フィクションに出てくるような町の肉屋のコロッケの買い食いみたいなのに憧れがある。おれのママもそういう経験があるというし、本当にあった光景なんだろうと思う。
でもおれが今から寂れた商店街に行って買い食いしてみても、それは憧れをなぞるだけであっておれの思い出ではないんだよなあって寂しさがある。
おれのリアリティある思い出は部活サボってモソモソと食ったチキンクリスプなんだよなあ。
街の文化がどうとか抽象的な事をゴチャゴチャ並べ立てる人らは嫌いなんだけど、画一的な風景ってこういう事なんだろうなって思う。
この間上野の古城でタバコ吸いまくりながらメロンソーダ飲んでた時も楽しいというか浸れる時間ではあったんだけれども、やっぱりどこか着ぐるみのジッパーが見え隠れするような、白けるような気持ちがあった。
まあそんなんでも、時間が経って後になって思い返せば借り物には借り物なりのエモーショナルが生まれくるんだろうなって思う。
高校の頃多摩川を延々チャリで下った事があった。TLの大学生がフラフラ遊び回ったり旅行して回ってんのを羨ましく思って、自分なりに真似してみた。
今や良い思い出だな〜って思うけど、当時の自分に対して誠実に思い返せばペダルを漕ぐのも中々に虚しい気持ちだった。
漠然とあの満たされない気持ちは何歳になっても絶対に忘れたくないと思うけど、それはそれとして今それなりに楽しい事を拾い集めていくのをやめていい理由にはならない。