つまり、技術によって絶対誤らないサイボーグかAIのような理想的リーダー像を創造できる、ということなら、確かにリバタリアニズムの終着点と外見上は同じかもしれない。
けれど、共産主義の土壌からそういうものが作り出せるとは俺は思わない。指導者というアイドル像を掲げている時点で、人間がそれに勝手な期待を寄せて勝手な解釈をしてしまうからだ。人間性はシステム上のノイズだ。
国家が直面するあらゆる経済的・社会的局面に対応する、AIが導いたかのような万能の虎の巻、という万国の宝となるルールブックが作れるとして、そのページを着実に増やしていけるのは、自由主義経済下の国々だけだろう。
その虎の巻をオープンソースにしていくことが世界の均衡のためには重要になるが、そういうことをできるのもリバタリアニズム精神が混じっていないと不可能だ。