「推せる時」には
⑴は言わずもがな、そもそも推す対象がいなくては話が始まらないので。
⑵は、極端な例を挙げれば「今日食べるものにも困るレベルで困窮しているが明日引退する配信者の最後の配信に巨額の投げ銭をしたい」状態は「推せる時」とは言わないよねって話。
「推しは推せる時に推せ」という言葉は間違ってはいないと思うけど、⑴と⑵が両立する機会は万人に平等に訪れるものではないよねとも思う。
学生なんかは「今」何かに大金を投じて「推す」ことは難しいだろうし、自立して普通に生活している人には限度はあれどできることが多いだろう。
でもえてして前者のような立場の人ほど「推せる時」は「今」しかないと思い込んで無茶をやりがちだと思う。
「今」の自分では手に負えない「推す」ためのアクションは起こすべきではない。それは「推せる時」とは言わない。
……と、発売されたCDの音源を配布してる人とかそこに群がってる人とか見て思った。
お金が無くて買えないなら「推せる時」じゃないんだ、縁がなかったんだと思って諦めるべきだし、お金があるなら横着しないで買うべき。