主にインターネットの普及で知ることのハードルが極端に下がった
環境問題、人権問題、ジェンダー問題、政治問題...あらゆる問題を知ろうと思えば知ることができる
ただ生活していくにもこれらの問題をある程度考慮しなければならない。でなければいい人であれないからね
だがすべて考慮して行動している人間は物理的に存在できないだろう
更に何か意見を表明しようとすればその分野を専門で追っている人間の1/100くらいの知識は身に着ける必要があるだろう
それは過去の判例であったり、研究であったり、事件であったりする
インターネットは一部の人間にのみ与えられた恩恵であり、これらの情報に辿り着き解釈するのがそもそも多くの人間には不可能だ。知るための訓練が行われていない
インターネットが得意で訓練を受けた人間は無限に問題を吸収し、普段の行動、当然とされている行動がどれほど"問題ある"かに気づくことになる。"人間らしく""思いやりのある"生活をすることのハードルが無限に上がり続けていく
この解決策として自分が問題の当事者になってしまうというものがある。実際には何も変わってないし問題も解決してないんだけどね
あきた