飼っていた犬が死んだ。「人間でいえば100歳のおじいちゃんだったわけですから、大往生ですね」と獣医さんは言ってくれたが、そんなはずはない。いつも家族の後ろをついてきて、いたずらが好きで、甘えん坊な、いつまでたっても赤ちゃんだった犬。赤ちゃんとして生まれて、赤ちゃんのまま死んでしまった。
犬が死んでからというもの、我が家は犬が死んでしまってよかった理由を探し続けている。
義母がうっかりごはんを床に落としたとき、「あの子が生きていたら、今頃すっ飛んできて食べちゃうところだった。これからは安心して食べ物をこぼせるわ」と笑った。
義父は「朝の4時に鼻の穴にベロ突っ込まれて起こされないからゆっくり寝られていいね」と二度寝していた。
夫は「犬のメシの心配をせずに気兼ねなく旅行にいけるね」と3泊4日の旅行ツアーのパンフレットを持ってきた。
私は掃除機に喧嘩を売る犬がいなくなって掃除がはかどって大変助かっている。
ことあるごとに、「もし犬が生きていたらこんないいことはなかった」と強がって笑ってみるも、言った側から涙が出てくる。ここ1週間の我が家は笑いながら泣く奇妙な成人集団と化している。
犬がいないことを悲しいことだと認めてしまうようで、なかなかやめられない。犬がいなくてよかったなんて全く思っていないのに。
上着を着て、鍵とかばんをもって、玄関で靴を履いても、フローリングに爪が当たってチャカチャカいう足音が聞こえない。あー犬がいなくてよかった。いたら今ごろ外に連れてけと大騒ぎだった。