一部界隈が「やわらかマゾ」(愛でられマゾ)という言葉でにぎわっている。
「肉体や精神の過度な毀損を伴わない、女性上位のラブラブエロ」みたいなのをジャンルとして成立させて欲しいんだよな。身内では「やわらかマゾ」って呼ばれてる。
https://twitter.com/Lacenaire_ssw/status/1477827858924208128
これに対して、それがマゾであるという前提で考えて「マゾから苦痛の部分を抜いたもの」みたいな見方が出ていたりするけど、むしろ逆から考えた方がわかりやすいと思う。
つまり、「自分が受け身な側になって愛されたい」というマゾでもなんでもないジャンルを何故マゾと呼ぶことになるのか、という話。
例えば女性向けであれば、こういうシチュエーションをわざわざ「マゾ向け」なんて言わないわけで。
それがどういうことかっていうと、つまり性愛(あるいは恋愛)の場面において、男性が能動的にふるまうべきって規範が前提にある。
だからこそ、男性が受け身にふるまっているだけで、それをマゾと言うのがしっくりする表現になってしまう。
もちろん「やわらかマゾ」が指し示すような作品の中では、「マゾである自分を受け入れてくれることが嬉しい」みたいな快感もある。だから、マゾという言葉を使うのが間違っているとかそういう話ではない。
ただ「マゾである」という前提でやわらかマゾを扱うと見えないものがある。
男性は性愛や恋愛においてどのように振る舞うべきとされているか、そこを踏まえて始めて「やわからマゾ」が示す欲望がわかりやすくなるんじゃないかと思う。
マゾ向けの作品の中では、そういう規範を利用して「男なのに」という気持ちを快楽のブースターにすることもあって、それが良いとか悪いとかではない。
良いとか悪いとかではないけれど、「自分が受け身な側になって愛されたい」というだけのことを「マゾ」という強い言葉を使ってやっと表現できるというのが興味深い。
ジェンダーの観点から男性について語られる文脈でマゾヒストが取り扱われることは(インターネット上では)全然ない気がするけど。
Sがサービスし、Mが満足するSM
ぐすたふさんの作品が割と好き。
過度の毀損は嫌だけど軽度の毀損は要るんじゃないの
やわらかとか言ってもそこは固くなってるじゃない
うちの身内では介護セックスってよんでる
エロマンガの家族かよ