個人用まとめ
・何が差別かを判断するとき、誰かが「その表現によって私は不快な気持ちになりました」という意思表明、または意思表明の分析がとても重要である。
理由:
何かの表現が誰かにとって不快であることは、それが差別である可能性を示しているかもしれない。
「何が差別なのか」は、差別してる側、差別とは無関係の第三者側からは分かりにくい。
差別的発言を繰り返す人の中には、実は「何が差別だったのか」が分かっていなかったパターンもある。
※なにが差別なのか分かっていなかったなら、なにが差別的発言なのか判断する方法は本人には無い。
なにが差別なのかを知らない人に対しては、差別される側または差別を知っている人が説明しなければならない。
そのコストは現状、差別される側や差別を知ってる側が支払わなければならない。
なぜなら、差別する側にはそれらを積極的に学んで受け入れる理由も方法もないから。
ただ差別であることを示すのではなく、発言のどの部分(あるいは全体)が差別を含んでいるかを明確に指摘することによって、発言者本人の「発言する権利」も尊重されなければならない。
差別的発言で差別を助長させないようにするルールと同様に、「本来、誰もが自由に発言できなければならない」というルールも尊重されなければならない。
そのため、誰もが、差別とは何かを熱心に議論する人達ですら、知らずに実は差別発言をしている(いた)かもしれない。
そのため、不快表明などを手掛かりにしながら、何が差別なのかを明確にし、差別禁止のルールと、発言の自由ルールの両方をより明確にしていかなければならない。