いじめっ子の家に、いじめっ子と同じ身体・人格の基礎を持って生まれたら、誰でもいじめっ子になるんじゃないのか?
高潔な魂を持っていたらいじめなんかしない!っていうのは反論にならなくて、なぜかというと、その高潔な魂というのは結局持って生まれるものでしかないからです
いじめっ子とか犯罪者になってしまった人は、そうなるしかなかったんじゃないのか
いじめられっ子・犯罪被害者に対して「お前が弱いのが悪い、もっと強く在ったり、気をつけていれば被害者にはならなかった」っていうのはカスじゃないですか そんなのは無理だからだ
いじめっ子・犯罪者に対して「お前が悪い、もっと良心を持ち、道徳的に生きれば加害者にはならなかった」っていうのって、全くおなじことなんじゃないのか?
俺は「本人にはどうしようもないこと」はできるだけ責めたくないなという気持ちを持っていて、最近はもう全てのことが結局どうしようもないよなあということに気がついてしまい、個人に対する怒りというものの処理に困っています
俺もスガちゃんの家にスガちゃんの能力・人格を持って生まれてたら、たぶんいまのスガちゃんになってますよ
ならないんだとしたら、それは乱数テーブルの違いとか、そういうもののせいだ
環境ガー論
アリゲーターガー論