2020-02-16

書く。書いているときはなんでもできるような気持ちになる。

気持ちばかりが急いて指や表現が追いつかないような感じになる。

逆に一つの気持ち表現しようとして言葉を何度も考えているうちにもともと何を描きたかったのか忘れてしまうことがある。

ものを書いていると、何かを書いた気になってあとで何も書けていなかったり、何かを書いた気でいる自己陶酔が透けて見えてとても嫌になったりする。

物書きという職業は本当にすごいと思う。過不足ない表現で、読むときは滑らかに流れるように読めて、それでいて心の中に色々な情景や情動を残していく。

素敵な本に出会うたびに、自分に才能があれば、物書きになりたいなと思う。

その人に触発されて広がっただけなのにそれを自分にもこんな綺麗な世界が描けるんだと勘違いしてしまう。

何か思いついたり、感じたりした時にこの感情言葉にして表現したい。それで自分が感じているこの素晴らしさとか、楽しさ、嬉しさ、辛さ、悲しさ、些細な違和感が少しでも人に受け入れてもらえたらきっとそんな幸せなことはないんだろうなと思う。

まあそんなんだからきっと物書きとしての才能はないんだろうな。誰かに受け入れてもらいたいって文章なんてそもそもたかが知れている。受け入れてもらいたくて書いた文章じゃなくてもそんなことでいちいち心が揺れるようだったら、すぐに浮世に魅せられて続かないだろう。

こういう自分気質からくるようなものって根本的な解決はないから、自分で固定のルールを持って少しでも自分が良い状態でいれるように文明人的に決め事を守るしかないんだよな。。

まあでもそういう生来持っているよわさから文学とかがまた生まれたりもするわけで、そういうのも嫌いじゃないけど、破滅ものかけるほど肝据わってないから、小心者なりにやるしかない。

破滅自己陶酔に浸ってられたら天才か救いのないやばいやつかどっちかだしどっちにしてもそんなの短命だ。短命ゆえの美しさはこの人生では諦めよう。

長生きしよう。

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