40も半ばを過ぎた。
自分で言うのも何だけど、今まで割と真面目に生きてきた。
好きじゃないものでも受け入れようと頑張って、全てに寛容でいようと思った。
このまま自分の人生は何か得体のしれないものに蝕まれ続けなくてはいけないのだろうか。
探り探り話を聞いてみると、皆一様に苦労を抱えていて、不幸ではないけど幸せかと言われれば首を傾げてしまうような話を繰り返していた。
近況は程々にお酒も進めば昔話に花が咲く。気がつくと、20年前の話ばかりをしていることに気づいた。
あの頃はまだ世の中に対する責任も薄く、自分たちは好きなことだけを原動力に走り回っていた。
もちろん苦労もあったけど、時間が経って忘れているだけかもしれないけど、でも、好きなことのための苦労はその都度報われて、報われるたびに涙を流すほど喜んでいたような気がした。
仕事とか、家族とか、いろいろな責任が増えると、自分の好きなことは後回しになった。
周りの人間もそれが当たり前のことだと口を揃えている。
だからそうなんだと思って毎日を繰り返してきたけど、こうして当時の話を大騒ぎしながら聞いていると、なんだか長い時間をかけて麻痺していた心が少しずつ脈動を始めたかのような気がした。
この日のこの時間は、なんだかキラキラに輝く宝石箱の中にいるように思えて仕方がなかった。
続けようと努力はしたけど、すぐに邪魔をされて、水をさされて、好きなことが素直に楽しめなくなっていたのだ。
そのうちに心はときめくことを忘れてしまい、面白みの無い効率とか効果ばかりを優先するようになってしまった。
好きなものに素直に生きることは、好き勝手生きることとは違う。
でも、自分の好きなものでさえ世の中に遠慮していたら自分が自分として生きる意味なんてないのではないか。
捨てられないからと言って、好きでもないもののために時間を使うのは、自分の人生をただただ無駄に浪費しているだけなんじゃないか。
この先どんな後悔が待っているかわからないけど、まずはしっかりと自分の好きなものと向き合うことから始めようと思う。
今ならまだ、死ぬ寸前になってまで後悔しないで済むかも知れない。
40歳以上になったなら仕事をしまくれ 趣味は盆栽と登山とゲートボールをやっていろ 休暇はボランティアをやれ お前は死ぬまでずっと社会貢献し続けるんだぞ
そんな元増田さんには、テレビを捨てることをオススメしたいですね。 テレビを見ていると、余計なことばかり吹き込まれて、結果、無理強いさせられるので。