祖父が最後に入院したときに、医者から、やろうと思えばいくらでも生命を維持することはできる、と言われた。
もちろん、限定的な文脈での話であって文字通りの意味ではないだろうけど、ある面での事実だとは思う。
その後、他の3人の祖父母が他界するときに同じことを言った医者はいなかったけど、最初の医者の言ったことは間違っていなかったと感じられた。
そんな経験を通して、子供のいない自分が死ぬのは自分のお金がなくなるときなんだな、と理解した。
今、嫁の母が倒れ、最善を尽くすと月に300万円かかると言われている。
完治の見込みは無いが、生命の維持はできる。
やろうと思えばいくらでも。
最低限+αくらいの生活しかしていない我々にとって、高額の支出が意味するのは娯楽の放棄ではなく、義母の延命が意味するのは嫁と俺の延命可能期間の短縮である。
また、こうしたことを考えて来て、もう一つ、気になっていることがある。
俺にとっての嫁とその母の価値を比べるなら、当然、前者が勝る。
嫁は、義母の数か月と俺の数か月のどちらを惜しむのだろうか。
義母が延命治療したいなら義母と義父の金でやるべきだろ ただでさえ世代間格差で年寄りの方が有利だってのに 若い世代に重荷を背負わせるなら自分から死を選ぶのが真っ当