学校を受験する時は、確実に合格できる学校を選んでいたので、学校で私は勉強のできる人という立場だった。
就職する時は、どこもかしこも落ちてしまい、ギリギリ、というか運良く入れた所が、今の会社だ。
今までと違い、周りは私より勉強、ではなく頭の回転が早く、それだけでなく飲み込みの速さ、察する力、視野の広さ、コミュニケーション能力などでも、私より優れた人ばかりだった。
仕事では、そういう人から指示を受け、そういう人と仕事をするので、そういう人の当たり前の感覚で全体が進むことになる。
私が、そんなの無理、と感じるようなことが、そういう人たちには、普通にできる、なのだ。
私ができない、ということが、うまく理解できないようだ。
私はかつて、勉強ができないと悩む人に、こうやればいいんだよ、と伝えたことがあった。同じことやってるけどできない、と言われて、すごく不思議な気持ちになったのを思い出した。
たぶん、そういう人たちは、私ができない、と訴えるのを、不思議な気持ちで見ているのだろう。
仕事でまた、当たり前のように、私には無理と思われる量を、有り得ないだろ、と思うスピードで覚えて対応するよう指示された。
しかし周りには誰も、無理だ、とか、こんなことは横暴だ、とかいう人もおらず、みな淡々と資料を読み、記憶して、淡々と対応する。そして対応もトラブルなく終わる。
このおっさん大丈夫か?という見た目の人も、頭の回転は速い。みな、そこだけは絶対にある。
その中で私は焦り、ミスにびくびくし、資料を繰り返し読み直しながら対応した。トラブルがなかったのは奇跡だ。私はこのほかの仕事もこんな状態で、綱渡りを繰り返している。でもみなは奇跡ではない。できるだろうと判断し、指示するのだから。
こうやって、ミスに怯えながらも綱渡りでやってしまうのが、良くないんだろうなと思う。