2020-10-16

当然の権利という概念

息子の誕生日プレゼントのお使いを頼まれていたんだがすっかり忘れていた

もちろん嫁も息子も激怒

嫁が怒るのはわかる

しかし、息子はなぜ怒るのだろうか

誕生日プレゼントを渡すのは親の義務ではない

いわば善意によるオプション

にも関わらず息子は俺から誕生日プレゼントを受け取って当然だと思っているようだ

いつから誕生日プレゼントがもらえて当たり前と思うようになったのだろう

二匹の猿にゲームをさせてご褒美として片方に美味しいぶどう、片方に美味しくない食パンを渡すと食パンを渡された猿は怒る、というような研究を聞いたことがある

猿はご褒美にぶどうをもらう権利平等にあると思い込んで、その権利が守られないと怒るのだ

猿にさえ権利という概念はあるのかもしれない

小学生の頃、自分クラスが何故か占有していた空き教室について「1組だけが使うのはおかしいのではないか」「不平等だ」と他のクラスから声が上がり、空き教室権利をめぐる争いに発展したことがあった

あのとき「毎年ここは1組がずっと使ってきた」と権利を主張したのは極めて保守的な、保身的な行動だったと思う

毎年1組が使ってきたことは、不平等理由にはならないだろう

にもかかわらず、「ともかく権利があるからあるのだ」というめちゃくちゃな主張に俺たちが走ったのは一度は得ていた権利を「当然」だと思っていたかである

そして一度は自分のものであった権利が奪われるのは、たとえほんの少しだとしても惜しいもの

その不当感は凄まじい

息子は今まで誕生日プレゼントを渡してきたばかりに、それを受け取ることを当然の権利とみなし、今回渡されなかったことに腹を立てているのである

息子の怒りは、人間が猿であった時から存在した、ごく当然の、自然情動なのである

  • やかましいわ さっさとプレゼント買いに行け

    • さてはお前、当然の権利と思ってるな

      • 買わんとお前と嫁や子供の仲に亀裂が入って離婚や一人ぼっちになるぞ。離婚して独身になりたいんだったらお前の自由だが。

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