当然、東京のようによりもっと深くとはいかないのだけれど。
この街は、楽だ。オサレを追求する必要もない。まだ、広島にも"中国地方"的なものが残っているのだ。オサレとそれを上手く折り合いをつけていけば、広島的なライフスタイルは、広島人にも、東京人にも、有効である。ここは、街と村の境目なのだ。昼間は横川シネマ行くナウいお嬢さんが、その日の午後にはしゃもじ踊りしてるっていうその感覚は分かってもらえるだろうか?パトリオティズム、それも農本的なもの、それこそ、"中国地方"的なものと僕が呼ぶものだ。それが東京のミニチュアのような都市にまとわり付いている。その広島的なカルチャー(サブカルチャーも含め)を、僕は否定する気はないが、受け入れてあげる気もない。はっきり言うと、その中途半端さが嫌いなのだ。