客体化はしばしば「悪い」ものとともに現れるが、客体化そのものが悪いわけではない。
同じように性的客体化はしばしば「悪い」ものとともに現れるが、性的客体化そのものが悪いわけではない。
客体化objectificationとは何か、何かを自分・主体subjectにとって操作可能な客体objectにすることである。
この操作可能とか客体とかの概念は非常に意味が広いため、そこのすりあわせがないと不毛な議論になる。
もっとも広い意味での客体化は人間が何かを認識するときに現れる。
例えば視覚情報というのは、様々な色の光の集まりでしかない。その光の集まりのなかから人だ、ペンだ、パソコンだ、と意識的・無意識的に一定の塊を見つけていくのが客体化である。
さらに一歩進んで、認識した塊の属性を与えるのも客体化である。
この人は女だ、このペンは赤ペンだ、このパソコンはiMacだ、と言う風に、意識的・無意識的に視覚情報と既存の知識を組み合わせて情報を増やしていく。
ここで「悪さ」が少し現れたことに気づく人もいるだろう。
その人は女性のような服装をしているが、実は男性かもしれない。そのペンは軸が赤く塗られているが、先端から出るインクは黒かもしれない。そのパソコンは一見iMacに見えるが、実際は中身のないモックアップかもしれない。
ペンやパソコンならただの勘違いかもしれないが人間の場合はどうだろう。その人は自分が男性と認識しているのに、他の人は女性と認識する。自分が何者であるかを決める主体性が失われ、客体化している。