2020-06-09

「名は体を表す」んだったら、 「名」で「体」を逆定義すればいい

生来名前は、その人の人格が明確になる前に与えられる。

そのことを思えば、生来名前とその人の「体」、すなわち人格は何の関係性も無いことがわかる。

すると、「名は体を表す」での「名」は、その人の人格が明確になった後に名付けられる名称、すなわち、「あだ名」のようなものだと考えるのが自然解釈だろう。

そうだとすれば、「名は体を表す」という言葉は、「あだ名」はその人の性格を表している、といった意味合いになるはずだ。

これは、「名」を生来名前だと解釈するよりも、ずっと納得しやす理解の仕方だろう。

しかしながら、その人の性格が「あだ名」を決める、すなわち、「体が名を表す」の方が正しい因果関係にも関わらず、格言化されているのは「名は体を表す」である

ならば、重要なのはここからだが、「名は体を表す」という言葉は、「あだ名」の付け方によって、その相手性格オーバーライドできる可能性を示しているのではないか

もちろん、「あだ名」の付け方によって、その相手性格が本当に変わることは少ないだろう。

例えば、相手のことを「馬鹿」と呼んで、本当に馬鹿になる相手は居ないだろう。

しかし、確実にオーバーライドできるものがある。それは、「あだ名」を付けた側の自己認識である

例えば、相手のことを「馬鹿」と呼んだ人間は、確実に相手のことを馬鹿にする。

ちなみに、これは「嫌な上司」など嫌な相手が居るときにも応用できる。その相手のことを、陰で「○○たん」とか「○○りん」とか、かわいいあだ名」で呼ぶのである

そうすると、相手が変わらなくても自己認識が変わってくる。嫌な奴に好ましい別名称を与えることで、あなた認識も好ましい場所へとリンクされるのだ。

これこそ、ある意味で本当の「名前解決である

以上をまとめると、「名は体を現す」という言葉の本当の意味合いは、その相手人格名前付けによってオーバーライドできるということなんだと思う。

これが、タイトルに書いた「『名』で『体』を逆定義すればいい」という発想だ。自己にとって好ましい「あだ名」を付けることにより、その相手への認識を改めることができるのだ。

もっと言い換えるなら、「あだ名」にもフレーミング効果がある、というのが「名は体を表す」の本当の意味合いであり、その格言が示したいのは、「あだ名」は自己認識を変えて人間関係改善するのに役立つだろう、ということだと思うのだ。

  • 姓名判断ってわりとそういう発想よ。 Aさんの画数について、「運が悪い」ものだったとすると、出会う人の何十人かはAさんの名前から「運の悪さ」を見出す。出会う人に「運が悪い人...

  • 名前負け

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