弱者男性はネタである。
そして、弱者男性にネタとして消費される以外の未来はない。
オマイラは老若男女・古今東西のあらゆるものをネタにしてきたよね?
高齢者をネタにし、キッズをネタにし、リベラルをネタにし、フェミをネタにし、ガイジンをネタにしてきた。
真面目に答えず、真面目に応えずに、ネタとして消費する。
これがオマイラの育んできた世界だ。
これがオマイラの望んだ世界だ。
だったら、弱者男性なんてネタ以外の何物でもないやろ。
こんなノリが通用するとでも?
オマイラ自身がネタにされても仕方がないよね?
ちょっと認識が甘すぎるんじゃないの?
あまりにもオオカミ少年。
ネタ乙。
ネット論客(=ブクマカ)もこんなネタにまでうまいこと言わないといけないのだから大変だな。
確かに未来ではフェミニストの寛容な精神にて、あらゆる弱者をも共済されるであろう。
だが、救済するのも救済されるのもオマイラじゃない。
未来のインターネットにオマイラの居場所はない。
オマイラにはふたつの選択肢がある。
好きな方を選びたまえ。
だが、それでもオマイラはきっとネタ消費をやめないだろう。
ネタ消費とかいう、あの薄ら寒い光景は今後も絶えることはないだろう。
だから、オマイラの未来はすでに定まっていると断言して過言ではない。
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