2022-01-26

アセクシャルだと気づいた話

ロマンティックで、恋愛感情がないだけだと思っていた。

からセックスはある程度楽しめるんじゃないか、とも。

性欲と性愛は全く違う心のあり方だった。

生物的なただの欲求は、他者との性的接触を必ずしも目的とはしないらしい。

誰とも恋愛はしないけど、この欲があるなら誰とでも寝られるだろう、と思っていた。

実際のところ、難しくてびっくりだ。

なんとも思っていない相手欲情なんてちっともしない、他人に対して劣情を抱くということもない。

裸で触れ合っているのに、何もかもどうでもいいんだ。

目の前の人から与えられる快感を拾おうとしても、どこかで頭は冴えたままだ。

やり場のない快感に身悶えながら、壊れることはなかった。ずっと耐えていた。快楽に耐えていた。溺れられなかった。

嫌だったわけじゃないんだ、ただずっとつまらない。

気持ちよかったけど、ずっと虚しかった。この人に心は許すことはないのだし、

この人とわかり合うつもりはないのだし、私はこの人に求められたものを返せない。

なら、求めてもらえることもこの先ないだろう、と心の隅が口を開けて大きく暗く息をしていた。

抱かれながら何も心の充足にはなっていないことをただ確かめた。

私はこの人を愛さない。性的にも、恋的にも、それが誰についてもこうなのだということを、

ひたすらに思い知っていた。

かける言葉も、話したいことも、知りたいことも、教えたいことも、何もなかった。

この行為に一切の愛はなくて、当然のようにそれは虚しかった。私はそれを想像できなかった。

私の人生にこれは不要だと、はっきり答えが出てしまった。

性愛も、恋愛も、私の内側をあさってもでてこなかった。

愛することも、恋することも、私は美しい情熱だと思う。

から憧れてはいる。手には入らないし、手に入れたいわけではないけど。

しかったわけじゃない。失くしたわけじゃない。捨てたわけじゃない。

私にとって鳥の羽のような、ネコの瞳のような、イルカの尾のような感情だ。

おやすみなさい

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